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第二十一章 雛子お嬢様のギャルレッスン

放課後のパンケーキショップでギャルレッスン!?

目立ってはいけないはずの翡翠ですが、一ノ瀬雛子にぐいぐい押し切られ……。さらにあの「女王」まで乱入して、店内は大混沌カオスの渦へ!

最高級ブティックでのドレス選びから数日後の放課後。


翡翠は、人生最大とも言える試練に直面していた。

場所は、名門校の生徒たちが御用達の、華やかなパンケーキショップ。


事前の許可を取る際、主である透亜からは


「一ノ瀬の動向を探るのも僕たちの利益になる。行っておいで」


と告げられていたが、現在の状況はその想定を遥かに超えていた。


「ほらほら翡翠ちゃん、もっと肩の力抜いて! はい、スマホ見て、ギャルピース!」


「ギ、ギャル、ぴーす……!?」


対面に座るトップギャル・一ノ瀬雛子に押し切られ、翡翠は分厚いダサ眼鏡を指先でクイと直しながら、慣れない手つきでピースを反転させてカメラに向ける。


学校での鉄則は『日陰のお世話係として、徹底的に有象無象の視線から隠れること』。


目立ってはいけない、本性を現してはいけないと心に深く刻んでいる翡翠だったが、目の前の雛子はそんなカモフラージュをものともせず、ぐいぐいと距離を詰めてくる。


運ばれてきた、タワーのように生クリームが乗ったパンケーキを前に、翡翠は生真面目に尋ねた。


「雛子様、これを食べるのも、その、パーティーの予行練習なのでしょうか……?」


「そーだってば! ほら、あーんして!」


「あ、あーん……っ!?」


――そんな女子会の様子を、店外の街路樹の陰から見つめる美少年がいた。


神城透亜である。


手元のタブレットを操作し、周囲に私服警備員を秒単位で配置して雛子の身辺を警護しているポーズを取ってはいるが、その実、その瞳は冷ややかに細められていた。


(……僕の許可なく、僕のものにあまり俗な真似を教えるなよ、一ノ瀬)


「おいおい透亜、随伴員の尾行とかガチのストーカーじゃん。ウケるんだけど」


すぐ隣で、メディア王の次男・羽鳥晃が、楽しそうにスマホで透亜の不機嫌な横顔を盗撮している。


「うるさいよ、晃。僕は一ノ瀬を狙う不穏な気配を警戒して、周辺の情報を掌握しているだけだ」


「はいはい、そーゆーことにしといてあげるよ。あ、凪、お前透亜のジャケット引っ張るなって」


「えー、だって透亜ばっかりずるい! 僕も翡翠ちゃんにお世話されたい!」


飛び級してきた千歳凪が、透亜の服の裾を引っ張る。


「静かにしろ、凪」


透亜が視線を険しくした、その時だった。


店内を揺るがすような、圧倒的な女王のオーラと共に、九条財閥令嬢、九条麗華が扉を蹴り開んばかりの勢いで乱入してきた。


「透亜様!


こんな安っぽい店に一体何のご用が――って、あら?


透亜様と西園寺の泥棒猫じゃなくて、あの地味な眼鏡と一ノ瀬雛子!?


ちょっと晋!話が違うじゃない!」


「あれれー、おかしいですねぇ…?」


「あ、麗華様じゃん! ちょうど良かった、麗華様もギャルピースしよ!写真撮ろー!」


「なっ、なんですってぇ!?」


麗華様の乱入により、店内は一気に名門校のトップ勢が集まるカオスな空間へと変貌した。


そして、事件はまさにその混沌の中で起きた。


麗華様が興奮して身振り手振りを交えて雛子に抗議した瞬間、店員が運んでいた、熱々のコーヒーが何杯も載った金属製のトレイに麗華様の肘が激しく激突したのだ。


「あっ――!?」


店員の手からトレイが離れ、数杯の熱いコーヒーが麗華様と雛子の頭上からモロに降り注ぐ最悪の軌道を描いた。


誰もが悲鳴をあげ、避けることもできないその刹那。


店外の透亜が「翡翠、動くな!」と心の中で叫ぶより、早かった。


翡翠の脳内に染み付いた野生の反射神経が、思考を挟む前に完全覚醒した。


短い呼気と共に、翡翠の身体が座席から文字通り『消えた』。


次の瞬間、翡翠は重力を完全に無視したような超人的な跳躍でテーブルを飛び越え、空中でひるがえった彼女の手が、落下するすべてのコーヒーカップを秒単位の精密さでジャグリングのように次々とキャッチ。


さらに、弾き飛ばされそうになった重い金属製トレイを、死角から伸びた左足の甲でピタッとノーバウンドで静止させ、そのまま流れるような動作で店員の腕の中へと優しく戻してみせた。


――だが、常人には「コーヒーカップの空中キャッチ」に見えたその大立ち回りの裏で、もう一つの『異常な光景』が同時進行していた。


トレイがひっくり返った瞬間、麗華の背後に生じた微かな死角。


そこから、麗華の影として潜んでいた晋が、主を守るための「最適解」として、超高速で弾いたスプーンを盾代わりにコーヒーの飛沫を払おうと動いていた。


しかし、その晋の軌道上に、雛子を守ろうと跳んだ翡翠の身体が交錯する。


(チッ……邪魔だよ、翡翠――)


晋の三白眼が冷酷に細まり、鋭い指先が、翡翠の死角へと牽制の足払いを放つ。


誰も気づかない、テーブルの下の漆黒の攻防。


だが、翡翠はコーヒーカップを空中でキャッチしながら、視線すら合わせずにその晋の蹴りを右足のつま先だけでミリ単位でパシッと受け止め、逆に晋の体勢を崩すように体重を乗せて踏み付け返した。


(相変わらず、嫌な勘をしてるねぇ……!)


晋は内心で舌を巻きながら、ステップを引いて気配を消す。


翡翠もまた、着地と同時に晋の放った気配の残滓を、何事もなかったかのようにその身で完璧に相殺してみせた。


周囲の誰も――すぐ目の前にいた雛子や麗華すらも、二人の間で一瞬にして「一流の暗殺術」が応酬されていたことなど、一ミリも気づいていない。


カチャ、と静かな音を立てて、翡翠の手に収まるコーヒーカップ。


麗華様にも、雛子にも、コーヒーの雫一滴すら触れていない。完全なる無傷。


「……あ」


やってしまった、と気づいた時にはもう遅かった。


翡翠はダサ眼鏡をかけた地味な姿勢のまま、両手にコーヒーカップを持った状態で完全にフリーズする。


店内の隅で、晋だけが「やるねぇ」と言わんばかりに薄気味悪い笑みを浮かべて壁に背を預けていた。


静まり返る店内。


「……え? うそ、今、何が起きたの……?」


雛子が大きな目をさらに丸くして唖然とする。


「な、何ですの今の動き……!? あなた、人間……?」


麗華様も上品な口元をあんぐりと開けて固まっている。


店外では、透亜が盛大に片手で顔を覆って天を仰いでいた。


「……あのバカ翡翠。目立たないようにしろと言った先から、なんて派手な大立ち回りを……」


「ぶはっ!! いや、今のは無理だって透亜! 随伴員の動きじゃないでしょアレ! 超おもしれー!」


晃がお腹を抱えて大爆笑し、凪は目をキラキラさせて店内に駆け込もうとしている。


「すごい! 翡翠ちゃんすごーい!」


店内では、周囲の有象無象の痛いほどの注目を浴びながら、翡翠が、蚊の鳴くような声で必死の言い訳を繰出していた。


「ち、違います……! これは、ただの……神城家のお世話係に代々伝わる……えっと、お盆回しの、練習の成果でございまして……っ!」


「そんな伝統、聞いたこともありませんわよ!?」


麗華様のまっとうなツッコミが響き渡る中、翡翠は助けを求めるように、窓の外で頭を抱えている主(透亜)を、眼鏡の奥から涙目で切実に見つめるのだった。







おまけ(神城の屋敷・透亜の私室)


あのパンケーキショップの大騒動から数時間後。


神城の屋敷にある透亜の私室。


ソファに深く腰掛ける透亜の前に、翡翠は先ほど店からテイクアウトしてきた特製パンケーキの箱を恭しく捧げ持っていた。


「透亜様。


先ほどは店内で派手な立ち回りをしてしまい、大変申し訳ありませんでした。


お詫びと言ってはなんですが、こちら、毒味はすでに完了しております」


「はぁ……まぁ、麗華の被害が出なかっただけ良しとするよ。次からはもう少し自重してくれ」


頭痛をこらえるように額を押さえる透亜。


すると、翡翠は真顔のまま、フォークで生クリームとイチゴが乗ったパンケーキを器用に一口大に切り分けた。


そして、昼間に雛子がやっていた動きを脳内で完璧に再生しながら、信じられないほど綺麗な所作でそれを透亜の目の前に差し出した。


「では、日中の『お嬢様仕草』の復習も兼ねまして。――透亜様、あーんでございます」


「はぁ?! 」


透亜の動きがピタッと止まる。


真剣なまなざしを向けて「あーん」を要求してくるバカ翡翠。


昼間、雛子にされそうになっていたあれを、今、自分の部屋で、二人きりの空間で翡翠が自分にやっている。


(な、何を考えているんだこのバカ翡翠は……!


そもそも、僕がこんな子供騙しの、ギャルのノリに流されるとでも――)


「透亜様?


早くお口を開けていただかないと、生クリームの自重でイチゴが落下します。


……はい、あーん」


「……む、」


至近距離から見つめられる翡翠のまなざしに耐えかね、透亜は完璧なポーカーフェイスを維持したまま、観念したように小さく口を開けた。


ぱくり、と上品にパンケーキが口に運ばれる。


「お味はいかがでしょうか、透亜様」


「……普通だ。甘すぎる」


声音こそ冷ややかで、表情には一ミリも動揺を見せない、どこまでも不気味なほどに不機嫌そうな主のそれ。


しかし心の中では一ノ瀬雛子に賞賛の拍手を送っていた。


翡翠はその無表情な主を見つめながら、


「これほど甘いものを無表情で咀嚼されるとは、やはり透亜様の味覚の許容量を超えて、脳に深刻な負担がかかっているのでは……?」


と、どこまでも見当違いな心配をして、手元のノートに


『パンケーキ:透亜様には甘すぎる(主の健康のため、今後の毒味の強化が必要)』


と大真面目に書き留めるのだった。


第21章をお読みいただきありがとうございました!

ハプニングからの翡翠の大立ち回り(とお盆回しの言い訳)、そして裏での晋との一瞬の攻防を楽しんでいただけていたら嬉しいです。

ラストの屋敷での「あーん」は、透亜のポーカーフェイス維持の限界との戦いでした(笑)。

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