035.最後通告
売店のシャッターを下ろしながら、ラスフィアは溜息を吐いた。
以前はあれほど毎日のように来ていたというのに、今日に限り、アレンが売店に顔を出さなかったからだ。
(また後でって、言ったのに……)
昨日の今日で来ないとは。
その代わりと言っては何だが、今日は何故かロイやライナスが立て続けに売店を訪れている。ライナスはもともとよく売店を訪れてくれるが、ロイは意外だった。もしかしたらクロエの友人ということで、気にかけてくれたのかもしれない。
「在庫確認終わりました、ラスフィアさん」
「お疲れ様、ミュッテちゃん」
若干疲れが見て取れる表情で、衝立の奥からミュッテが顔を出した。ミュッテには奥の作業所で、商品の在庫を確認して貰っていたのだ。
「今日も繁盛しましたね」
「そうね。いつも有難いわよね」
ガルストラ警視庁に支店を出してから、今日でもう一月近くが経つ。
以前から入っていた店を引き継ぐ形での開店だったため、客足と売り上げは上々だった。
「そういえば、今日はあの人来ませんでしたね。あの……何か胡散臭い人」
ミュッテの言っている何か胡散臭い人とは、アレンのことだろう。何か胡散臭い人ですぐにアレンのことを想い浮かべたのは、何もラスフィアがアレンのことをそう思っているからではない。ミュッテが以前、アレンのことをそう評していたからだ。
「……ハマートンさんかしら」
「そうです、そうです。ラスフィアさんに気がある人」
「……そうね。来なかったわね」
(本当に、何で今日に限って来なかったのかしら? 別に、ハマートンさんに会いたいわけじゃないけど……。何で番なんて言ったのか聞かないと、気になって仕方ないわ……)
なぜアレンがあのような事を言ったのか、早く真実を確かめたいのだ。
アレンのあの時の物言いは、普段売店で口説いてくる者たちのような、軽々しい言い方ではなかった。だからこそ、ラスフィアは恐れているのだ。もし、自分が本当にアレンの番だったとしたら、どうすれば良いのかと。
(クロエがクローディオさんに番だと言われて困惑したことも、今なら心の底から共感できるわ)
だが、クロエとラスフィアでは、異なる部分もある。
ラスフィアとて、アレンのことを嫌ってはいない。嫌ってはいないが、クロエのように、好かれて嬉しいとも思えないのだ。
(早く決着付けたい……!)
けれどアレンが売店に顔を出したのは、衝撃の発言から、実に三日後のことだった。
☩☩☩
「これ下さい」
目の前に差し出された瓶詰飲料と、それを持っている男性を見て、ラスフィアは唾を飲み込んだ。
(来た……! ハマートンさん!)
アレンは何故かいつも人気の少ない時間帯に売店を訪れるのだが、特に今日はまだミュッテが出勤していない時間帯のため、売店にはラスフィアとアレンの二人だけだ。
番を恋人に持つミュッテが傍にいてくれれば心強いかとも思うが、それではアレンに番だと言われたことを、ミュッテにバレてしまう。
(むしろ、いなくて良かったのかしら……。ハマートンさん、気を使ってくれたとか……?)
「ハマートンさん……あの、先日は助けて下さってありがとうございました」
「ああ、気にしないで。自分の番を助けるのは、当然のことだから」
あまりにも自然にアレンの口から「番」という言葉が出てきたことに、ラスフィアは一瞬、自らの時が止まったかのような感覚に陥った。
(今……しれっと番と言ったわね……)
「あの……番って、どういう意味で……」
「そのままの意味だよ。エーレンさん」
アレンが静かな笑みを浮かべたまま、まるで最後通告のごとくラスフィアに告げた。
「君は、僕の番だ」
はっきりとアレンにそう言われ、ラスフィアは今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「あ、の……でも、私には番かどうかが、わからなくて……」
何故かはわからないが、声が勝手に震えてしまう。
何故、自分はこんなに怯えているのだろうかと考える。
答えはすぐに出た。考えるまでもなかった。
自分は嫌だと思っているのだ。アレンの番であることを、嫌だと。そのことが今、はっきりとわかった。
自分を番だというアレンのことを、自分がアレンの番だという事実を、ラスフィアは恐ろしいと感じているのだ。
「それは仕方ないよ、君は人間だからね。だから僕も、今まで言わなかったんだ」
「それは……」
言わないでいてくれたままで、良かったのに。
アレンはラスフィアのことを考えてくれていたというのに、自分ときたらそんな勝手なことを思ってしまう。そんな気持ちしか抱けない自分のことを、アレンに対し申し訳なく感じた。
「エーレンさん。君が番を認識できないのは、仕方のないことだ。でも僕は、君と恋人になれたらいいと思っている」
はっきりと自分の想いを告げてきたアレンに、ラスフィアは息を呑んだ。
これで、曖昧に誤魔化すことすら出来なくなってしまった。否、番と言われてしまった時から、ラスフィアには何らかの答え出す責任が生じたのだ。受け入れるにしろ、否定するにしろ、ラスフィアはアレンに対し、ちゃんと向き合わなければならない。
クロエの気持ちをわかっているなどと思っていたが、それは勘違いだったのだ。はっきりと答えを出すことが、こんなにも気の重いものだとは思わなかった。
「す、少し、時間を下さい」
それだけ言うのが、精一杯だった。
☩☩☩
時間が欲しいと言ったラスフィアに対し、アレンは快く承諾してくれた。
しかし、いつかは答えを出さなくてはならないし、いつまでも待たせるわけにはいかないため、余計に気が焦ってしまう。
(ものすごく……気が重い……)
ラスフィアは大きく息を吐き出した。
「……ラスフィアさん。三度目ですよ、溜息」
「あ、ごめんね! 辛気臭くって!」
「いえ、そういうことではなくて……午前中、何かあったんですか?」
ミュッテの透明な瞳が、心配そうにラスフィアを見つめてくる。恋人が番だというミュッテに相談に乗って欲しいという思いもあったが、それがミュッテとはいえ、やはり他人にはあまり知られたくないという思いの方が強かった。
なので、これは単なる好奇心だというふりをして、ラスフィアはミュッテに聞いてみた。
「……あのね、ミュッテちゃん。前に恋人が亜人で、彼はミュッテちゃんのことを番だと認識しているって、言ってたじゃない?」
「ああ、はい」
ミュッテが嫌がるようだったら、聞くのは止めようかと思っていた。けれどミュッテの表情を見るに、特に嫌がっている様子はない。なので、ラスフィアは思い切って聞いてみた。
「ミュッテちゃんは、はじめて相手に番だと言われた時、どんな気持ちだった?」
「どんな気持ち……ですか? んー……かなり幼い頃、多分二、三歳の頃のことなので、その時どう思ったかはよく覚えていないんですが……」
「……そっか」
そういえば、ミュッテは小さな頃から言われていたと言っていた。そんな幼い頃の感情など、本人の言う通り、覚えてなどいないだろう。
「……でも、多分嬉しかったんじゃないでしょうか。母が言うには、番だと言われたあとすぐに、二人して仲良く遊び出したと言っていたので」
「そう……ありがとう」
ラスフィアが若干気落ちしながら礼を言うと、ミュッテが怪訝そうに眉を顰めながら聞いてきた。
「もしかして……誰かに番だと言われたんですか?」
真実を言い当てたミュッテの言葉に、ラスフィアは動揺した。
「え⁉ ど、どうして⁉」
「やっぱり言われたんですね……」
ラスフィアは認めていないというのに、ミュッテは何故か確信を得ているようだった。そして、確信に至った理由を話し始めた。
「先日、ラスフィアさんが食堂から戻ったあと、私も食堂に行ったじゃないですか。その時、食堂内が一つの噂で持ち切りだったんですよ」
「う、噂?」
「はい。話がちょっと錯綜していたので、はっきりラスフィアさんのことだとはわからなかったんですが、今の態度を見てはっきりしました」
「待って⁉ 噂って、一体どんな噂⁉」
「亜人の男性が、人間の女性の番を得たって」
まっすぐな視線を向けて来るミュッテに、ラスフィアは言葉を失くした。
「でも、その人間の女性って言うのが、売店の女性って言ってる人もいれば、食堂で働く女性だって言ってる人もいて、ちょっとあやふやだったので、もし話の人物がラスフィアさんだったとしても、本人から言われない限りは、こちらからは聞かないでおこうと思っていたんです」
噂の女性の正体がはっきりしなかったのは、きっとその場にラスフィアの他にクロエもいたからだろう。そして実際、人間であるクロエもロイという亜人の番なのだから、噂の内容自体は間違っていない。
「そう……なのね。もう、噂に……」
考えてもみれば、あれだけの者たちがいる前で、アレンはラスフィアのことを「番」だと言ったのだ。亜人の中には、耳の良い者たちだって大勢いる。きっとかなりの人数が、ラスフィアがアレンの番だということを、知ってしまったのだろう。
「……大丈夫ですか? ラスフィアさん」
ミュッテに大丈夫かと聞かれたラスフィアは、泣きたい気持ちになった。




