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第九章 思春期の攻防

査問会から、四年。


十四歳になった透亜は、神城の一族において、もはや誰も無視できない「若き怪物」としての頭角を現し始めていた。


少年のあどけなさをやや残しながら、冷徹な知性を宿した美貌は、神城の血筋そのものの鋭利さを放っている。


そして、その影として従う翡翠もまた、十四歳ほどの容姿になっていた。


透亜は現在、財界の子息が集まる名門中高一貫校に籍を置いているが、本邸に家庭教師を呼んでいるため、滅多に登校はしない。


けれど、手続きの際などに翡翠を「護衛」として同行させたことがあった。


そこで見かけた、同年代の普通の少女たち。


お喋りに花を咲かせ、綺麗な服に一喜一憂する、眩しいほどの『普通』の世界――。


神城の闇で、戦う道具として生きてきた翡翠にとって、それは胸の奥に小さな憧れを灯すのに十分な光景だった。


そして今日、透亜には神城の大人たちに伏せた、外部企業との極秘の接触という外出の用事があった。


「今日の目的は情報収集だ。本邸の大人たちには、僕が『休日に友達と遊びに行く』と思わせておかなければ動きづらい。


相手側にも警戒心を与えず、ただの子供の連れだと油断させるためのカモフラージュだ。


お前がいつもの物々しい格好をしていたら、一発で神城の猟犬だとバレるだろ」


そう言って透亜が机の上に置いたのは、丁寧に包装された大きめのボックスだった。


「?何ですか? もしかして、新しいお団子の詰め合わせですか!?」


「そんなわけないだろ。いいから開けろ」


「?」


翡翠が不思議そうにリボンを解き、箱の蓋を開ける。


中から現れたのは、上質な生地で仕立てられた、美しいペールブルーのワンピースだった。


「これ……お洋服、ですか?」


「仕立て屋がサイズを間違えて作ったんだよ。捨てるのも勿体ないし、うちでそんな服が似合いそうなのはお前くらいだ。


いつも黒い服ばかりじゃ僕の専属護衛として見栄えが悪い。……早く着替えてこい。主の命令だ」


一気にまくしたてる透亜の表情は、完全にいつもの無表情だ。


サイズを間違えたなど真っ赤な嘘で、透亜が目を皿のようにして翡翠の体型を測り、特注させたものだったが、そんな気配は微塵も出さない。


「えっ!私に…ですか?」


翡翠はドレスを両手で持ち上げ、まじまじと見つめた後、嬉しそうにパッと笑った。


「わあ、すごいです! ありがとうございます、透亜様! さっそく着てきますね!」


いつもの無邪気さでドレスを抱え、翡翠はスキップでもしそうな勢いで別室へ駆け込んでいった。




しかし、十分後。


「……あの、透亜様。やっぱり、私には……」


消え入るような声と共に現れた翡翠は、居心地悪そうに、ワンピースから露出した自分の両肩を隠すように抱きしめていた。


ノースリーブの涼しげなデザインだからこそ、そこには、過酷な訓練によって刻まれたいくつかの淡い傷跡が白く浮かび上がっていた。


普通の女の子に憧れながらも、自分は決して普通にはなれないのだという現実が、彼女の瞳を少しだけ翳らせる。


それを見た透亜は、表情を変えないまま、小さく息を吐いた。


「そこにある僕の鞄から、茶色の小箱を持ってこい。」


翡翠が怪訝そうに取り出したのは、ファンデーションやコンシーラーが入ったパレットだった。


「……大人の交渉事に臨む際、僕の顔色を偽装するために裏で用意させておいた。」


透亜は翡翠の前に立つと、少しだけ乱暴に彼女の手首を掴んで引き寄せる。


「動くなよ」


透亜は迷いのない手つきでパレットからクリームを取ると、翡翠の華奢な肩へと触れた。


驚くべきは、その手際の良さだった。男の子の、しかも14歳の触れ方とは思えないほど無駄がなく、指先の繊細なコントロールだけで、みるみるうちに白い傷跡が肌に溶けるように消えていく。


「……えっ。透亜様、すごいです。消えました……!」


「うるさい、動くなと言っただろ。……仕上げだ、お前のそのボサボサの髪もカモフラージュの邪魔になる」


透亜は鞄から細いコーム(櫛)と小さなヘアピンを取り出した。


少し伸びて首筋にかかっていた翡翠の髪を、流れるような美しい手つきで梳かしていく。


一本の狂いもなく髪を分け、パールのついた小さなピンで、ワンピースのデザインに合わせて上品にハーフアップへと整えてみせた。


「できたぞ。思った通り、全然似合ってないな」


あまりにも完璧でプロフェッショナルな仕上がりに、翡翠は鏡を見て「おぉお……」と声を漏らし、まじまじと自分の頭を触った。


「透亜様、いつの間にこんな技術を……!? もしかして、裏で美容師の特訓もされているのですか?」


「するわけないだろ。チェスの駒を指すのも、書類を捌くのも、お前の髪を整えるのも、僕にとっては同じ『精密作業』なだけだ。ほら、行くぞ」


透亜は完璧なポーカーフェイスのままパッと手を離し、鞄を掴んで先に部屋を出た。ただ、翡翠の肌に触れていた指先を、ポケットの中で少しだけ強く握り締めていた。


鏡に映る、見違えるほど綺麗に整えられた自分を見て、翡翠は「やっぱり透亜様は天才ですね!」と、いつもより背筋をピンと伸ばして歩く主の背中を追って、くすくすと無邪気に笑った。




待ち合わせ場所に指定したのは、若者や家族連れで賑わう、都心のオープンカフェだった。


テラス席に一般の客を装って座り、透亜は14歳とは思えない冷徹な交渉術で、相手から必要な情報を引き出していく。


翡翠は隣で、運ばれてきたチョコレートケーキを「うぉおいしいです!」と無邪気に頬張りながらも、周囲の警戒を怠らない。



――しかし、アクシデントは交渉が完全に終わった直後に起きた。


サインを終えた相手の男が席を立った、その瞬間。


カフェの賑わいを切り裂くように、周囲の数人の「客」が突如として立ち上がった。


懐から特殊警棒やナイフを抜き払う。神城の敵対派閥が差し向けた、透亜の拉致を狙う実力行使の部隊だった。


「チッ……! 囲まれたか」


透亜が身構えた瞬間、翡翠が音もなくその前に滑り込んだ。


今の彼女はワンピース姿だ。


だが、翡翠の動きに一切の迷いはなかった。彼女は自分が「スカートを履いていること」を瞬時に計算に組み込む。


「――っ」


鋭い踏み込み。翡翠は相手の懐へ一瞬で潜り込むと、ワンピースの裾をわずかにひらりと揺らしただけで、最短距離から男の顎へ鋭い掌底を突き上げた。


ゴン、と鈍い音が響き、一人目が崩れ落ちる。


無駄のない、あまりにもスマートな暗殺術の歩法。


ナイフを突き出してきた二人目の腕を、翡翠は最小限の動きでいなし、すれ違いざまにその膝裏を的確に踏み抜いた。関節が外れる音が響く。


その一連の動作は、流れるように美しく、洗練されていた。


されていたのだが――。


(……いや、スマートだけど! 動きが最小限すぎて、逆に布地がタイトに体に張り付いてラインが全見えだろバカ!!)


透亜は何でもないふりをしつつも、心の中で大パニックを起こしていた。


敵の刃物よりも、翡翠のワンピースがそのしなやかな身体の曲線をこれでもかと強調していることに、人生で一番の冷や汗を流している。


普通の女の子として仕立てた服だからこそ、激しい戦闘の動きをすれば、どうしても生地が引っ張られてしまうのだ。


「そこ、――!」


翡翠が背後の敵の喉元へ、目打ちの突きを放つ。その背中のラインが、透亜の特製化粧を施した肩と共に美しく躍動した。


「翡翠、もういい、それ以上動くな!!」


「えっ!?」


わずか十数秒。


襲撃犯たちが全員、声を上げる間もなく床に沈んだ頃、透亜はいつもの無表情のまま、けれど恐ろしい速さで自分のジャケットを引っ掴み、翡翠の肩へと乱暴に羽織らせた。


「透亜様……? 敵はすべて無力化しましたが……」


翡翠は首をこてんと傾げ、ジャケットの襟に埋もれながら不思議そうに主を見上げた。


「やっぱり、普通の服は少しだけ動きの制限がかかりますね。でも、お化粧のおかげで、普通の女の子としてあなたを守れました!」


嬉しそうに、にへらと笑う翡翠。


透亜は彼女から視線をそらし、ジャケットの襟をさらにきつく引っ張って彼女の顔を半分ほど隠すと、いつもの冷徹な声で言った。


「……うるさい。守り方は合格だけど、カモフラージュとしては最低だ。心臓に悪い。もういい、帰るぞ。二度とこんな服着せるか」


「えぇーっ!? せっかく綺麗にしてくれたのに、なんでですかあ!?」


スタスタと早足で歩き出す主の背中を、翡翠は今度はしっかりと服の乱れを気にしながら、「待ってくださいよー」と小走りで追いかけるのだった。


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