第十章 檻の外の飼育箱
いつもお読みいただきありがとうございます!
今回からいよいよ新章「学園編」がスタートします。
神城の本邸に呼び出された二人。長男・一馬から告げられた新たな任務と、翡翠の過去に関わる不穏な影とは……?
14歳の主従の戦いを、ぜひ見届けてください!
神城の本邸。その一室に漂う重苦しい空気は、四年前の査問会と何も変わっていない。
十四歳になった透亜と翡翠は、絶対的な権力者である長男・一馬の前に呼び出されていた。
「――外部のハエどもを、ずいぶんとスマートに片付けたらしいな、透亜」
上座で気怠げに尋ねる一馬の言葉に、透亜は眉ひとつ動かさなかった。
本邸の大人たちには完全に伏せて動いていたはずの、先日の極秘交渉。それが一馬に筒抜けだったということは、最初から泳がされ、監視されていたということだ。
「……ですが、カモフラージュとしては不合格でした。こちらの猟犬の動きが少々目立ちすぎたので、処分に困るゴミが増えただけです」
透亜は完璧なポーカーフェイスを保ったまま、冷淡にそう言い放った。
その瞬間、隣に控えていた翡翠が、ショックを受けたように丸い目をさらに大きく見開いた。
「そんな風に思っていたのですかっ」と言いたげな、少し傷ついたような視線が透亜に刺さる。
透亜はそれを視界の端で捉えながらも、頑なに無視を貫いた。
一馬は、蛇のような目で二人をじっと観察し、低く愉しそうに笑った。
「ふん、まぁいい。だが透亜、猟犬に余計な色を仕込むなよ。……道具が鈍る。」
ピキリ、と室内の空気が凍りつく。
一馬の冷徹な目は、翡翠の髪に残る丁寧なヘアセットの痕跡や、肌の僅かな匂いから、部屋の裏で行われた二人の秘密をすべて見抜いていた。
「道具は道具らしく、血を流させておけばいい。……ちょうどいい、お前に次の『盤面』を用意してやった」
一馬が机の上に放り投げたのは、透亜が籍を置いている、国内屈指の名門校の資料だった。
「その学校に通う、他財閥の生意気なガキをハメてこい。神城の利権に色目を使っている。
……お前にとっては簡単な学校ごっこだろうが、今回はそのガキの『後ろ盾』が少し特殊でな。隠密集団『狐狸』――そこの人間が、あちら側の護衛として学園の裏に潜み始めている。
しかも……」
一馬は視線を透亜から外し、その一歩後ろに佇む翡翠へと、ねっとりとした悪意のある目を向けた。
「同門の、なじみの狐が相手だぞ。身内同士、どちらが優秀か見ものだな」
「――ッ」
その言葉が落ちた瞬間。
翡翠の身体が、微かに、けれど明確に恐怖と動揺で強張った。
(……? 翡翠……?)
透亜はポーカーフェイスを維持したまま、視線だけで隣の影を盗み見た。
透亜にとって翡翠は「狐狸として幼少期から徹底的な隠密教育を受けてきた優秀な子供」だ。
それ以上の素性も、家族がいるのかどうかも透亜は知らないし、翡翠が話したくない過去なら無理に聞くつもりもなかった。
だが、一馬の言う『なじみの狐』とはどういう意味なのか。なぜ、いつもならどんな任務でも平然とこなす翡翠が、これほど怯えているのか。
胸の奥に、得体の知れない不快なざわめきが広がっていく。
一馬は、翡翠のその反応を愉しむように口元を歪めた。
「透亜、久しぶりに学校へ行け。神城の力を外へ示す、良い機会だ」
一馬の底冷えするような悪意のテスト。
透亜はすべてを察しながらも、いつもの完璧な人形で微笑み、深く頭を下げた。
「承知しました、一馬兄さん」
翌朝。離れの部屋で、透亜は名門校の仕立ての良い制服に袖を通していた。
鏡の前でネクタイを締め直しながら、背後に立つ翡翠を振り返る。
翡翠もまた、透亜の「お付きの護衛」として校内へ入るため、同じ学校の女子生徒用の制服を着ていた。
いつもの黒い長袍ではなく、仕立ての良いブレザーとプリーツスカート。
いつもなら「お洋服、すごいです!」と無邪気に喜ぶはずの彼女が、今は青ざめた顔で、じっと自分の手のひらを見つめていた。
その様子が、透亜には無性に気に入らない。
「……翡翠」
「!っはい。透亜様」
「お前は僕の猟犬だろ。それとも、よその狐の遠吠えに怯えて、腰でも抜かしたか?」
わざと冷たい、あまのじゃくな言葉。
けれど透亜は一歩歩み寄ると、怯える彼女の正面に立った。
そして、昨日のお化粧の時と同じように、驚くほど器用で優しい手つきで、翡翠の制服の乱れたリボンをきれいに結び直してやった。
ブレザーの襟をトントン、と指先で整え、そのまま少し乱れていた彼女の髪へと手を伸ばす。
さらりとした黒髪に指を滑らせ、優しく形を整えていく透亜。言葉のトゲとは裏腹の、あまりにも丁寧な労わり。
「お前を動かすのは僕だ。……どこの馬の骨だか知らない組織の狐に、僕の所有物を触らせるわけないだろ。シャキッとしろ、馬鹿」
至近距離で見つめる透亜の瞳の奥には、一馬にも、まだ見ぬ敵にも自分のものは渡さないという、強い意思が見てとれた。
翡翠はその瞳を見て、ハッと息を呑む。
透亜の不器用で、けれど絶対的な言葉が、彼女の震える心を確かに繋ぎ止めた。
翡翠はいつもの無邪気な強さを取り戻そうとするように、にこ、と少し無理をして小さく笑った。
「はい。私は、透亜様だけの猟犬ですから!」
神城の闇を飛び出し、光の当たる名門学園へ。
透亜も知らない翡翠の隠された過去。14歳の二人の、本当の戦いが幕を開ける。
最後までお読みいただきありがとうございました。
思春期に入った透亜様は、ツンデレが半端ないですね!
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