第十四章 真紅の首輪
いつもお読みいただきありがとうございます!
前回、晋との一戦で怪我を負ってしまった翡翠。
圧倒的な武力を誇る彼女が傷ついたことに、透亜の胸中は静かな怒りと「名前のつかない感情」で大荒れです。
今回は、そんな透亜が翡翠にある「お守り」をプレゼントするところから始まります。
暗闇に閉ざされた戦場で、透亜の超頭脳と翡翠の身体能力が、最高に熱いコンビネーションを魅せます!
今日の透亜様もツンデレ全開です。
それでは、本編をどうぞ!
神城の迎えの車内。静まり返った後部座席で、透亜はタブレット端末の画面に冷徹な視線を落としていた。
「――ええ、九条麗華から父親への紹介状を取りました。これで約束の物流ルートのデータへアクセスできます。これ以上の無茶振りは受け付けませんよ、一馬兄さん」
通信の向こうで、兄の一馬が「へえ、本当にあの我儘令嬢を動かしたんだ。やるねえ透亜」と皮肉交じりに笑う。
透亜は「あなたの暇つぶしに付き合っただけです」と冷淡に言い放ち、通話を切った。
ふう、と小さく息を吐き、隣に座る護衛へと視線を向ける。
翡翠はいつものようににっこりと無邪気に笑っているが、その左手が、妙に制服の袖を気にしていることに透亜は気づいていた。
「翡翠、袖をまくれ」
「え? な、何ですか?」
「まくれと言っている」
透亜は有無を言わせぬ口調で、翡翠の手首を掴み、制服の袖を押し上げた。
白い肌が露わになった瞬間、透亜は息を呑んだ。
細い腕に、男の指の形がありありと残る、生々しい赤色のあざ。
(こいつが……怪我をした?)
幼い頃から、翡翠の圧倒的なスピードと武力を誰よりも近くで見てきた。襲い来る敵を瞬時に制圧する彼女が、こんなに明らかな傷を負わされたことなど、今まで一度もなかったのだ。
透亜は顔をしかめ、車に常備してある救急箱から消炎の軟膏を取り出した。
「透亜様、自分でやりますから――」
「大人しくしてろ」
透亜は翡翠の言葉を遮り、驚くほど手際よく、スマートな手付きであざに薬を塗り、包帯を巻いていく。
その無駄のない動きとは裏腹に、透亜の瞳の奥には、静かで深い怒りが揺らめいていた。
翡翠は申し訳なさそうに身を縮めていたが、ふっとニシシと悪戯っぽく笑った。
「そんなに怖い顔しないでください、透亜様。やられた分は、ちゃんとやり返してやりましたから! 晋の奴にも、同じくらいのあざができてますよ!」
自分の武力と護衛としての仕事を誇るような、その笑顔。
それを見た瞬間、透亜の胸の奥がズキリと疼いた。
(……くそ、むかつくな…)
自分の護衛を傷つけられた悔しさと、何もできなかった自分への情けなさ。
胸の奥に渦巻く、この名前のつかない酷くイライラする感情の正体を、今の透亜はまだ深く考えてみるつもりはなかった。
ただ、自分がもっと知恵を働かせて、彼女が戦う必要が最小限になるように、完璧なチェス盤を組むしかない。それだけを心に誓う。
「……九条の父親が使うサロンへ向かう。これ以上あいつらに舐められているわけにはいかないからな」
「はい、透亜様!」
その日の夜、神城の屋敷の、透亜の自室。二人きりの静かな空間。
「翡翠、ちょっとこっちへ来い」
デスクでの作業を終えた透亜に呼ばれ、翡翠は「はい?」と首を傾げながら歩み寄る。
透亜はポケットから、小さなベロアの箱を取り出し、翡翠の前に差し出した。
「……これを持っていけ。お守りだ」
翡翠が不思議そうに箱を開けると、そこには、小ぶりな真紅のピアスが収められていた。
翡翠の耳たぶには、小さなピアスの穴が空いている。
けれど、護衛という立場のせいで、彼女がアクセサリーを身に付けることは決してなかった。
そんな彼女の耳元を、透亜は常々見ていたのだ。戦闘の邪魔に決してならない、小さな、けれど確かな輝き。
「え……これ、私が、頂いても良いのですか?」
翡翠の大きな瞳が、驚きで丸くなる。
「耳、貸せ」
透亜はぶっきらぼうに言うと、翡翠の側に一歩近づいた。
器用な手つきで、そっと翡翠の耳たぶにピアスを通す。触れた指先から、お互いの体温が跳ね上がるのが分かった。
翡翠の黒い髪、そして白い肌。そこに、透亜の贈った真紅の輝きが、信じられないほど鮮やかに、そして綺麗に映える。
透亜はパッと手を離すと、わざとらしく顔を背けた。
「外すなよ」
耳たぶをほんのり赤くした翡翠は、真紅のピアスにそっと手を触れ、心の底からの笑顔を咲かせた。
「はい! ありがとうございます、透亜様。一生、大切にします!」
後日。
車は、九条財閥が経営する会員制の高級喫茶サロンへと到着した。
一般の学生が立ち入れる場所ではないが、透亜が受付で麗華の紹介状を提示すると、すぐに奥の個室へと案内された。
重厚な扉を開ける。だが、そこに九条の父親の姿はなかった。
代わりに、先回りして書類を優雅に整理していたあの男――晋が、にこやかに立っていた。
「おや、透亜様。お嬢様の紹介状をさっそく使うなんて、行動が早いですねぇ」
直後、晋がパチンと指を鳴らす。
同時に部屋の照明が完全に落ち、それと同時に、透亜の前方にある個室の自動ドアが強制的に閉まった。
晋の狙いは、最初から「透亜を傷つけずに、護衛の翡翠だけを叩き潰すこと」だった。
神城の本家の人間である透亜に手を出せば、九条家でも言い訳が立たない。
だからこそ、透亜を一歩手前の安全な廊下に閉め出し、部屋に入った翡翠だけを無力化しようとしたのだ。
真っ暗闇になった個室に取り残される翡翠。
直後、暗視ゴーグルをつけた九条の私兵たちが、音もなく翡翠に襲いかかる。
完全な闇。いくら身体能力の高い翡翠でも、視界を奪われ、複数の敵に囲まれては一瞬の遅れを取る。
敵の凶器が翡翠に届こうとした、その絶体絶命の瞬間――。
『――右だ。3秒後に伏せろ』
「っ!?」
翡翠は目を見開いた。どこからともなく、耳元から直に、信じられないほど冷静な透亜の声が響いたのだ。
だが、ハッとした翡翠は、条件反射でその指示通りに身体を伏せる。直後、彼女の頭上を敵の警棒が空を切った。
『そのまま左へ回し蹴り。……よし、次は背後だ。僕のカウントに合わせて動け』
(透亜様の声……まさか、このピアスから!?)
驚きながらも、翡翠の身体は迷いなく動く。
閉め出された廊下で、透亜は手元のタブレットを高速で操作していた。
部屋に入る前、事前にサロンのセキュリティに仕込んでおいた監視プログラムが作動している。
赤外線モードに切り替えた部屋の防犯カメラ映像を手元で確認しながら、透亜はピアスの超小型通信機能を使い、闇の中の翡翠へ的確なナビゲーションを送り続けていたのだ。
透亜のナビにより、暗闇の中で私兵たちを次々と返り討ちにしていく翡翠。
その異常な連携の早さに、暗闇の奥にいた晋が、面白そうに目を細めた。
「おや……どこからか指示でも飛んでいるみたいだね。面白い」
気配を殺して肉薄してきた晋が、翡翠に向けて鋭い一撃を放つ。
『翡翠、真上だ! ガードしろ!』
透亜の声と同時に、翡翠は両腕を交差させて晋の蹴りを受け止めた。
暗闇の中で激しい衝撃音が響き渡り、互いの体術が火花を散らすように交錯する。
重い一撃を交わし合い、翡翠の鋭いカウンターが晋の頬をかすめた。
チッと小さく舌を打ち、晋は軽やかにバックステップを踏んで距離を取る。
「あらら、失敗か。これ以上は私の分が悪そうですねぇ。神城の坊ちゃんを、少々甘く見すぎていたようだ」
これ以上の深追いは無意味と悟ったのか、晋は私兵たちを連れて、闇に紛れるようにして楽しそうにその場から撤退していった。
その直後、部屋のロックが強制解除され、照明が戻る。
中に入ってきた透亜は、息を整える翡翠の安否を確認すると、すぐさま部屋の奥にあるサロンの管理サーバーへと歩み寄った。
「透亜様……?」
「このサロンのシステムをジャックしたついでだ。九条の父親が隠していた密輸ルートの裏データと、奴の動向スケジュール、すべて今ここで僕の端末にブチ抜いた。……が」
画面に流れる膨大なデータを高速で精査していた透亜の眉が、ピクリと不快そうに跳ね上がる。
「……チッ。あの狐め、一部の核心的なデータをフェイクに差し替えていやがったな。九条家を今すぐ完全に社会的に潰すまではいかないか」
だが、透亜はすぐにいつもの冷徹で不敵な笑みに戻った。
「まあいい。一馬兄さんが九条側と有利な『交渉』を進めるための外交カードとしては、これでもお釣りが来るレベルだ。
…及第点、ギリギリ合格といったところだな。」
少し悔しそうな透亜に向かって、翡翠が真剣な表情で言った。
「……透亜様、晋には気をつけて下さいね。
あいつ、笑いながら人を痛めつけるやつです。即死なんてさせてもらえませんよ」
「ふん、望む所だ」
サロンを後にし、帰りの車内。
一息ついたところで、翡翠がジト目で透亜を詰め寄っていた。
「……透亜様。そういえば、あの時なんで私の状況が全部分かったんですか? まさか……ずっと盗聴してたんですか!?」
透亜はタブレットから目を離すことすらなく、平然と言い放つ。
「まさか。
プライバシーの侵害だろ、僕はただ、九条の防犯カメラの映像と音声を拾って、お前の戦闘スタイルからすべてを予測して指示を届けただけだ。
僕を侮るな」
「う、うう……。じゃあ、あの時だけ、偶然繋がったんですか……?」
透亜の口八丁に、翡翠はすっかり言いくるめられそうになっている。
そんな翡翠の様子を見て、透亜はフイッと前を向いたまま、小さなリモコンを翡翠の手の平にポン、と落とした。
「む? なんですか……?」
「……それはそのピアスのオンオフスイッチだ。普段は切ってある。お前の間抜けな独り言なんて、一秒も聞きたくないからな」
「!やっぱり、これそうゆうやつじゃないですかっ!
独り言なんて言いませんよ!
……じゃあ、これは何のために?」
透亜は窓の外を見つめたまま、ぶっきらぼうに、けれど確かな熱を込めて告げた。
「必要になったら入れろ。……僕の護衛が傷つくのは不愉快だ。チェス盤の裏からでも、僕が引きずり戻してやる」
そのひねくれた、けれど特大の過保護が詰まった言葉に、翡翠は一瞬呆気に取られた後――すぐにその真意を見抜いて、にへらと嬉しそうに笑った。
「……はい! ありがとうございます、透亜様!」
翡翠は真紅のピアスにそっと触れる。
透亜からの贈り物に違いはないのだ。
窓から差し込む夕日が、二人の影を静かに、そして甘酸っぱく重ね合わせていた。
「でも、最初から機能のこと教えてくれてもよかったのに…」
最後までお読みいただきありがとうございます!
透亜様、翡翠への独占欲と守りたい欲が隠しきれていませんね。翡翠もその不器用な優しさをちゃんと分かっていて、最後の「にへら」とした笑顔がたまりませんね。
一部データをフェイクに差し替えていた晋との化かし合いは、今後さらに激化していきそうです。神城の主従コンビをこれからも応援したい!と思ってくださった方は、ぜひ作品への感想や、
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