天華に捧げる竜の歌 7
ディートヘルの家族は、ディートヘルに父親の後を継ぐことを期待していた。一族もそうだった。ディートヘルは一族の中で一番強く、番を持ち、次の長に相応しかったからだ。
だがディートヘルの番の弱さ故、ディートヘル本人を含め、誰もがディートヘルの子は期待していなかった。ディートヘルが長を継いだあとは、ディートヘルの弟の子が長になれば良いと考えていたのだ。
だが、番は妊娠した。できるものとも思っていなかっただけに、番からその事実を告げられたディートヘルは、喜びよりも先に番の身体を心配した。
番の身体は弱い。火山の熱波を避け、麓へと下り、他の赤蜥蜴たちが食べないような、毒のない、だが滋味の薄い植物を主食としていた。体力は、他の赤蜥蜴とは比べるべくもない。元より子を望める身体ではないのだ。一族の長老の一人である、ディートヘルの曾祖母にも、番の身体では、きっと子を授かることはないだろうと言われていた。
それでも番が子を授かったのは、奇跡だったのか、あるいは運命の悪戯だったのか。
どうしても産むという番に、子は諦めろというディートヘル。話は常に、平行線だった。だが結局、番に負けたディートヘルが、崖に咲く花を取りに行くことを再開することで話は付いた。
一輪食せば、十年は寿命が延びるという天の花。
番が子を産む日まで、ディートヘルは以前のように、三日に一度は崖を降りては昇る日々を過ごすことになった。
最初は順調だった。誰もが、このまま奇跡が起きることを期待し始めていた。
けれど三か月程経った頃、番の体調が、目に見えて悪くなっていった。食事も禄に取れず、一度寝付けば、次に身体を起こすことも難しい。産卵まではあと二ヵ月も間があった中、そのままでは子だけではなく、番の命も危ぶまれた。
だがすでに、子を諦める段階は過ぎていた。ここまで来れば、番が持ち直すか、腹の子ともども死にゆくかのどちらかだ。だが運命がどちらに傾くかなど、この時にはすでに、ディートヘルも、番本人でさえわかっていたのだ。
もう腕一本さえ己の力で持ち上げることができなくなった時、息も絶え絶えに、番は言った。
申し訳ない。子は連れていく。
あなたを一人にしてしまう。
ディートヘル。ディートヘル――。
泣きながら、ディートヘルの名を呼びながら、番は死んでいった。
冷たくなった番の身体を腕に抱き、ディートヘルは泣き叫んだ。
取り返しのつかないものを、失ってしまったのだとわかった。途方もない喪失感だった。ディートヘルの命をも、一緒に連れていかれたようだった。
何日経っても、番の身体を手放す気が起きず、ディートヘルの父親と、番の父親に諭され、ディートヘルはようやく、番の身体を葬ることを決心した。
番の身体は、ディートヘル自らが、火口へ捧げた。ディートヘルの番と子は、火山と、そして先祖たちと一つになったのだ。
それからのディートヘルは、死んだように生きた。ディートヘルの魂は番が死んだあの時、きっと番と、我が子ともに旅立ってしまったのだ。
生きる希望など、何一つ見つからなかった。それでもディートヘルが生きていたのは、病弱だった番に、常から言われていたことがあったからだ。
己はきっと、ディートヘルよりも先に死ぬ。一緒に生きられる月日は、きっと他のどの番たちよりも短いだろう。それでも、自分が先に死んだあとに後を追わないで欲しいと、番は日頃からディートヘルにそう言っていたのだ。
番はまだ、三十年も生きていない。百を超え、二百を生きるという個体がいる赤蜥蜴の中で、たった三十年しか生きていないのだ。
自分がもっと、健康ならば。
何度その言葉を、番の口から聞いたかわからない。自分がもっと、健康ならば。そうしたら、ディートヘルと共に、もっと生きられるのにと。
番のその想いを知るディートヘルには、自らの命を絶つという選択はできなかったのだ。死んだように生きるしか、選択肢がなかったのだ。
そして――番を失ってから数年経ったその日、ディートヘルは番と子の墓に手向けるために、再び崖を降りた。天の花を、手向けようと思ったのだ。すでに命はない二人だったが、それでもその花は、ディートヘルにとっては特別な、番との思い出の残る花だった。
崖を降り、その花を見つけたディートヘルはその花に手を伸ばしたまま、けれど手折ることを躊躇った。
崖の中腹に咲く、一輪の白い花。
番の、鱗の色。
その美しく清らかな花に番の面影を重ねた瞬間、ディートヘルは泣き崩れた。視界が涙で歪み、岩を掴む手からは、力が抜けた。ただ身体が一直線に落ちていくことに、安らぎさえ感じていた。
これで、番の元へ行ける。
子の元へ行ける。
その願いにも似た思いのみが、その時のディートヘルの心を支配していた。
けれど結局のところ、それでディートヘルが死ぬことはなかった。頑健な身体のお陰で、崖下に流れる川の水面に全身を叩きつけられても、死ねなかったのだ。落ちた場所が、ひと際深い場所だったのが災いした。
ディートヘルはそのまま水上に顔を出したり水中に顔を沈めたりしながら海まで流され、海流に乗って大海原へと放り出された。それから数日海の波間に漂っていたところを、一隻の貿易船に助けられたのだ。
その貿易船に乗っていたのが、今ではディートヘルが友人と慕う、二人の人間だった。青い海の波間にぷかぷかと浮かぶ赤い鱗のディートヘルを見つけてくれたのが、名付け子の父親だったのだ。
家業を継ぐ前の修行中だと言うその二人は、経験を得るため、知り合いの貿易船に乗っていたのだという。その時は丁度、異国からの帰りだったそうだ。
幸いにもディートヘルの言葉を解す亜人が船に乗っていたことで、ディートヘルと二人の友人、そして貿易船の乗組員たちは、意思の疎通がある程度可能となった。
その亜人は赤蜥蜴ではなく青蜥蜴の亜人だったが、種が近ければ、使う言語も似通ってくる。けれどこの場合の言語とは、鳴き声のことを言っている。亜人の場合、人間が使うような言語以外にも、鳴き声で交流を図る方法があるのだ。むしろ近い種であれば、バラバラの言語を使うよりは、そちらの方がより簡単だと言える。
ディートヘルが旧大陸から来たと知ったその貿易船の船長は、ディートヘルに聞いてきた。
戻りたいか、と。
送っていくではない。戻ろうでもない。
戻りたいかと、聞いてきたのだ。
その時ディートヘルは番と子を失ったことまでは言わなかったが、きっと船長はディートヘルの様子に、何かを感じたのだろう。
通常ならば、戻りたいと言うところだ。あの地には、ディートヘルの番と子が眠っている。家族がいる。だが、ディートヘルは首を横に振った。
戻らない。戻っても、あそこにはもう自分の居場所はない。次の長としての責任を放棄することになるが、幸いにも、ディートヘルには優秀な弟がいる。ディートヘルがいなくなっても、きっと弟が、一族を守ってくれるだろうと。
今考えても、自分が何故、その答えを出したのかはわからない。生きることを放棄していた己が、あの大陸から離れ、何をする気だったというのだろうか。どうせいつかは死ぬのなら、その時には、番と我が子の眠る、あの地にいるべきだというのに。
それでも、多少の未練は感じたが、一度口にした答えを変えようという気にはならなかった。ディートヘルはそのまま、貿易船で一月ほどの旅を経験することになった。
その一月の間に、片言だったが、乗組員たちの話す言語を習得することもできた。船員たちに混じり、わからないなりにも、懸命に働いた。服を着ることを覚え、人間がとても弱いことを知り、同時に、とても繊細で優しいことも知った。
船が港に着いた時、船長からこのまま貿易船で働かないかと誘われた。その誘いを断ったのは、海に出れば、あの地に対する郷愁が芽生えてしまうと危ぶんだからだ。何故だかわからないが、新たな地でしか、新たな生は得られないと感じていた。
それから、国に帰るという二人にどちらの国にくるか聞かれたのだが、まずは登録をしなければならないということで、マルグリットの祖国であるガルストラへ行くことが決定した。
最終的にガルストラではなくリアンタを選んだのは、亜人が多く生活するというガルストラ国内においてさえ、ディートヘルの存在が浮いてしまったからだ。
だからディートヘルは、リアンタを、生き直すための新たな地に選んだ。ディートヘルのことをただの亜人としか見ないだろう、人間の多い国に住んだ方が良いのではという、二人の友人の意見に従うことにして。




