37. これからの事
あの後、二人から保護者の名前や住所を聞かれたけれど、意味が無かった。
日本も東京都も、彼らは知らないと言う。
どうしたらいいかと悩んでいると、ルシャージャの事務所へ移動する事となった。
座り心地の良いソファに、落ち着いた色の家具で囲まれた事務所。
対面するソファに座るのはルイス。
「さて、と」
机に三人分の紅茶を置き、一人用ソファに腰を下ろしたルシャージャ。沈黙を破ったのは彼女だった。
「フルネームを聞いても?」
「あ、はい・・・。黒沢莉里です。高二」
「コウニ?」
なんだそれは、と怪訝そうに言うルイス。
「高校二年生――えっと、十六歳です」
「十六?大人びた坊主だと思ってたが・・・幼く見えるな」
苦笑する。
そんなはっきり言わなくても。分かってはいるけどさあ。
「ふうん。クロサワ、なんて変わった名前だね。姓の方が短いというのも珍しい」
「うぇっ!?・・・あ、えと、逆です、逆。えっと、だから、・・・リサト・クロサワ・・・?に、なるのかな」
「なんだ、そうなのか。クロサワが姓でリサトが名前、でいいのかな」
「は、はい。すみません・・・」
「いや、面白いね。では、改めて提案を」
なんだろう。
「黒沢君。君、私の許で働かない?」
「へ?」
「は、おい」
素っ頓狂な莉里の声と、戸惑ったルイスの声。
混乱を招いた本人は、此方を気にした様子も無く続ける。
「助手、かな。衣食住と給料の保証はする。当たり前だけどね」
「あ、え・・・?」
「ちょ、ルシャージャ」
「三階は生活スペースでね。開いている部屋を渡すから、好きに使ってくれていいよ」
(わあ、好待遇・・・ってそうじゃない!)
「す、ストップ!ルシャージャさん待って」
「ん、何?」
長い睫毛を瞬かせるルシャージャ。
「なんで、ですか?あ、いや・・・ありがたいんですけど。でも」
此方に都合が良すぎないだろうか。いきなり異世界に来て、身寄りも何も無い状態では渡りに船だから。
でも、ルシャージャ側のメリットを感じられない。
「ああ。少年、馬鹿じゃないでしょう。だからだよ」
自分が馬鹿だとは思わないけれど・・・。
「だから?どういう事だ、ルシャージャ」
「ルイスは黙っていて。邪魔だから」
最後は余計じゃないだろうか。
「んだと」
頬を引き攣らせたルイス。
「ま、まあまあルイスさん。落ち着いて」
苦笑いで宥めつつ、頭を働かせる。
ルシャージャが世辞を言うとは思えない。そして、彼女の性格からして同情も考えにくい。莉里の事はルイスに任せればいいだけなのだから。
もしかして、
(本当に、助手が欲しいだけ・・・?)
あ、そっか。
「効率を上げる為、とかですか?雑用とかをこっちに任せて」
「正解。うん、矢張りね。頭の回転が速い」
目を細め、満足そうに頷くルシャージャ。
期待通りの回答だったらしい。
ほっと息を吐く。
ルイスは不思議そうな顔だが、言われた通り黙っている。口を挟みたそうにそわそわしていた。
地味に気になる。
「でも、なんで僕なんですか?自分で言うのもなんですけど、怪しいでしょ」
異世界から来た人間なんて、怪しさの塊だろう。素性も分からないというのに雇おうとするなんて、普通ならしない。少なくとも莉里は。
それに、募集を掛ければすぐに集まるだろう。ルシャージャの容姿は勿論、頭だって良いのだから。
・・・顔目当ては、多少居るだろうけど。
「顔目当ては大抵無能。鈍間は要らないからね」
嫌そうな顔になるルシャージャ。なんとなく察した。
「君は」
視線を上げる。青に少しの紫を閉じ込めた不思議な瞳。混ざりそうで、混ざらない。宝石の様なそれが、莉里を見ていた。
「よく働くでしょう」
「え、なんでですか。違うかもしれませんよ」
全てを見透かしている様なそれに、ちょっとの反抗心が芽生える。
「働かないの?」
「いや、働きますけど・・・」
やるからにはちゃんとする。
「なら」
いいよと、ルシャージャは微笑んだ。
この人には勝てそうにない。
久し振りだった。莉里を言い負かせる様な、自分よりも自頭が良いだろう人に会ったのは。
「すぐに答えを出せとは言わないよ。明日また聞こう」
「短過ぎるだろ」
耐え切れなくなったのか、ルイスが口を挟んだ。
「へえ、ルイスにしては持った方だね」
「失礼な奴だな」
ルシャージャがルイスを煽るのは癖なのだろうか。
それにしても――明日、か。
「にしてもルシャージャ。明日は短いって。大事な事なんだから、ちゃんと考える時間を」
「いえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
――ルイスさん。
意識して微笑むと、ルイスの声が止まる。
「ルシャージャさん。返事って今でもいいですか」
首を傾げると、彼女は面白そうに目を細めた。
「どうぞ」
「はい。お願いします。僕を雇って下さい」
「オーケー、交渉成立ね。正式な契約は明日にしようか。今日はもう遅い」
時計に目をやる彼女。針は十一時を指していた。
「はい、分かりました」
「いいのか、坊主。此奴、人使い荒いけど」
「勿論です。やりがいのある仕事大歓迎。それに、これ以上ないくらいの好条件ですし」
衣食住の保証は大きい。
「お前さんが良いなら、俺はいいけどよ・・・何かあったら俺に言うんだぞ?」
本当に良い人だと思う。自然と笑いが零れた。
「ありがとうございます」
「忘れんなよ」
「はい。・・・ん、ふぁ」
笑うルイスを見ていると眠気が襲ってくる。欠伸を噛み殺すと、ルシャージャの方から小さく笑う声が聞こえた。
「今日はここまでにしようか。子供は寝る時間」
「そうだな。んじゃ、明日また来るから」
ルイスは冷めた紅茶を一気に飲み干し、立ち上がる。
「おやすみ、坊主。ルシャージャ。ちゃんと寝ろよ」
莉里の頭をポンポンと叩き、扉に向かう。
「はい。おやすみなさい、ルイスさん。夜道には気を付けて」
「また明日、ルイス」
片手を上げ、ルイスは事務所を出て行った。
冷えてしまったカップを手に取り、中を覗き込む。半透明の赤色。ストレートティーか。
「温める?あと、砂糖とミルク、使っていいよ」
黒い手袋の指先が示したのは、ミルクピッチャーとスティックシュガー。
「あ、ありがとうございます。お願いしてもいいですか」
有難く、甘えさせて貰おう。
「カップ、机に置いて」
言われるままに従うと、ルシャージャの指がカップに向けられる。
紅茶から――湯気が上った。
「わ・・・」
「どうぞ」
「あ、どうも」
手に取ると、間違いなく紅茶から湯気が出ている。
今のはまるで、
「魔法みたい」
「魔法だからね」
「そっか。魔法だから・・・え、魔法?」
ルシャージャに目を向けると、当たり前だという顔をしていた。
「あの、ルシャージャさん。もしかしてなんですが、この世界って魔法が在るんですか?」
「在るけれど、黒沢君のところには無かったの?」
「はい。空想上の物でした」
「そう。冷めないうちに飲んだら?」
「そうですね。いただきます」
ミルクと砂糖を入れ、軽く混ぜる。
口を付けると、飲みやすかった。
「ん、美味しい」
ミルクを入れたのもあるだろうけど、元々苦みが強くない物なのだろう。砂糖の甘さもちょうどよかった。
「紅茶、初めて飲みました」
「そうなんだ。此方だと一般的だけど」
矢張り、西洋なのだろうか。まあ、名前とか色々と海外だしな・・・。
というか、あれ。何で言葉が通じているんだろうか。
今更だが、ルシャージャの容姿で日本語を話される違和感が酷過ぎる。
「あの」
「何、どうしたの黒沢君」
「やっぱり、箒で飛ぶんですか?」
「飛ぶって、どういう?なんで箒?」
「いや、魔法が在るって言ってたし・・・空は飛ばないんですか?」
「そっちじゃなくて、なんで箒なの」
「空を飛ぶといえば箒かなって。・・・違うんですか?」
「うん。一々箒を用意するというのは面倒だろう。それに、空を飛ぶメリットも特に感じないね。歩いた方が落下のリスクも無いし魔力を消費する事も無い。なにより、道が舗装されているからね。今の所、空に道を作る程の技術は無い」
「そ、そう、ですか・・・」
異世界ギャップだ。夢が壊された。
確かに、わざわざ箒を探すのは手間だけどさ。
ぽつぽつと会話が続いていく。
温かい紅茶は、あっという間に飲み終わってしまった。
体が少しぽかぽかする。とろりと思考が溶けた。
「ん、・・・」
「ふふ、口を開けて」
「はい?」
どうしたんだろう。
「そのまま」
ルシャージャは立ち上がり、莉里の前に立つ。黒い手袋が莉里の顔を持ち上げた。
冷やりとしていて気持ちいい。
高そうだな、なんて考えていると口に清涼感が。
「歯を磨く前に落ちてしまいそうだから、今日だけね」
魔法。
「ありがとう、ございます」
ぼんやりとした頭で礼を言う。
「部屋に案内しよう。ついておいで」
優しい声に促され、彼女の後ろを追った。
しんと静まり返った部屋。莉里は、ふかふかしたベッドに腰を掛けていた。
ルイスが偶に使っているらしいこの部屋は、やや殺風景に感じられたが清潔に保たれている。
眠気で頭が回らない。
色々とありすぎて、何から考えればいいのか。
取り敢えず、莉里は死んでしまったらしい。ルシャージャが自分を返せるか試してくれたのだが、居場所が無いらしく駄目だった。
自分が死んだ事を自覚しても得に何か思う訳ではなかった。
こんなもんか、としか思えない。自分は認識していたよりも淡白な人間らしい。家族、友人に会えないというのも、生きているなら・・・死んでるけども、とにかく一生離れない、なんて事はあり得ないし。もう親友と呼べる存在と会えないのは悲しいと言えば悲しい、のか。悲しい・・・というよりかは残念、か。
我ながらさらっとしてるなと思う。冷たいと言われればそうなのかもしれないけど。案外、死んだ後に意識があると、皆こんなものなのかもしれない。過ぎた事を考えたり、後悔したってそれが変わるわけじゃない。過去は変わらない。変えられない。叶わないから、皆したがるんだ。簡単に叶うなら、誰も態々変えようとはしない。
変わらないって、ちゃんと解ってる。なら、それでいい。
ベッドに潜り込んだ。
枕も柔らかくて掛け布団は軽くて暖かい。
寝返りを打ち、目を閉じた。
寝れない。まだ興奮してる。
何度目かの寝返りを打った。
あれだけ眠たかったのに、目は冴えている。
まあそうか。色んな事があったんだし、それに、薬の影響とはいえ眠りまくったからなぁ・・・。
「・・・?」
(なんだろう・・・)
微かに音がした。出所は・・・窓。
この部屋を最初に見せてもらった時、その窓の大きさに驚いた。
そっとベッドから降りて、窓に近付く。
なんとなく、音を立てないように動いたのは夜だからだろうか。
カーテンを引くと、そこに居たのはルシャージャだった。
「え、」
ルシャージャさんと口から零れる。
(でも、なんで・・・)
ここ、三階だよね?バルコニーとか足場は、無いよね。・・・無いよね?
下に視線を移すと、彼女は箒に座っていた。
また、窓が叩かれる。
慌てて上を向くと、開けるよう口パクで指示された。
戸惑いつつも窓を開けると、するりと彼女が入って来る。
「あの、ルシャージャさん・・・?」
「矢張り起きていたね」
「あ、なんだか目が冴えちゃって」
「だと思った」
床に降りた彼女は、くすりと笑う。
「黒沢君、おいで」
「へ?」
腕を引かれ、そのまま――窓から飛び降りた。
「う、わあぁぁあ!?」
体が宙に浮く。
「良い反応」
ルシャージャは楽しそうに莉里を見つめる。
「ちょ、あのぉ!?」
呑気に話している場合じゃないって。
腕が強く引かれ、足の間に硬い何かが挟まれる。太めの棒――箒だ。
風を切る音に、目を強く瞑る。
頬を何かが撫でた。恐る恐る目を開けると、ルシャージャの背中。そして、白い髪。
「え、あの・・・これ」
「箒で飛んでみたかったんでしょう?残念そうだったから」
スカートだからか横座りで、体を捻った状態で前を見ている彼女。
気付かれていたのか。恥ずかしくなり、視線を彷徨わせる。
「ほら、下」
見てごらんと言うルシャージャの声は、楽しそうで。
「した?・・・わ」
目が輝く。
家や街灯の優しい灯りが目に飛び込んできた。範囲からして、相当高い位置を飛んでいるらしい。
「綺麗・・・すごい」
「喜んでもらえたみたいだね」
「っはい!ありがとうございます。本当、綺麗」
「割といいね。これ。2人で飛ぶにはさ」
楽しそうに笑う。
「まあ、君相手にしか使わないだろうけど。誰だって自分で飛べるから」
うぐぐ、と唸り声を上げる。
(・・・確かに魔法は使えませんけども)
皮肉たっぷりだぁ。けど、
「ルシャージャさん」
「何」
「ありがとうございます」
この人が心配して自分の様子を見にきてくれたのは、本当だから。
「私も楽しんでいるから別に。黒沢君、腕を回して」
「え、腕・・・ですか?」
「振り落とされたいなら別にいいけれど」
「失礼します!」
一回死んでいるとはいえ、怖い物は怖いし痛い物は痛い。
莉里の反応に笑うルシャージャ。長い白髪が風に靡いた。
のんびりと空を飛ぶ。
涼しい風が、心地いい。
ルシャージャは人をよく見ていると思う。
「ふ、あ・・・」
「そろそろ戻ろうか」
今だって。眠くなってきて欠伸を噛み殺した事に、気付いてくれた。
「・・・はい」
少し、名残惜しいけれど。
前から呆れたような溜息が聞こえた。
「また」
「?」
なんだろう。
「乗せて飛んであげるから」
ほら、やっぱり。
この人は、優しい。
「部屋に着くまで、寝ないでよ」
「はーい、頑張ります」
やる気のない莉里の返事に、苦笑した彼女は黙って速度を上げた。
***
別に、自分をお人好しだとは思わない。偽善だと、そう言われればその通りだ。こんな事、唯の自己満足にすぎない。その偽善に、彼を付き合わせているだけ。
それにしても、気まぐれにした誘いに乗るとは思わなかった。もし、彼が嫌だと言えば無理に引き留めるつもりは無かったが。
それでも、あまりに従順で将来が心配になる。あの優しさは、この世界には似合わない。
まあ、その優しさに付け込んでいる私が言う事ではないな。我ながら酷過ぎる矛盾に、ルシャージャは自嘲気味に笑った。
次話は5日20時に投稿。
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