036.番=恋人じゃなくていい。だって、人間だもの
あれからあっという間に四日が過ぎてしまったのだが、ラスフィアはいまだにアレンに答えを告げることができないでいた。
とはいえ、心はとうに答えを出してしまっている。
アレンと恋人として、お付き合いすることはできない。アレンへの気持ちのないままお付き合いをしてしまったら、きっと小説の中のクロエとロイのような関係になってしまうだろう。
それでも、そのことをアレンに告げるのを決めかねている背景には、自分を「番」だという相手を、あまりにもあっさりと突き放して良いものか、迷う心があるからだ。
小説の中では、「番」という関係はどちらかと言えば否定的に描かれていた。
けれどお互いが気付かなかったならまだしも、どちらか一方でもその存在に気付いてしまったのなら、なおかつ、気付いた者が「番」として相手を求めているのだとしたら。
一時の感情だけで、その相手との関係を決めてしまって良いのだろうかと悩んでしまう。
人間であるラスフィアには、番の感覚がわからない。そして今現在、アレンに対し特別な感情は抱いていない。
けれどこれから先、絶対にアレンへの気持ちが変わらないと、そう言い切ることもできないのだ。
だがその時は、今後来るかもわからない未来のことだ。その未来を怖れて、今の本当の自分の気持ちを偽ることは、賢い選択とは言えないだろう。
けれど、ラスフィアとて小説の中でのクロエとロイの関係とその結末を知らなかったなら、もしかしたら申し訳ないという気持ちだけで、アレンの好意を受け入れてしまっていたかもしれない。
そして同時に、「番」を失った小説でのロイの末路を知っているからこそ、決定的にアレンを拒絶することを怖れてしまうのだ。
(もし私が断ったせいで、ハマートンさんの未来がクローディオさんのようなことにでもなったら……)
うっかり警察隊を辞めていくアレンの後ろ姿を想像してしまい、ラスフィアは小さく溜息を吐いた。
過去にはもし自分が誰かの番だったらと夢想していたこともあったけれど、そうなった場合、もっと心が躍るような事態が待っていると勝手に思っていた。
(考えていたのと、だいぶ違ったわ……)
もし、番だと言われたのがライナスやレイドだったとしたら、自分はこんなに悩まなかったのではないだろうかと、ラスフィアは考えていた。
(いえ……万が一レイドさんだったら、多分もっと悩むかも……)
レイドの運命の恋人は、あくまでリアーナだ。
お邪魔虫の役割など、断じて御免こうむりたい。
番同士ではない恋人との関係を描いた小説の、主人公カップルの片割れなのだ、世界のどこかには番がいたとしても、きっと目の前に現れるようなことにはならないのだろう。
ましてや、例え目の前に現れたとしても、番と認識することなどないのかもしれない。
けれどライナスだったら、小説を読んでいたため親近感があるし、実際に会う機会を得た今となっても、好意的な気持ちは変わらない。むしろ増している。
恋愛感情はないけれど、ここまで重い気持ちにはならなかったはずだ。
そうやって考えてみると、やはりアレンが番だという事実にこそ、自分は困惑しているのだということが、余計に明らかになってしまった。
(どうしてハマートンさんなのかしら……?)
ミュッテは胡散臭い人というが、ラスフィアは特にアレンの事を胡散臭いとは思っていない。いないが、必要以上に親しくなりたいという気持ちも、持っていなかった。
悪い人ではないと思う。けれど、自分とはあまり相性が良くないのではとも感じていたのだ。
そんな風に感じていた相手がまさかの番だったなど、想定外にも程がある。
(私の偏見? それこそ小説なんかでは、最初印象の悪かった人に、あとから恋をする話なんてたくさんあるけれど……)
考えてもみれば、リアーナとレイドだって、最初はいがみ合っていたはずだ。ラスフィアとアレンはいがみ合うとは程遠い関係だが、最初から好印象ではないという点が共通点であるとも言える。
(もしかしたら本当に……ハマートンさんに対する気持ちも、これから変わっていくのかしら……)
考えてわかることでもないのだが、それでも考えずにはいられない。
自分が恋に奥手だということも、恋愛音痴だということも自覚していた。だからこそ、これから自分がアレンに出そうとしている答えに、確信が持てないでいるのだ。
ラスフィアはごちゃごちゃの頭と気持ちを持て余し、もう一度深い溜息を吐いた。
☩☩☩
午後になると、リアーナが売店にやってきた。
「こんにちは、ラスフィアさん」
(あ、そうだった……。リアーナさんが来るの、今日だった!)
ラスフィアは注文を受けた時に、自分が一週間後に訪ねて欲しいとリアーナに言ったこと、そして今日がその一週間後だと気が付いた。
「少々お待ちください。取ってきます」
準備はしてあったので、取り置き商品を置いてある、備品倉庫兼、作業室に取りに行くだけだ。
「お待たせしました。どうぞ」
礼を言って紙袋を受け取ったリアーナだったが、まだ何かを言いたそうにその場から動こうとしない。
普段リアーナは、買い物が終わるとすぐに仕事に戻って行く。ラスフィアと立ち話をするのは、昼食時の休憩時間か、ラスフィアが商品を用意している間のみだ。
「まだ他に、注文がありますか?」
ラスフィアが聞けば、リアーナは少しだけ言い淀んでから口を開いた。
「いえ、あの……。少し小耳に挟んだんですが……。ラスフィアさんが、誰かに番だと言われたと……」
(り、リアーナさんにまで知られてる……!)
それは少なくない衝撃だった。
誰から聞いたのか尋ねようとしたラスフィアだったが、噂など広まる時はあっという間に広まってしまうことを以前の経験から身をもって知っていたため、結局は聞くことを止めた。
しかも噂には、尾と鰭が付くことが当たり前。
ここでアレンの名が出てこないことを考えると、リアーナの聞いた噂はまだ良い方だと言える。
「……はい。私にはまったく、その実感がないんですが」
「ラスフィアさん……」
リアーナが眉を顰め、痛ましそうにラスフィアを見つめて来る。
(私……そんなひどい顔している?)
だとしたら、気を引き締めなけらばならない。お客様の前で暗い表情をするなど、商売人としては失格だ。
「不躾な質問だとはわかっているのですが……お聞きします。ラスフィアさんは、その相手にどう答えるおつもりなのでしょうか?」
「え?」
なぜリアーナがそんなことを気にするのか、ラスフィアは不思議に思った。だが、単なる好奇心から聞いたというわけでもなさそうだ。それはリアーナの真剣な表情を見ればわかる。
だからラスフィアは、正直に胸の内を明かした。
「……まだ、決めかねてます」
「ラスフィアさんは、相手のことがお好きなのですか?」
答えにくいことをぐいぐいと聞いて来るリアーナに、ラスフィアはたじろいだ。
(どうしたの、リアーナさん……? 何か、すごく……積極的?)
「す、好きかどうかと聞かれると、好きではないんですが……。嫌いでもないという……」
とにかくアレンに対する感情はとても曖昧で、だからこそ困っているのだ。
「そう……ですか」
リアーナは、そう言った切り黙り込んでしまった。
けれどその時間はわずかなもので、すぐにまたラスフィアの瞳をじっと見つめ、言って来た。
「ラスフィアさん。ご自分の気持ちを、大切にしてください。誰に何を言われようとも、ラスフィアさん自身が嫌だと思うなら、嫌と言ってもいいんです」
「……番なのに、ですか?」
「番でも、番でなくても変わりません。私たち人間にとって、番は関係性の一つに過ぎません」
リアーナはラスフィアの瞳を見つめ、きっぱりとそう言い切った。
(リアーナさんが言うと、何だか説得力があるわ……)
小説の中のリアーナは、番など関係なく、亜人であるレイドと恋人になったのだ。
もしかしたらレイドにだって、番がいたかもしれない。出会っていないだけで、世界のどこかにはいたのかもしれない。
けれど二人は互いを唯一として、種族を越えた愛を育んだのだ。
(私も……恋をするなら、そういう恋がしたい……)
番だろうが、番でなかろうが。
心から好きだと思える相手と、恋を育みたい。
本当にいいのかという気持ちは、消えてはいない。けれど、心にかかっていた霧が晴れた気がした。
そうだ。
人間であるラスフィアにとって、番とは、関係性の一つ。
それが、恋人と同義でなくとも、良いではないかと。
(……ハマートンさんに、ちゃんと言おう。……恋人にはなれませんって)
たとえそれがアレンを傷付ける結果になろうとも、自らの気持ちを偽るよりは、ずっと良い。
ラスフィアが己の気持ちを偽ることは、アレンにも嘘を吐き続けることになるのだから。
「……ありがとうございます。リアーナさん」
これほど軽やかな心持になったのは、一体何日ぶりだろうか。
ラスフィアは心からの感謝を込め、リアーナに礼を言った。




