36. 合図
「遅くなり、申し訳ありません」
話し方が変わっている。男の変に間延びした独特の話し方は今や見る影もない。
「ほんとうだよ。待ちくたびれちゃったんだからぁ」
頬を膨らませ、明らかに不機嫌だという顔になる。
少年は先程までの男の様な話し方になっていた。
でもぉ、と少年は謳う様に言葉を紡ぐ。
「話しかた、言うとおりにできたねぇ」
男に膝をつかせる。
――よくできましたぁ。子供の手が期限良さそうに男の頭を撫でた。
話し方を言う通りに・・・あの特徴的な喋り方は少年が指示したものなのだろうか。
明らかに只者ではない大人が、子供の言う事を聞くものか?
「ほーら、早く行こぉ?」
可愛らしく首を傾げ、男の手を引く。
「ご主人さま、待たせちゃうじゃんかぁ」
「はい」
――我が君。男はまるで執事の様な仕草で少年に頭を下げた。
「じゃあ、またねぇ」
――リサト君。にこにこと手を振り、この場を去る。男も付き従うように立ち去った。
「え、またって・・・キルシャ?」
行ってしまうのかと莉里の瞳が揺れる。
ルイスとしてはこの二人を追いかけたかったが、今この場に莉里達を置いて行くわけにはいかない。
「っ、キルシャ!」
――待って。
莉里の悲痛な声と共に伸ばされた手は、空を切ってしまった。
「・・・ルシャージャ」
説明しろ、そう言った己の声は、唸るように低かった。
「キナリ君に頼んだ後、彼奴に会った。それで、言われたんだよ」
莉里は俯いて動かない。唇を噛んでいるのが見えた。
「何を」
「彼を――キルシャを守れ。それが情報の対価だ、ってさ」
溜息混じりの声。
だから、連れてきたのか。可笑しいとは思っていた。
ルシャージャが、子供を連れて行くなんて。
「知っていたのか」
「ああ」
「何で」
――俺に教えなかった。
「顔や態度に出るでからだよ」
だからだと言うルシャージャ。
「それは、・・・」
自覚があるから何とも言えない。
「あの、・・・ルシャージャさん」
黙っていた莉里が口を開く。絞り出したような、震えた声だった。
ルシャージャは視線だけを向ける。
「キルシャは、嘘を付いていたんですか」
傷ついたような悲しそうな、泣きかけた顔。
「言ってたんです。キルシャ。僕が居て良かったって。安心したって」
莉里の黒髪が風に靡いた。
「さあ。その場に居た訳じゃないから分からない」
でもとルシャージャは続ける。
「そこまで嘘を付く必要は、無かったんじゃない」
分からないけどね、と彼女はもう一度言った。
「そう、ですか」
ありがとうございます、そう言った莉里の顔は暗いまま。それでも、小さな笑みを浮かべていた。
笛が鳴り響いた。聞き慣れた、角笛の音。
終了を知らせる兵士が使う物、制圧完了を告げる音だった。
莉里の肩が跳ねる。
「終わったね」
息を吐いて言うルシャージャ。
「だな」
大きく伸びをした。日は沈み切っていて、空には星が輝いている。
息を吐くと、体が軽く感じた。
「あの、今の音・・・それに、終わったって」
首を傾げる莉里。
ああ、そうだ。知らないのか。
「さっきの笛は、制圧出来たって合図。此処に居る奴等は全員確保したから、もう安心していいぞ」
「終わった・・・」
呆然と、噛み締めるように言う莉里。
「ルシャージャさん、ルイスさん」
一歩、此方に踏み出して来る。
「ありがとうございました。助けてくれて。本当に、ありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げる莉里に、礼儀正しい子供だと感想が浮かぶ。
「気にすんな。これが仕事だし。それにこっちこそ、遅くなって悪かった」
顔を上げさせ、今度はルイスが頭を下げた。
「そうだね。私も依頼で来ただけだし・・・子供は気にしなくていいよ。特に、君みたいな被害者はね」
腰に手を当てて微笑むルシャージャ。その表情は珍しく、柔らかな物だった。作っていない笑み。
ルイス達の顔を見た莉里は、安心した様に笑った。
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