転生者による亜人考:蛇の亜人
週に一度の休暇日。
ラスフィアはこの日、一人図書館へと来ていた。
普段はレイドと休みを合わせることが多いのだが、今日はどうしても外せない仕事があったらしく、レイドの休暇日をずらすことになったのだ。
レイドと恋人になってからの休暇日は、レイドと共に町へでかけたり、主にラスフィアの部屋でまどろんでいることが多かったため、一人で過ごす休暇日は久しぶりだった。
ラスフィアは、読書を趣味としている。それは、前世から引き継いだ趣味だった。そのため、一人で休みを過ごすとなった時、ならば久々に図書館へ行こうと思いついたのだ。
今日ラスフィアが来ているのは、ガルストラ国立図書館だ。さる天才建築家が建てたと言われている煉瓦造りの重厚で美しい図書館は、首都の観光拠点の一つとなっている。ラスフィアも初めてこの図書館を見た時には、思わずその美しさに歓声を上げたものだ。
しかもこの図書館、敷地内に見事な庭園やレストランまであるのだ。読書に疲れたら庭園を散策するも良し、レストランで休憩するも良し。本好きのラスフィアにとって、ここの図書館は一日いても飽きのこない、夢のような場所だった。
(さて……と。今日は何を読もうかしら。恋愛小説? 冒険小説? それとも、図鑑? 随筆もいいわね)
うきうきとしながら、見上げる程の棚の間を、ゆっくりと歩き回る。ここへ来ると、あまりにも本がありすぎて、いつも何を読もうか迷ってしまうのだ。
焦げ茶の棚はそのすべてに意匠が凝らされており、そこに収納されている書籍も、布張りや革張りなど、見た目も芸術的だ。とくに横に倒されているような古い革張りの装丁のものは、何らかの魔法や呪いがかけられていると言われても、納得してしまう程の雰囲気があった。
(綺麗よね、本当……。その分、高いんだけど……)
ラスフィアがたまに購入する本は、装丁がされていない紙だけのものだ。普通は紙だけの本を購入してから、各自装丁を施していく。その装丁を施す役を担うのは、もちろんプロの職人だ。
それでも、たとえ紙だけのものだとしても、前世のようにほいほい買える値段ではない。たまにとは言っても、年に一度の購入がほとんどで、それが二度目ともなれば、かなり奮発したと言える。
(実家には、それなりに置いてあったんだけどね)
ラスフィア同様、父であるトルロイも読書家であったため、若い頃からコツコツ集めたという書籍が、トルロイの書斎の棚には、それなりの数が収納されていた。その棚の本を、ラスフィアと弟のマルコイは、自由に読むことを許されていたのだ。
それでもその棚の書籍を読みつくすまでには、そう時間はかからなかった。それ以降の読書欲を満たしてくれたのは、近所にあった教会、学校に行くようになってからは、学校の図書室、それ以外は、街にある公共の図書館だった。
(お世話になったわよね、本当……って、あら? ……ああ、うっかりこの棚に来ちゃったわ)
久しぶりに来たものだから、ラスフィアはうっかり普段は避けていた棚の前に来てしまっていた。その棚は、医学書を収納した棚だった。
何故この棚を避けるのか、それは以前この図書館の司書に聞いたところ、古い医学書の中には、動物のみならず、解剖後の人の皮を使った書籍もあると聞いたことがあるためだ。
しかもその時はどれがその書籍かを聞かなかったため、むやみにこの棚の書籍を手に取ることもできなくなってしまった。もし医学書が必要な事態となった場合は、必ず司書に聞いてからではないと安心できない。
(動物の皮は良くて人間の皮は駄目って言うのも偽善なのかもしれないけど……やっぱり同族の皮は嫌よね)
ラスフィアは、その棚を足早に通り過ぎた。
(うーん、帰りはこの棚の前を通らないようにしなくちゃ……。それにしても、どうしようかな。やっぱり小説かな……)
やはりゆっくり小説でも読もうかと、小説を収納している棚を目指し移動をはじめたラスフィアだったが、ふとあることを思い出し足を止めた。
(そうだ……。調べようと思っていたことがあったんだった)
☩☩☩
一冊の書籍を手に取り、ラスフィアは相好を崩した。
(ふふ……。これよ、これ。実家にあった図鑑)
『亜人大図鑑』と題されたその書籍は、幼いラスフィアの好奇心を大いに満たしてくれたものだ。
詳細な絵付きの解説は、物語を読むのと同じくらいの興奮を幼子にもたらしてくれた。父の書棚から抜き取り、ほとんど自分専用の書籍としてしまっていたこの図鑑を、ラスフィアは何度も何度も読み返したものだ。確か、ラスフィアが読まなくなってからは、弟のマルコイが愛読書としていたはずだ。
(でも。何度も読んだっていうのに、意外と覚えていないこともあるのよね……)
単に自分の記憶力の問題だとは思うのだが、亜人に対しとあることが気になった時、ラスフィアは自らの記憶の中にある、この図鑑から得た情報を探ろうとしたのだ。だが、どれだけ探っても、その情報には行きあたらなかった。
きっと覚えていないだけだろうと思い、いつか実家に帰った際には、そのことについて調べてみようと思っていたのだ。だが、今日この図書館へ来たことで、そのことを思い出した。何も実家に帰ってからでなくとも、ここは実家よりも豊富な情報が手に入る場所だ。ラスフィアはどうせならこの機会に、気になっていたことを解決してしまおうと考えた。
ラスフィアが気になっていたのは、蛇の亜人についてだ。
約三か月程前、ラスフィアが知り合った蛇の亜人であるルパートは、ミュッテという人間の女性を番に持っていた。それは良いのだ。事件現場で助けられた人間が、知り合いの恋人だったということには些か驚いたが、問題はそこではない。
問題は、亜人であるはずのルパートが、レイドたち同様一見するとただの人間にしか見えないということだ。
あの三人も、普段は人間と全く変わらない姿をしている。三人の亜人姿をラスフィアは見ているが、その姿はほかの亜人よりも、人間の姿との違いが顕著だった。ほとんど、二足歩行の動物だった。
身体はまだしも、ああまで顔の作りが変わるのは、一体どういった仕組みなのだろうと思ってしまう。しかも普段はない耳や尻尾までもが、出現しているのだ。
(耳は……まあ、人間姿の時の耳の位置が変わる……とかで説明がつくのかもしれないけど……尻尾は普段ないものね。どういうことなのかしら? まあ、細胞そのものが私たちとは違うんだろうけど……いえ、違ったわ。この世界では私たち人間は、亜人から分れた種だったわ)
深く考えるとそちらを突き詰めてしまいそうになるため、ラスフィアはそのことについては一旦考えることをやめた。機会があればまたその時に考えることにして、今知りたいのは、蛇の亜人についてだ。
(もし、ポールソンさんが完全な亜人だとするならよ? その、普段とは違う亜人の姿って、どうなっているのかしらって思うじゃない? だって……蛇よ? 蛇って、手足ないじゃない)
今のルパートには手足がある。当たり前だ、亜人なのだから。だがそうなると、「完全な」蛇の亜人となったルパートに手足があるかどうかという問題は、なかなかに重要な問題なのではないかと思うのだ。
ルパートはミュッテの恋人だ。ラスフィアとミュッテは仲が良い。ラスフィアが売店勤務から外れたため、休暇日を共に取ることができるようになった今では、仕事以外でもたまに一緒に出掛ける時があるくらいだ。ならば、いつかラスフィアがルパートの亜人姿を見る日だって、やってくるかも知れないではないかと、そう思ったのだ。
もし、その時にルパートの姿を見たラスフィアが悲鳴を上げたり顔色を変えてしまったら……。ルパートのみならず、ミュッテまで傷つけてしまう恐れがある。そうなる前に、蛇の亜人について色々と調べて、心の準備をしておきたかったのだ。
(蛇は別に嫌いじゃないけど……人間大の蛇……。うう~ん)
しかも元々あった手足が無くなると考えると、おそらく、その変化を見た時には相当な衝撃を受けそうだ。
今のところルパートの亜人らしいところと言えば、瞳孔が蛇っぽい感じがしなくもない、ということだろうか。だが、言うなればそれだけだ。蛇と言えば鱗だが、服から出ている範囲に、鱗らしきものは見当たらない。となると、やはりルパートも完全な亜人である可能性が高くなる。
もしかしたら服の下には鱗があるのかもしれないが、そのことについては、今のところ本人にもミュッテにも聞けていない。
(うーん……。人間同士で考えると、服の下の肌について聞くのって、躊躇われちゃうのよね。まあ、色々な種がいる亜人は、人間とは感覚が違うのかもしれないけど。それでも、最終的には聞くにしても、その前にやっぱり調べた方がいいものね。調べてわかれば、それで良いのだし)
蛇の亜人についてある程度の情報が得られれば、きっとその姿を見た時の衝撃は和らぐはずだ。
(ええと……爬虫類の頁は……)
目次で爬虫類の項目を見つけたラスフィアは、パラパラと、そこに辿り着くまで頁を捲った。まず、蜥蜴の亜人の頁で目を止め、色違いのディートヘルの絵姿を見て小さく微笑む。昔から知っている、一番見慣れた亜人の姿だ。
(蛇は……この次の次ね)
ピラッ、ピラッっと二枚頁を捲ると、そこには蜥蜴の亜人と大差のない、蛇の亜人の姿が描かれていた。
「あれ? 蜥蜴と同じ?」
うっかり声を出していたことに気付かないまま、ラスフィアは蛇の亜人に関する項目を夢中になって読み続けた。そして、その項目に書かれていた文章を目で追っていたラスフィアは、とある箇所で再び声を上げた。
「え、そうなの⁉」
そこには、蛇の亜人から分れた種の一つである蛇は、進化の過程でその手足を失ったと書かれていたのだ。
「……そうなんだ。亜人から分れてから、手足を失ったんだ」
ということは、蛇の亜人であるルパートがもし完全な亜人の姿になったとしても、手足がついていることになる。
「良かった……」
言葉と共にほっと息を吐き出したところで、すぐ近くで咳払いが聞こえた。顔をあげて見れば、制服を着て首から職員証を下げた司書が、ラスフィアを見下ろしている。
「……図書館ではお静かに」
微笑みと共に告げられた言葉に、ラスフィアは「……はい」と返事をしてから、謝罪の言葉を口にした。ラスフィアのその素直な態度を見て、司書はそれ以上何も言わなかった。
(いけない、うっかり声を出しちゃってたわ……)
司書には怒られてしまったが、これで憂いが一つ無くなった。もしルパートの完全な亜人姿を見ることがあったとしても、ラスフィアが動揺することはないだろう。
図鑑で見た蛇の亜人は、ほとんど蜥蜴の亜人と変わらなかった。爬虫類型の亜人を恐れる者は人間の中にはそれなりの数いるが、ディートヘルの姿を見慣れているラスフィアにとっては、むしろ親近感の湧く姿だと言える。
(まあ……ここまで調べといて何だけど、ポールソンさんが完全な亜人かどうかはまだわからないんだけどね……。さてと)
ラスフィアは開いていた図鑑を一度閉じ、もう一度表紙から順に、丁寧に頁を捲りはじめた。重厚な革張りの装丁。薄っすらと黄味を帯びた、味のある洋紙。漆黒のインクによる文字と挿絵は、所々が掠れている。
(懐かしいわ……)
実家にある図鑑とこの図鑑では、きっと文字の掠れ具合も、あるいは挿絵の位置さえも、わずかに異なっているのだろう。
それでもこの図鑑を眺めていると、まだ幼かった日のことが、まるで昨日のことのように思い出されてくる。
気になっていた謎が一つ解けたラスフィアは、その後昼食の時間となりキュウゥとお腹が鳴り始めるまで、久しぶりに見た図鑑を心ゆくまで堪能した。
*書籍の装丁や、販売方法などについては、あくまでこの世界においてのものであり、現実世界のものと異なる場合があります。




