064.運命の恋など信じない/二度と離さない
警視庁へ帰るとすぐに、病院にいるリアーナから連絡があったことを、ロイから知らされた。ライナスが目を覚ましたこと、そしてライナスが目覚めるよりも先にラスフィアも目を覚まし、すでに雇用主であるマルグリット・サイモフによって、家まで送られていったことも。
その知らせを聞いた瞬間、レイドの身体から力が抜けた。そして力が抜けて初めて、余計な力が入っていたのだと気付かされた。
「あんたの番、放っといて大丈夫なのか?」
「……ああ?」
ロイを睨みつければ、ロイが「だってな」と言って目を細めた。
「本人が言ってたんだろ? その……死ぬ運命ってやつ」
その言葉を聞いた瞬間、レイドの心臓が軋んだ。だがすぐに、頭がその言葉を否定した。
「そんな運命、あってたまるか。お前だって言ってただろーが、馬鹿らしいって」
「……まあ、そうだな。あれだけ何度も危険な目に遭ったんだ。本人もつい、そんなこと言っちまったんだろ」
数秒、嫌な沈黙が流れたあと、ロイが「ああ、そういや」と、暗い話題を変えるように話しだした。
「ライナスさんだけど、本人はすぐにこっちへ戻ると言ってるみたいだったから、もしかしたら来るかもな」
ロイから聞かされたライナスの呆れた言動に、レイドは溜息を吐いた。
「戻れるわけないだろが。何考えてんだ、あいつ」
レイドの行動が目立つせいで普段は埋もれているが、ライナスも大概無茶な性格をしているのだ。そしてかなりの仕事馬鹿でもある。
恐らくはリアーナが止めるだろうとは思ったが、ライナスならばやりかねない。
ライナスの怪我は、頭の負傷以外にも両腕と両足の亀裂骨折、全身に及ぶ打撲だ。だが一番心配されていた頭の怪我は、無事意識を取り戻したことで憂える必要はなくなった。
医者は意識を取り戻したとしても、予後の観察は必須だと言っていたが、何しろ亜人は身体のすべての作りが頑丈だ。ライナスが意識を取り戻した今、レイドはそこまで心配していない。
荷の下敷きになった他の者たちも、隙間に上手く入り込んだり、ライナスと同じく両手足で荷を支え何とか内臓を守ったりと、怪我人は出たが死者はでなかった。
ライナスが守ったリアーナも、片腕を負傷はしたが、あとは打撲程度。あれだけの惨事で敵味方合わせて一人も死者を出さなかったのは、本当に幸運だった。
だがその者たちにしても、せめて数日は入院しろと病院側から言われているのだ。一番怪我の重いライナスが早々に退院しては、他の者たちに余計な圧力をかけてしまう。
「ま、そうだよな。俺も撃たれた時は、三日は入院したし。……で? どうだった、刑務所。あいつ認めたか?」
ロイがレイドの目の前に珈琲を差し出しながら、聞いてきた。こういう言わずとも先回りして気を利かせるところは、ライナスに似ている。
やはり、狼同士性質が似ているのだろうかと、レイドはどうでも良いことを考えた。
「ああ。デレクとの関係は認めた。やっぱ、薬を調達して貰ってたらしいな。それに、誘拐した人間を運ぶ時にも、何度かデレクを頼ったことがあったみたいだ」
「そいつ、余罪は? どうせ、ガルストラへ来てから誘拐はじめたわけじゃねーだろ」
「はっきりとは認めなかったが、多分あるだろうな。けど、あれ以上は何もしゃべらねーよ。それにお前が言うように、余罪はおそらく、ガルストラへ来る以前のことだ。ここへ来てからも国外で誘拐を行っている可能性はあるが、どのみち他国で行った犯罪は、この国の法じゃ裁けねー。こっちで出来ることは、犯罪を行ってた国がわかったら、その国へ情報渡すことくらいだ」
レイドがそこまで話した時、執務室の電話が鳴った。
「……また、リアーナか?」
ロイが声に多少の緊張を滲ませながら、受話器を取った。
数時間にも満たない時間で、急にライナスの容態が変わるとは思えないが、絶対とは言い切れない。やはりライナスにはこちらに出てきて貰おうかなどと、レイドは考えていた。目の前で動いていて貰った方が、多少は安心できるだろうと。
「……は? おい、嘘だろ……」
ロイの驚愕と動揺の声を聞き、まさか本当にライナスの容態が変わったのかと、レイドは身構えた。だが受話器を耳から離したロイがレイドに伝えた内容は、想定外のものだった。
電話の相手は沿岸警備隊のルパートで、輸送中だったデレクが、沿岸警備隊員に怪我を負わせ、逃亡したとの知らせだった。
その情報を聞いた瞬間、レイドは嫌な予感を抱いた。何の根拠もない予感だ。だが無視するには、その予感は大きすぎた。
ギーから聞かされた、ラスフィアが口にしたという死ぬ運命という言葉。
刑務所からの去り際、リューンから聞かされた、あいつを侮るなという言葉。
リューンとデレクの繋がりは、ラスフィアが見つけた。そしてそのことをもし、デレクが知っていたとしたら。
友人が捕まる切っ掛けとなったのは、ラスフィアだ。そして自分が捕まる切っ掛けとなったのも、ラスフィア。
追い詰められた獣は、何をするかわからない。
「……おい、待てレイド!」
その言葉を思い出した瞬間、ロイの制止の声を振り切り、レイドは部屋から飛び出していた。
☩☩☩
ラスフィアの部屋の扉の前に到着した時、レイドはその場にかすかに残っていた匂いに、顔を顰めた。
「くそ……!」
そこに残っていたのは、嗅いだことのある匂いだった。ラスフィアを捕らえていた男。リューンの友人。その男の匂いが、ラスフィアの部屋の前に残っていることの意味を考え、レイドは歯噛みした。
念のため耳を澄ませ部屋の中を探ってみても、中からは人の呼吸音さえ聞こえなかった。
すでにラスフィアはこの場にはいない。デレクに何処かへ連れ去られている。
「……くそっ!」
今度は偶然、事件に巻き込まれたわけではない。デレクは明らかに、彼女を狙って攫っているのだ。
もし、彼女の身に何かあったら。
もし、彼女を失ってしまったら。
そう考えただけで、レイドの全身から力が抜けていった。先ほどラスフィアが目覚めたことを聞いた時のような、緊張を解いたあとの状態ではない。身体のどこにも、入れようとしても、力が入らない。
立っているのがやっとの状態で、レイドはただ茫然と、その場で己の足元を見つめ続けた。
レイドは常に、ラスフィアに何か事が起きてから動いている。それもこれも、己に様々な言い訳をして、彼女の傍にいなかったからだ。
嫌われるのが怖い。
はっきりと、拒絶されるのが怖い。
彼女への想いを、これ以上自覚するのが怖い。
そんな下らない、ある意味幼稚な矜持に捕らわれて、レイドはこれまで、正面からラスフィアにぶつかることを避けてきたのだ。
けれどそんなものは、彼女を永遠に失うかもしれないという恐怖を知った今、レイドの中から跡形もなく消えてしまった。
もし、もう一度彼女の手を取ることができたなら、もう二度と離さない。嫌われてもいい。拒絶されてもいい。自分は、彼女を失うことだけは耐えられないのだと、それがはっきりとわかったからだ。
ならば、今は打ちひしがれている場合ではない。
レイドは顔を上げ、もう一度ラスフィア部屋の扉の前に残る匂いを探った。
猫科のレイドの嗅覚は、犬科のそれには敵わない。
闇雲に匂いを探して走り回っても、二人を見つけることは相当に困難だ。それどころか、ロイをここに呼び残った匂いを追わせたとしても、徒労に終わる可能性が高かった。
それでも心当たりのある場所をすべて探す気で、レイドがその場から去ろうとしたその時、辺りにラッパのような音が響いた。
思わず音のした方向に目を向ければ、建物の目の前に車が停まっている。その車の開け放たれた窓から、ギーが身を乗り出していた。
「おい! デカイ虎の亜人が、港へ向かっている姿が目撃された! 俺たちも追うぞ!」
ギーの言葉を聞いた瞬間、レイドは手すりを越え、地面へと飛び降りていた。すぐに助手席の扉を開け飛び乗ると、直後にギーが車を発進させた。
「おい、虎と言ったか? リューンは獅子と言っていたぞ」
「いいや。ありゃ虎だ。ルパートもそう言っていたし、本人も獅子だと言っていたが、俺の鼻は誤魔化せないぜ。どうせ、奥の手として正体隠してたんだろ」
ギーの確信に満ちた声を聞き、レイドは顔を顰めた。
リューンが最後にレイドを呼び留めたのは、デレクが獅子の亜人だと印象付けるためだったのだ。その時にはすでに自分だけではなく友人まで捕まっていたことを知っていたというのに、最後まで往生際の悪い奴だった。あるいは、友人ならばなんとか逃げ出すはずだと、確信していたのだろうか。
とにかくギーが来てくれて助かったと、レイドはそのことに関しては感謝した。デレクを逃がしたことについては後で締め上げるつもりだったが、今はそれをしている場合ではない。
「この車は?」
「沿岸警備隊の」
「壊れてもいいから、速度を最大に上げろ」
「……まあ、俺のじゃないから、いっか。じゃ、最高速度で」
そう言うや否や、ギーはアクセルを全開にした。
ギーは宣言通り、出せる最高速度で道を走り抜け、車は港に着いた。
麻薬密輸の捕り物があった、あの港だ。すると埠頭に沿岸警備隊の隊員たちに囲まれた、一人の亜人の姿が見えた。きっとあれがデレクだろう。ギーの言う通り、獅子ではなく虎の姿をしている。
レイドが走っている車の扉を開けた瞬間、ギーが車を止めた。レイドはそのまま飛び出し、デレクの胸倉を掴み上げる。
「ラスフィアは何処だ⁉」
問い詰めつつも目の前の男の匂いを確認すれば、あの時と同じ、そしてラスフィアの部屋の前に残っていた匂いと同じものだった。
「知らねーなあ。俺があのお嬢ちゃんに、何の用があるってんだ?」
挑発するような笑みを浮かべるデレクに、レイドは今すぐに目の前の男を嬲り殺したい衝動に駆られた。けれどラスフィアの居場所を聞くまでは、殺すわけにはいかないのだ。
「おい、こいつだけか……⁉ 女性を連れていなかったか⁉」
ギーがレイドとデレクの真横で、仲間に詰め寄っている。沿岸警備隊の男は、不審げに眉を顰めながらも、ギーの質問に答えていた。
「え、あ、ああ。一人だ」
「乗り物は⁉ こいつがここまで来るのに使用した乗り物! 馬車でも車でも、何かないのか⁉」
ギーの更なる追及に、沿岸警備隊の顔色が変わり、そしてデレクの背後に見える海面を見つめた。
「車が海の中に……。麻薬を積んでいたから、証拠隠滅に沈めたと……」
沿岸警備隊がその言葉を言い終える前に、レイドは海の中へと飛び込んでいた。
歪む視界の中で周囲を見渡せば、かなり深い位置に沈んでいる車を見つけた。そしてその車の中には、探していた女性の姿が――。
車の窓ガラスは割れており、中にはすでに海水が入り込んでいる。レイドは急いで、車が沈んでいる場所まで潜り、力任せに扉をこじ開けた。
そしてラスフィアの身体を車から引き出し、己の胸に抱き留める。すると、まだ意識の残っていたラスフィアが、目を開け、レイドを見つめて来た。
初めて見た時と同じ、美しい瞳だった。その瞳を見つめているだけで、身体の奥底から、力が漲って来た。
間に合った。彼女は生きている。
全身を満たすような喜びを噛みしめ、もう一度ラスフィアの身体を抱え直し、レイドは海面を目指した。




