062.虎から猿への贈り物
「リューンは、ガキの頃からの友人なんだ。俺とは違い、昔から頭の良い奴でさ。ただ、少しばかり自分の頭を過信する傾向があってな。捕まった時だって、普段自分の生活範囲内じゃ絶対誘拐なんてしないってーのに、どうせ上物に浮かれちまったんだろうな。獲物を店にまで連れてっちまったらしく、結局それが仇になって、お縄になっちまった」
目の前で、ベラベラと喋り続ける大きな虎男を見て、ラスフィアはこれはあの悪夢の続きなのではないかと訝しんだ。
むしろ夢であって欲しい。切実に。
(というか……獅子って言ってたじゃない! この嘘吐き!)
玄関を開けた先にいた大きな虎は、ラスフィアの目の前で、見る間にその姿を人間のデレクへと変え、再び虎の姿へと変じたのだ。
そしてそのまま、大人しく自分の後について来ることを要求し、自らが運転してきたらしい車へ、粘着テープで口を塞ぎ、手足を縛ったラスフィアを横向きで押し込み、再び捕り物劇のあった港へと戻ってきていた。
周囲にはまだ、沿岸警備隊や警察隊の制服を着た人影がちらほらと確認できた。ほとんど敵地の中と言ってもいい場所に、何故デレクは戻って来たのか。
もしラスフィアがここで叫べば、きっと彼らの耳には届くだろう。すでに口を塞いでいた布は、当のデレクによって解かれているからだ。
亜人であっても、人間であっても。ここから叫べば必ず気付くはず。それくらいの距離だった。そして現状それをしていないのは、叫んだ瞬間殺すと言われていたからだ。
(船があるって言ってたから、それに乗るため……? いえ、さすがにもうその船だって押収されているわよね)
デレクの船の話は、ルパートも一緒に聞いていたのだ。見逃すはずがない。
(何のために、ここに連れてきたの……?)
デレクが一体、何を考えているかわからない。
デレクはここまで連れてきたラスフィアをどうするでもなく、二人で車に乗ったまま、ずっと一人で喋り続けているのだ。
運転席から後部座席を振り返り、ラスフィアの様子を、観察するようにして。
(そもそも……なんで、こいつが自由にしているのよ……! 何やってんのよ、沿岸警備隊……!)
ラスフィアの視線に気付いたデレクが、話をやめニヤニヤとした嫌な笑いを浮かべた。
「何で俺がここにいるのかって、顔してるな」
「……その通りよ。あなた、沿岸警備隊に捕まったんでしょ? どうして普通にここにいるのよ」
ラスフィアが聞けば、今度はデレクが得意げに笑った。
「監視の人数が少なくなったのを見計らって、相手が油断したところを――こうやってな」
デレクが大きく鋭い爪の付いた手を、手招きでもするように上から下へと動かした。
(……その爪で引っ掻いたってこと⁉ その人、生きてる……?)
おそらくは引っ掻かれた相手も亜人だろうが、虎の姿となったデレクの爪は、驚く程に鋭くて大きい。その爪を見せつけるように目の前で出し入れされ、ラスフィアは顔を青くした。
「はは! まあ死んじゃいねーとは思うが、あいつら今頃血眼で俺のこと探しているだろうな。でもまさか、お嬢ちゃんのところにいるとは思わない筈だ。それに……もしあいつらが捜すとしたら、人間の姿の俺か、獅子の亜人を探すだろうしな」
(だから、堂々と私の家に来たっていうわけね……)
デレクの言う通り。デレクは堂々と運転席から姿を周囲に晒している。きっと沿岸警備隊も警察隊も、人間の姿のデレクか、獅子の姿のデレクを探すのだろう。それに、今のデレクからはわずかだが香水の匂いが感じられる。これも、匂いを誤魔化すためのものだろう。これではデレク本人の匂いを追うことも、難しいはずだ。
デレクはまんまと、警察隊や沿岸警備隊を欺くことに成功したのだ。
だというのに、どうしてデレクはまたラスフィアになど会いに来ているのか。その理由がまったくわからない。今度は人質に、などという戯言は通じない。ラスフィアに会いになどこずに、さっさと逃げれば良いだけなのだから。
(いえ、良くはないんだけどね! でも普通そうするでしょ……!)
せっかく沿岸警備隊や警察隊を欺けたというのに、なぜこんなところでぐずぐずとしているのか。その理由がわからない。
長く首都へ留まれば留まる程、逃げ切れる確率は低くなる。それにいくら探してもデレクが見つからないとなれば、獅子の亜人だという、デレクの言葉自体を疑い出すはずだ。
そんなことはデレクとてわかっているだろうに、その危険を冒してでも、こうしてラスフィアを捕らえに来たのだ。よほどの理由があると見てよいだろう。むしろ何もないなどと言いようものなら、今度は「ふざけるな」と絶叫してしまいそうだ。
けれど、何故ラスフィアに会いに来たのかという答えについては、すぐにデレクの口からもたらされた。
「なあ、お嬢ちゃん。あんたなんだろ? あいつが捕まる切っ掛けになった奴」
デレクの言葉を聞き、ラスフィアの心臓が大きく跳ねた。
(まさか……リューンさんの、復讐……?)
ラスフィアはデレクの目の前で、「悪友二人」と叫んでしまっている。デレクはその言葉を聞き、リューンが最後に誘拐しようとした人間がラスフィアだと、勘付いたのだろう。
ラスフィアの居場所をレイドが突き止めたから、リューンは逮捕されることになった。そう考えると確かにラスフィアのせいと言えなくもないが、そもそもは誘拐などという犯罪を行っていたリューンが全面的に悪いのだ。そこはまったく、同情などする気はない。
「その顔見りゃ、答えなんて聞かなくともわかるけどな。……しかしなあ。こりゃ、あいつが血迷うのもわかるってもんだ。あんた……リューンが成功してたら、多分最高額で売れてたぜ」
デレクの言葉に、ラスフィアの頬が引き攣った。デレクは褒めているつもりらしいが、そんなことを褒められても、まったく嬉しくない。
「本当、馬鹿だよな。人身売買なんて、一生塀の中か下手すら絞首刑だ。ま、俺も似たようなもんだが」
「……あなたも、誘拐に関わってたの?」
被害者を眠らせるための薬を用意していたのがデレクなのだから、関わっていたことは確かだろう。だが、誘拐そのものに手を貸していたのかどうかが知りたかったのだ。
知ってどうなるものでもない。ラスフィアには何もできない。
けれどあのような夢を見てしまった後では、せめて真実だけでも知りたいと思ってしまう。何も知らされずにただ死んでいくなど、そんなのあんまりではないか。
「さあなあ。たまにあいつに頼まれた荷を運んでやることもあったが……そういや、中身を確認したことはなかったな」
そうは言いつつも、デレクの口元は緩んでいる。いくら薬で眠らされていたとはいえ、呼吸音やら匂いやらで、亜人であるデレクは託された荷の中身が何であるかはわかるはずだ。
(絶対、知ってたわね、こいつ……!)
きっと知ってて、知らぬふりをしていた。お互いに、暗黙の了解を貫いていた。こうして捕まった時、言い訳ができるように。
ラスフィアは湧き上がってくる怒りを抑え、あえて冷静な口調でデレクに質問をした。怒りと恐怖に取り乱せば、きっとデレクの思う壺にはまってしまう。
「……私をどうするの? 今度はあなたが売り飛ばそうって魂胆?」
「そうだな……。最初はそう思ってたんだが、それも逃げている今じゃ難しいしな。姿は変えられても、声はそこまで変わらない。あと、匂いもな。いくら香水でごまかしていようが、しばらくしたら今度はその香水を目安に探られちまう。それに、俺の船もすでに押収されているだろうし、下手な販路を選んじまったら、すぐに足がつくことになる」
「じゃあ……」
ラスフィアは、その後の言葉を続けることができなかった。売る気がないのなら、あとは仕返しとして痛めつけるか、殺すつもりかのどちらかしかない。
きっと両方だろうと、ラスフィアは感じていた。
そもそもが、痛めつけるにしても殺すにしても、こんなところまで連れて来る必要はない。それこそラスフィアが部屋の扉を開けた瞬間にでも、攻撃すれば良かったのだから。
でも、デレクはそうしなかった。こうやって時間をかけ、恐怖を与えているのだ。あるいは、何か他に理由があるのかもしれないが、デレクの考えていることなど、ラスフィアにわかるわけがない。
ふいに、やはり自分は逃げきれなかったのだと、諦めにも似た思いが浮かんで来た。
(……よりによって、あの誘拐事件の関係者に殺されるなんて)
ラスフィアの目に、悔しさのための涙が滲んできた。
せっかく助かったのに。レイドが助けてくれたのに――。
それでも、この男の前で泣くなど、真っ平ごめんだ。その想いだけで、ラスフィアは今にも零れ落ちそうな涙を、必死に堪えていた。
そんなラスフィアの姿を見て、デレクが笑った。その笑いは、いっそ清々しい程のものだった。
「女をこの爪にかけるのは、俺だって気が進まねえ。だが、俺たちが捕まる切っ掛けになったあんたを放っておくんじゃ、それも気が済まねえ」
その笑顔のまま、デレクが運転席から一人降り、後部座席の扉を開けた。
「もし、運よく俺がこのまま逃げおおせたとしても、この場所であんたが死ねば、あいつならすぐに俺のやったことだと気付くだろう。塀の中にいる友人への贈り物だ。まあでも……あいつなら何て勿体ないことを、なんて言うかもしれねーがな」
デレクは驚くラスフィアの口を再び粘着テープで塞ぎ、扉を閉めたあとは運転席に戻り、車のエンジンをかけた。
(まさか……)
「じゃあな、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんも運が良けりゃ、助かるかもしれねーぜ?」
バタンと扉が閉められ、景色がゆっくり、後ろへと流れていく。慌てたラスフィアが足で窓ガラスを蹴ろうとするも、両足が縛られているため思うように動けない。
口を塞がれてしまったため、この距離でももう、沿岸警備隊や警察隊に声が届くことはないだろう。
陸地が消え、空が消え、ついには窓の外の景色が、暗い青一色へと変化して――。ラスフィアを乗せた車はそのまま、無数の泡とともに、海の中へと沈んでいった。




