天華に捧げる竜の歌 1
かれこれ四時間程揺られた列車から降りたディートヘルは、ようやく解放されたという安堵から、大きな溜息を吐いた。
「やれやれ……。四時間も同じ姿勢でいると存外疲れるものだ。これでは荒波に揺られる船の方がまだマシだ」
ずっと同じ姿勢で窮屈な椅子に座っていたものだから、スーツにも皺が寄ってしまっている。その皺を掌で丁寧に伸ばしてから、ディートヘルは歩き出した。
とりあえずの目的地は、古い友人が営む商会。数年に一度は顔を合わせているので、久々という感覚はない。だが、そこで働く存在に対しては、まだ会わなくなってから一年程しか経っていないと言うのに、すでに思慕が募っている。
その存在は同じく古い友人の娘であり、ディートヘルの名付け子。自分の娘のように思っている存在だ。
「……ラスフィア君は、元気にしているだろうか」
一月前に娘に会ったという友人によれば、名付け子は元気にしているという。しかも驚くことに、この新大陸における、血の薄くなったはずの亜人の番となったのだとか。にわかには信じ難いことであった。
友人が見定めた故相手が嘘を吐いているわけではないのだろうが、やはり心配になってしまったのだ。一月前は家族の団欒を邪魔せぬようにとここまでついて来ることはしなかったが、結局は気にかかるあまり、こうして出向くことになってしまった。
しかも、この地にいる友人にも、そして名付け子にも、来訪のことを知らせていない。
それは、もしかしたら途中で国へ戻ることになるかもしれないと、危ぶんだ結果のことだった。
ディートヘルの種である赤蜥蜴の亜人は、おそらくこの新大陸においては皆無と思われる。そして、たとえ赤蜥蜴でなくとも、ディートヘルのような純血の亜人の姿は、亜人が多く存在するこのガルストラにおいてさえ、珍しいだろうことは考えるまでもなく明らかだったからだ。
実際、駅に降り立った瞬間から、ディートヘルは己に注がれる纏わりつくような好奇と恐れの視線を感じ取っていた。しかも、その中には殺気さえ交じっている。
亜人は己より強い者を恐れる習性があるが、護るべき存在がいる時はその限りではない。たとえば、群れを率いる者、子を持つ者などはその最たるものだ。
あまりにも自身が騒動の種になるようなら、友人や名付け子に会わずとも、そのまま国へ帰ろうとディートヘルは考えていたのだ。
「人間の中に紛れていた時の方が、平穏だったな……」
太く長い尻尾を揺らしながら、ディートヘルはマルグリット商会に向かって歩きはじめた。
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蜥蜴の亜人の中でも、ディートヘルの種である赤蜥蜴は特別だ。
赤蜥蜴は本来活火山の中腹に生息する種であり、高温に耐えうる皮膚を持っている。活火山の中腹などという危険地帯に生息する種は、赤蜥蜴くらいのものだろう。肉体も、蜥蜴族である他の種に比べ頑健であり、さらには赤蜥蜴の血肉には猛毒が含まれているため、赤蜥蜴を捕食しようなどという種はまず存在しない。
赤蜥蜴には、天敵という天敵がいないのだ。
時折、火山の麓に住む赤蜥蜴の亜種である黒蜥蜴が、中腹までやってきて赤蜥蜴の幼体を攫おうとするときもある。だがそれとて、攫った幼子を食すための行動ではない。赤蜥蜴の血を自身の一族に取り入れ、一族を強くするためのものだ。
そしてその行動にしたって、頻繁にというわけではなく、一族全体が弱まったと感じた時に、長の判断によってなされるものだった。だが、大体においてその企みは、赤蜥蜴の一族の者によって阻止されるのが常だった。それでもめげずに数世代に一度は一族の強化を狙って中腹までやってくるのだから、一族の存続とは、得てして厳しく、非情なものなのだ。
黒蜥蜴という例外の他は、そもそもが赤蜥蜴自体捕食者の頂点近くにいる種なので、身体の毒にしても敵への対抗手段としてのものではない。単に、主食とする植物に、毒が含まれているためだ。
赤蜥蜴以外の種が食せばすぐさま死に至るその植物を、赤蜥蜴は主食としている。赤蜥蜴の特殊な身体は、植物の毒素を体内で分解することが出来るのだ。
けれど赤蜥蜴の何よりの特徴は、寿命が長いことだ。仲間の種は通常、どれも寿命は長くて数十年で百年には満たない。けれど、赤蜥蜴は優に百の年月を越えて生きる種族だ。長い者では、二百近く生きる個体もいた。
ディートヘルなどは、二年前に丁度五十の歳を越えたばかりの、まだまだ若輩者だ。短くて、あと五十年近く。長くて百年近く生きることを思うと、多少うんざりとしてしまう。
「……うむ。そろそろ着く頃か」
友人が作成した手描きの地図を見ながら、ディートヘルはもう一人の友人が営む店を探した。駅を出てから、徒歩十五分程度。友人はガルストラ警視庁庁舎を擁する一区画、その大通りに店を構えている。ディートヘルの名付け子も、その近辺に部屋を借りていたはずだ。
だが昼間に部屋を訪ねたとて、今日が休暇日でもない限りは、名付け子は家にはいないだろう。そもそもが名付け子はディートヘルの友人の店であるマルグリット商会で働いているので、そちらを訪ねれば、友人と名付け子の、双方に会うことができるはずだ。
ディートヘルは地図に従い、大通りに向かって東に歩きはじめた。それから五分も歩くことなく、お目当ての店へと辿り着くことができた。
店の前に立ったディートヘルに、ドアマンが一瞬表情を固めた。だがすぐに笑顔を作り、「ようこそおこしくださいました」と言って、ディートヘルのためにドアを開けてくれた。
「ありがとう。ちなみに、今日オーナーはいるだろうか」
聞いたディートヘルに対し、ドアマンが申し訳なさげに眉を垂れた。
「申し訳ありません。オーナーのマルグリットは、本日は外での仕事があるため出社しておりません」
「なんと……。では、従業員のラスフィア・エーレンは?」
ラスフィアの名を出したディートヘルに対し、ドアマンが答えよりも先に、質問を返して来た。
「失礼ですが、お二人のご友人でしょうか」
ドアマンが心配するのも無理はない。ディートヘルのような姿かたちの亜人など、この亜人が多く集まるガルストラと言えども珍しい。そこは十分留意するようにと、国を出る際友人であるトルロイにも言われている。
「ああ、心配させてしまったようだね。私はマルグリット・サイモフの古い友人で、同じく、ラスフィア・エーレンの父親、トルロイ・エーレンも私の古い友人だ。もし、マルグリットに連絡が付くようなら、ディートヘル・サイムズが来たことを伝えておいて欲しい」
「承知しました。従業員のラスフィア・エーレンですが、今日は警視庁内にある売店に出勤しており、ここにはおりません。こちらはすぐに連絡はつくと思いますが……」
「ではお願いを……ああ、いや。確か、警視庁はここから近かったはず。観光がてら、私から出向いてみよう」
ディートヘルがそう言った時のドアマンの表情は、なんとも形容しがたいものだった。




