069.運命は掌の中に
マルグリット商会の裏手に置かれていたゴールデンベルの大鉢に、花が咲いた。
二日前に見かけた時には二つ、三つばかりの花を咲かせていた枝は、今や満開の黄色い小花で埋め尽くされている。
(咲き出したらあっという間よね……)
ラスフィアがはじめてここ、ガルストラへ来た時にも満開だったこの花は、ラスフィアにとってはじまりを象徴する花だ。
あれからもう一年が経ったのだ。
無事、一年を過ごすことが出来た。
あの小説は、レイドとリアーナが出会ってからの約一年間が描かれている。
小説の終わりは、今の季節。
そのことに気付いた時、ラスフィアの中で、小説の世界とこの世界とは、完全に別の世界になったのだという感覚が湧いてきた。
デレクに車ごと海に沈められ、もう駄目だと思ったときから約半年。
あれから事件に巻き込まれることもなく、とても穏やかに、大切な人達と共に、ラスフィアの時は過ぎていった。
(本当……この一年、色々なことがあったわよね……)
ガルストラへ来て早々、トルロイとともに連続誘拐事件に巻き込まれてから、様々な事件と遭遇することになった。
(……濃い一年だったわ。正確に言えば……濃い半年だった……)
思い出せば、ついつい溜息が出てしまう。
そして間違いなく、ラスフィアの人生の転機となったあの事件。
あの事件にはラスフィアの幼馴染だったクリストファーが関わっている。クリストファー自身はやはり麻薬密輸に関しては知らなかったそうだが、結局それなりの罰を受けることになってしまった。
一度面会に行ったが、その時のクリストファーはすでに自らの未熟と罪を認め、刑に服すことを受け入れていた。その刑に関しても、利用されていただけだということを考慮され、ラスフィアが思っていたよりよほど短い期間へと短縮されたらしい。そのことをクリストファー自身の口から聞いた時には、思わず安堵の溜息を吐いていた。
保留にしていたクリストファーからの告白も、その時にちゃんと返事をした。
好きな人がいること。その人と想いが通じたこと。ずっとその人と共に生きていきたいということを、ちゃんと伝えた。
クリストファーは、一瞬だけ「口惜しいなあ」と言って表情を曇らせたあと、すぐに笑顔で祝福してくれた。
その時のことを思い出しながら、じっと黄色い花を見つめていたラスフィアは、「よし!」と一言己に気合を入れるために声を出し、そのゴールデンベルの大鉢を動かし始めた。
この美しい花を咲かせている大鉢を、店の正面に持っていこうと考えたのだ。
店の前にはすでに鉢に植えられた色とりどりの花々が置かれており、店に来る客の目を楽しませている。その中の一つに、このゴールデンベルの花も加えようと思ったのだ。
何とか大鉢を台車に乗せたあと、ラスフィアは台車を押しながら店の正面に回った。すると、今年新しく雇われた従業員の男性がラスフィアに気付き、台車から大鉢を降ろすのを手伝ってくれた。
その従業員に礼を言い、ラスフィアは台車をまた裏手に戻してから、開店準備をするために、店の中へと戻った。
あの事件後すぐ、ラスフィアは結局、警視庁内の売店を去ることになった。
とは言っても、今も売店で働くミュッテや、ラスフィアの代わりに勤めることになった別の従業員が休暇の時などは、今もラスフィアが代理で売店に立っている。
ラスフィアが売店を去った理由は、マルグリット商会が、二号店を出すことになったからだ。
まだ準備の段階だが、マルグリットは二号店の開店に掛かりきりになる予定だったので、マルグリットの代わりに、本店の店長には古参の従業員であるゴードンが就き、ゴードンを補佐する形で、ラスフィアが本店に戻ることになったのだ。
マルグリットが新たにクリストファーの貿易会社と契約を結ぼうとしたのも、その時点ですでに、二号店を出すことを考えていたかららしい。
仕事は順調。
私生活も、人生初の恋人もできたことだし、まあ順調。
そんな順調な私生活を送る中、実はこちらへ出てきてからまだ一度も、ラスフィアは実家に帰れていない。
一年の終わりの寒さが厳しくなってきた季節、今年は実家に帰ることは厳しいだろうと考えたラスフィアは、家族に向けて手紙を書いた。
仕事のこと、こちらでできた友人のこと、そして、いつか家族に紹介したい人ができたということを――。
それから約一週間後に届いたトルロイを代表とした家族からの返信の手紙には、暖かくなったら、家族全員でこちらに来る旨。その時には、その紹介したいという人と、ぜひ、会わせて欲しいという旨が書かれていた。
「――なんで家族全員で来るの⁉」
その手紙を読んだ時、ラスフィアはつい、そう叫んでしまった。
来てくれるのは嬉しいが、何も全員で来なくても良いだろうにと。普段なら久しぶりに家族に会えることを喜ぶのだが、今回ばかりは少々尻込みしてしまう。
手紙には一応家族旅行のつもりとは書かれていたが、全員をレイドに合わせて欲しいということは、結局のところ家族全員でレイドを見定めに来るということだ。
考えすぎかとも思ったが、結果はそうなる。
家族全員で押しかけてくるなど、まるで圧迫面接のようではないかと、ラスフィアは少しだけレイドに申し訳なく思った。
(レイドさん……快く受けてくれたけど……)
ラスフィアの方が、今からすでに緊張している。
明後日には、ラスフィアの家族がこのガルストラへやってくる。丸々三日、店を従業員に任せてこちらに家族旅行に来るらしい。
泊るホテルは、以前にトルロイが利用したホテルで、食事はもちろん《黄色い牡鹿亭》。そこでレイドを紹介することになっているのだ。
けれど、今回食事をする予定なのは、レイドだけではない。
両親もマルグリットに会って礼を言いたいとのことなので、マルグリットとも、家族全員で食事をする予定だ。もともとマルグリットとは昔から家族ぐるみの付き合いなので、こちらは全く緊張していない。
ただ、別の意味では緊張しているかもしれない。
こちらに来てから巻き込まれた事件の数々は、今はもう、すべて包み隠さずマルグリットには報告している。そしてマルグリットと相談した結果、そのことは家族にも話しておいた方が良いだろうという結論に至った。
なので、まずはマルグリットとの食事会を設定して、次にレイドとの食事会だ。
レイドがラスフィアの命の恩人だとわかっていれば、亜人であるレイドに対して家族が抱く印象も、まったく違うだろうと思ったからだ。
(うちの家族は、亜人に偏見なんて持ってないと思うけど……。皆ディートヘルさんのこと大好きだし……)
だがマルグリット曰く、
「男親なんて、娘の恋人は誰が相手でも一度は反対するわよ~」
だそうなので、若干偏見かもとは思ったが、実際に顔を合わせる前にできるだけレイドの株を上げておくことにしたのだ。
「番」云々に関しては、レイドと話し合った結果、正直に話そうということになった。この件に関しては、隠していても何も良いことはないと判断したからだ。
(さてと、明後日の事を考えるのはこれくらいにして……。ええと……今日の予定は……まずは商品の追加発注ね)
警視庁内の売店に降ろしている商品の在庫がなくなったと、昨日ミュッテが帰り際に店に寄って教えてくれたのだ。
(それと、そろそろ店内のレイアウトも変えたいわね)
季節がガラッと変わる時には、それに伴い売れ筋の商品も変わる。先日まではまだ寒さを感じる陽気だったが、今日などは少し身体を動かせば、もう暑いくらいだ。きっと冷やせば美味しい炭酸飲料や、水分の多いフルーツ。少し早いかも知れないが、帽子や扇子なども売れるかもしれない。
開店まではあと三十分程度。この時間内に行えることは限られるが、せめて正面扉付近だけでも、これからの売れ筋商品を置いて宣伝をしたい。本格的なレイアウトは店仕舞いのあとだ。
(……店仕舞いのあとは……やっぱり止めて、明日にしとこう)
今日はレイドが夕食を食べに来る予定なので、帰りに店まで迎えに来てくれることになっている。店仕舞いの後にレイアウトの変更までしていては、レイドが迎えに来るまでには終わりそうもない。
(まあ、また一度は寒さが戻るだろうから、本格的なレイアウトの変更はそう急がなくてもいいや……)
取り急ぎ、開店時間までにできることをしようと、ラスフィアは正面扉付近に置いてある木箱に、せっせと品物を並べだした。
売店を辞めてから、レイドは毎日のように、昼時になるとラスフィアに会いにマルグリット商会に顔を出してくれる。
今日もきっと、昼にはレイドに会える。そう考えれば、自然とラスフィアの頬は緩んでくる。
それから――夕食の席では、明後日の家族との食事会の話をして、他愛もない話をして、また明日と言って玄関先でレイドを見送り、それぞれの家で眠りに着くのだ。
(今はまだ、ね……)
今回家族への紹介が無事済んだら、一緒に暮らす部屋を探そうと、レイドとはそう約束をしていた。
ずっとずっと、一緒に。
眠る時も、起きた時も、健やかなる時も、病める時も。
ずっと、レイドと一緒に居られるのだ。これから先、ずっと。
決まっていたはずの運命からは、逃れることができた。これから先の未来は、小説では描かれていない。
どう生きるかも自由。
誰と生きるかも自由。
運命は、ラスフィアの手の中にあるのだ。
「ラスフィアさーん。そろそろお店開けるよ? 品出し終わった?」
「あ、はい。準備終わりました!」
新しい店長に返事をしてから、他の従業員とともに、通路の脇に並び客を待つ。
扉が開かれた途端、次々と入って来る客に挨拶をしながら、ラスフィアは今日も一日頑張ろうと、背筋を伸ばした。




