047.引き抜き
己の名を呼んだ相手を見て、ラスフィアは驚くと同時に懐かしくなった。
長く伸ばされた、柔らかそうな淡い金髪。その髪をゆるく頭の後ろで一本に結び、優しそうな菫色の瞳で微笑んでいる男性、クリストファー・メイウッドは、ラスフィアの幼馴染とも言える存在だった。
「クリストファーさん?」
ラスフィアから名を呼ばれたクリストファーは、「うん」と肯定の返事をしてから、「驚いた」と言った。だが驚いたのは、ラスフィアの方だ。
「新しい取引相手って、クリストファーさんなの?」
ゴードンは新しい取引相手は、自ら貿易会社を立ち上げたと言っていた。ということは、その会社を興したのは、目の前の幼馴染ということになる。
(どこかの貴族に婿入りしたあと、会社まで作ったの……?)
かつての噂が本当なら、クリストファーは貴族の家に婿入りしたはずだ。ならばその家の稼業を継ぐ傍ら、わざわざ会社を興したということになる。昔から優秀な人だと思ってはいたが、思っていたよりも随分と優秀だったらしい。
「うん。まだ二年目なんだけど、なんとかやってるよ。新しい取引先の開拓をしたいと思っていた時、トルロイさんに再会してね。マルグリットさんを紹介してもらったんだ」
ラスフィアが驚いていると、二人のやりとりを見ていたマルグリットが話に入って来た。
「あらあ。ラスフィアちゃん、どうしたのお? あとで驚かそうと思ってたのに、もう再会しちゃうなんて!」
「マルグリットさん、私とクリストファーさんが知り合いって、知ってたんですか?」
だが聞いてすぐに、それも当然だと思い至った。何しろクリストファーはトルロイに紹介されているのだから、トルロイと交友のあるマルグリットが知っているのは、当然だ。
(馬鹿なこと聞いたわ……)
「すみません。父からの紹介だというのなら、知っていても当然ですよね……!」
「幼馴染ってことは聞いてるわ。……まあ、他にも色々とねえ?」
目を眇め、クリストファーを見ながら口元を緩ませるマルグリットに、ラスフィアの背中に嫌な汗が伝った。
(……他にも色々って、何? ……もしや、告白を断ったこととか言ってないわよね⁉)
ついクリストファーを睨みつけてしまったラスフィアだったが、クリストファーからは穏やかな微笑みが返ってきただけだった。
「まあ、その話はあとで三人で話しましょう?」
過去の恋愛絡みの話をマルグリットに知られたと思って戦々恐々としていたラスフィアだったが、マルグリットの言葉に虚を突かれた。
(三人で……話し合い?)
「それで? ラスフィアちゃんはどうしたの? 何か補充したい商品でもあった?」
マルグリットに促され、ラスフィアは何故朝早くから本店に寄ったのかを思い出した。
「……マルグリットさんに、ちょっとお話がありまして」
「あら、なあに? お休み取りたいなら、今日はちょっと代わりの子はいないのよお」
「あ、いえ、そうではなく……」
ラスフィアはクリストファーに視線を送った。クリストファーに聞かれても、売店の仕事を変わって欲しいということだけならば問題ない。けれどもし、番云々まで話が及んでしまうと、少々困る。
(幼馴染に、わざわざ聞かせたい話じゃないわ……)
するとラスフィアの視線を受けたクリストファーが、「では、私はこれで失礼します」と言い、マルグリットとラスフィアに挨拶をして帰って行ってしまった。そのあまりのあっさり具合に、ラスフィアは呆けてしまう。
(久しぶりに会ったっていうのに……あっさりしすぎじゃない? ……いえ、こちらとしては話しを聞かれなくて助かったんだけど)
だが、話を聞かれたくはなかったが、もう少し話をしたかったとも思っていた。
クリストファーはかつて告白を断った相手、確かに気まずさはあった。だが、幼馴染であることは変わりないのだ。
(あとでどこかで食事でもと、思っていたのにな……)
そう思っていたのは、ラスフィアだけだったのだろうかと、あまりにもあっさりとしたクリストファーの態度に、幾何かの寂しさを覚えた。
☩☩☩
「それで? 話って何、ラスフィアちゃん」
先ほどまでクリストファーがいたであろう応接室に通され、ラスフィアはマルグリットと対峙していた。
「あの……。売店の仕事ですが、誰かに変わってもらうことは可能でしょうか?」
ラスフィアが切り出せば、マルグリットが眉を上げた。ドングリのように丸い目が、驚きにさらに丸くなっている。
「あら……。どうしたの? やる気になってたし、売り上げも順調だし、実際上手くやってるじゃない? ……何かあったの?」
「……いえ、そういうわけでは」
あるにはあったが、それが原因ではない。
しかし、本当の理由はできれば言いたくなかった。
(でも……何の理由もなしに他の誰かと交代してもらうのも、難しいわよね……)
マルグリット商会がガルストラ警視庁に支店を出してから二ヵ月近く経っているが、その月の両方が黒字経営だ。元々人助けの面が強かった出店なので、多少の赤字は許容されていると、ラスフィアも事前にマルグリットから聞いている。その上での黒字なので、マルグリット商会としては引き続きラスフィアに売店を任せたいと思うのは当然の判断だろう。
(まあ、私の功績かって言われるとそうじゃないんだけど……)
以前の売店を引き継いだから、というのが一番の理由だということは理解している。だが、それでも黒字は黒字。何事もないならば、わざわざ人を変える必要はない。
「さすがに何か正当な理由がない限りは、他の人に任せるのはちょっとねえ。小さい店舗だけれど、ラスフィアちゃんの後釜ってことは責任者ってことになるし、何より、ガルストラ警視庁で働ける人間ってそう多くはないし……」
マルグリットの言葉を聞いたラスフィアは、驚いた。確かに亜人に対し差別的な見方をする人間がいないわけではないが、それでもここは亜人が数多く生活するガルストラだ。その国に住んでいてさえ、いまだ亜人に対する偏見を持つ人がいることが、ラスフィアには信じ難いことだったからだ。
「ガルストラでも、まだ亜人に対する偏見はあるんですか……?」
それに、一緒に働く仲間たちはみな優しく、とてもそういった偏見を持っているようには思えなかった。
「偏見というか、恐れというかねえ……。私は、亜人に混じって港で働いていたから慣れてるけど、やっぱり普通の人間は、亜人に囲まれれば怖いという感覚があると思うわよお? ラスフィアちゃんやミュッテちゃんのような人間の方が、珍しいんだから」
ミュッテは恋人が亜人なのだから当然だし、ラスフィアはディートヘルのこともあるだろうが、きっと前世の記憶があったから、亜人を怖れるという感覚が薄かったのだろう。
(むしろ、萌え対象な感覚が強いかも……)
いまだ男女問わず、道行く亜人の耳や尻尾に、つい目が行ってしまうくらいだ。
「本当に嫌だというのなら、考えるけど……」
マルグリットがそこで言葉を区切り、一つ息を吐いてから話はじめた。
「でも、そうねえ。良い機会と言えば、良い機会なのかもね……。あのね、ラスフィアちゃん。私、さっきあとで三人で話そうって言ったでしょ?」
「? はい」
急に話を変えて来たマルグリットを不思議に思いながらも、ラスフィアは素直に頷いた。
「あれね。ラスフィアちゃんの引き抜きの件だったの」
「……引き抜き⁉」
引き抜きと言うことは、クリストファーが立ちあげたという貿易会社で働かないかという誘いかけだろう。
実家が商会を営んでいるから、ラスフィアも商会に関することならばある程度知っている。けれど商会と貿易会社では、仕事内容が異なるはずだ。それなのに、クリストファーは何故ラスフィアを引き抜こうなどとしたのか、理由がわからない。
「あの……貿易会社で私に出来ることがあるとは思えませんが」
「そんなことないわよお? 仕事内容自体、まったく異なるというわけじゃないし、任される仕事によっては、ラスフィアちゃんにうってつけのものも、あると思うわ。ラスフィアちゃん文字も読めるし、計算も出来るし、商品を見る目もあるし」
文字を読めることに関しては、両親に感謝しかない。計算が出来ることに関しても同様だが、それに関しては前世の記憶が多分に関係している。そして商品を見る目に関しても、前世使っていた商品に近いもの、あるいはその商品に至る過程での前段階の商品などを選べば、ほぼ間違いはない。
「私としては、ずっとラスフィアちゃんに居て欲しいと思っているのよ? トルロイから頼まれてもいるしね。でも、ラスフィアちゃんの可能性を勝手に潰すことはできないもの。ラスフィアちゃんが貿易の仕事をしてみたいと言うのだったら、送り出す準備をしなくちゃとも思っていたのよ」
マルグリットの言葉に、ラスフィアは何の言葉を返すことも出来なかった。
前世の人生で培った様々なものが、今のラスフィアを助けている。それについては本当に運が良かったと思っているし感謝もしているが、冒険を好まないラスフィアにとって、新しいものに手を伸ばすことは、やはり躊躇してしまうことなのだ。
今が良い。今のままが、心地よい。けれどその気持ちは、新しいことをして失敗するのが怖いという心の、裏返しでもあるのだと気付いている。
(でも……自分が本当に新しいことをしたいかどうかが、わからないのよね……)
臆しているのではなく、本当に今のままでいることの方が、自分にとっての正解なのかもしれないではないか。貿易で会社を相手に商売をするよりも、個人の消費者を相手にして、生活に根差した商売をしたいと思っているのが、自分の本音ではないのかと。
「売店の仕事を交代したいと言うのなら……メイウッド貿易会社で働くことも、考えてみる?」
自分の心を決めかねている今、マルグリットの言葉が、ラスフィアの心に重く落ちて来た。
クリストファーは、ep004に出てくる、ラスフィアに告白した子爵家の次男です。




