39. 依頼達成
「はい。これにサインして」
「分かりました」
内容を読み込み、借りたペンで名前を書く。
「書けました」
「うん、大丈夫だね」
確認した彼女はファイルにそれを仕舞う。
目が合い、ふと瞳が細められる。
「これからよろしくね、黒沢君」
そう言った彼女は、とても綺麗に微笑んだ。
***
「ほんっとうに、申し訳ありませんでした!」
連続誘拐事件の黒幕が奴隷商だった、そんな驚きの真相は、あっという間に街中に広がった。
それから数日、ルシャージャの事務所に若い男性の声。二重の謝罪が響く。
「ちょっと」
眉に皺を寄せたルシャージャが顔を上げる。
「五月蠅い。近所迷惑」
冷たく言うと、手元の本に目を落とした。
「あ、すみません・・・。でも、本当ごめんなさい」
頭を下げる彼は莉里よりも背が低く、かなりの童顔だ。
あの日、囮として攫われる筈だった兵士。
「いえいえ、確かにびっくりはしましたけど・・・でも今は、こうして無事なので。お気になさらず」
「いや、ほんとすいません。可笑しいとは思ったんすよ。あんな大音出す、なんて言われてなかったし・・・。あの時、気づいてたのに助けられなくて申し訳ないっす」
もう一人はあの日、検問を担当していた兵士。
「でも、僕が動いちゃったのが原因ですし。囮役の方だと勘違いしちゃうのは仕方ないですよ」
必死な大人二人の様子に、苦笑が漏れた。
そりゃあ、あの時はどうしてって思ったけど。
今は衣食住揃った状態で安全に生活できているし、あまり気にしていない。
終わり良ければ総て良し、って事で。
余談ではあるが、口にした時ルイスに伝わらなかったのは地味にショックだった。
「邪魔すんぞー」
昼過ぎ、緩い声と共に入って来たのはルイス。何かの箱を手に持っている。
「あ、ルイスさん。こんにちは」
棚を拭く手を止め、振り返った。
「よう、坊主。ルシャージャ居るか?」
「はい、呼んできますね。ちょっと待っていてください」
「ありがとな」
からりと笑うルイスに、笑みが浮かぶ。
奥の資料室をノックし、声を掛ける。
「ルシャージャさん、ルイスさんが来ましたよ」
返事は特にないけれど気にしない。
扉が開き、ルシャージャが出てきた。
「ありがとう、黒沢君。ルイス」
来たんだと言いながら、ソファに腰掛けるルシャージャ。
「あ、今お茶を――」
「いや、お構いなく」
いつの間にかソファに座って寛いでいたルイス。
気付かなかった。
「え?でも」
「大丈夫だよ、黒沢君」
「そう、ですか?じゃあ、掃除の続きしてきます」
よく分からないけれど、大人同士話があるだろうし・・・離れた方が良いだろう。
事務所は一通り拭き掃除したし――生活スペースもして来ようか。
掃除道具を取り、階段を上がって行った。
「察しのいい奴だなあ、彼奴」
階段に消えて行った莉里の背を見つめながら、ルイスが言う。
「そうだね。賢い子だ」
ルシャージャも、静かに同意した。
「そうだ、これ。手土産」
机に乗せていた箱を、ルシャージャの方に押しやる。
「へえ、珍しい。ケーキか」
箱を開け、ちらりと中を見た。
「坊主と食べてくれや」
「どうも。ああ、そうだ」
立ち上がり、デスクに近付く彼女。
「これ、近日中に支払いよろしく」
一枚の紙が渡される。
「おう、分かった・・・って、は?」
「何。そんな間抜けな声を出して」
すました顔がこちらを向く。
「おま、これっ・・・なんで」
「なんで、って、何が?依頼料は払いなよ」
「いやまあ、そりゃあ払うけど。吹っ掛けるって、言ってただろ?」
料金の欄を指し、ルシャージャを見つめる。
契約書には、『金貨50枚』と記載されていた。
「うん。だから吹っ掛けたじゃない。最初は500か600万程にしようかと思ったのだけれど、別の形で報酬を受け取ったからね。其れは上乗せした迷惑料。それも充分、吹っ掛けているけれど」
「別の報酬・・・?一体」
なんだ、と続けようとした言葉は口から出る事無く消えて行った。
常に気怠げで、張り付けた微笑しか見せない彫刻のような顔が。目の前で、判り易い笑みを浮かべている。これは、非常に珍しい事だった。
ルイスは目を何度も擦るが、ルシャージャの顔は依然として笑みのままだ。
「黒沢君だよ。今回の誘拐事件。これのお陰で有能な助手が手に入った。これが、8割くらいかな。残りは、今日君が買ってきたケーキ」
「は、はあ?まあ、坊主は解る。けど、ケーキって・・・買って来ただけの、何の変哲も無いただのケーキだぞ」
「別の箱に詰め替えてはいるけれど、これ、ローズハウスの物だろう。高級店で、店前は常に長蛇の列。あと、中のシュガードームタルト。人気の品で、毎日午前中に完売する代物だ。クリームがピンクという事は、期間限定の苺味。苺味は数量限定」
「・・・えっ。んなことまで分かったのかよ。詰め替えたのに、何で」
「当たり前だろう、私なんだから」
さらりと言うルシャージャ。
んとに此奴は・・・。
「この町でシュガードームタルトを売っている店は幾つかあるが、何処もクリームは白。最近、ローズハウスが期間限定でイチゴ味を出していると、この間、花屋の奥さんから聞いた。ローズハウスを選んだのは、以前私が好きだと言ったから」
当たり前だと言わんばかりに話しているが、絶対に当たり前なんかじゃないだろ。
「ああ、そうだよ。お前がローズハウスのケーキが好きだから、其処にした。でも、何で花屋?珍しいな、花を買ったのか」
「買い物中に会っただけだよ。花は買ってない」
「そうなのか・・・。でも、これは俺個人の礼で、報酬のつもりは無かったんだが」
「なに、感動しただけさ」
ルシャージャが少し揶揄うように言う。
「元々人気の物。その別の味を期間限定で出している。しかも、数量限定。となれば、直ぐに売り切れるだろう。遅くとも、午前中。開店直後に殆ど売れるんじゃないか?それを君が買えたという事は、開店前から並んでいたという事になる」
ルシャージャの話は続く。
「ルイス。君は朝が弱いだろう。そして開店は9時。早過ぎる時間という訳でも無いが、仕事という起きる理由の無い君には中々に辛い時間だ。これを買うのなら、行列の前の方に居なくては難しい。並んだのは開店一時間から一時間半前くらいかな。そして、身嗜み等の用意も含めると起きたのは・・・遅くとも6時半。そんな時間に態々起きて買いに行ってくれたんだ。感動もするだろう」
唖然とした。ルシャージャの言う通り、ルイスがこれを買いに行った時――つまりは今日の朝だが、6時に起きたのだ。
「・・・ちょいちょい馬鹿にされている気がするんだが」
ルシャージャの発言に噛み付く。なんとも意味の無い行為だった。
「まさか。そんなつもり、ちょっとしかないよ。2割程かな」
「おい、あるのかよ」
「あはは、‘‘無い‘‘とは言っていないからね」
即座にツッコミを入れるルイスに対し、ルシャージャはけらけらと笑った。
「まさか、私が好きなの覚えているとはね」
「おう、そりゃあ」
「君の脳に入る隙間が在ったとは。驚きだよ」
「おい。ルシャージャ。お前な・・・」
何時ものやり取りに、唇が弧を描く。
「さて、紅茶を淹れてあげよう。ケーキ、出しておいて。食器はいつもの場所」
「え・・・」
茶番が一段落し、ルイスが帰ろうとしたタイミング。思わぬ誘いを受けた。
「間抜け面。勿論、食べていくだろう」
何を驚いているのだと言わんばかりの顔でルシャージャが言う。
「ああ、そうだな」
きっとこの友人はルイスが帰ろうとしているのに気付いていた。
「ほら、突っ立ていないで用意して」
ルシャージャは何時の間にか水入りのポットを魔法で起こした火にかけ、茶葉の用意をしていた。
ルシャージャは飲み物を魔法を使わずに手動で淹れる。
何も特別な事はしていないらしいが、彼女の淹れる紅茶は美味しいのだ。ルイスは、自分の機嫌が上がって行くのを感じた。
それにしても、ルシャージャが紅茶を選択したのは意外だった。彼女は珈琲派だ。対するルイスは、紅茶派だった。
客人だから、気を遣っているのか。それか、ケーキの礼、という可能性もあるかもしれない。
「あ、三人分宜しくね。用意が終わったら、黒沢君呼んできて」
宝石のような瞳と目が合う。
青に数滴、紫を落とした摩訶不思議な色を閉じ込めた宝石には、愉悦が滲んでいた。
さては扱き使いたかっただけだな此奴。矢張り、愉快犯は愉快犯のままだった。
次話は続けて投稿。
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