034.運命の恋をしてみたい/後悔
今日、ライナスは朝からずっと、レイドと共に溜まっていた書類仕事をこなしていた。
レイドは書類仕事が大の苦手だ。けれど今はしぶしぶながら、自分の机に向かっている。
少し前のレイドだったら、書類仕事をすべてリアーナに押し付けてどこかへ逃げていたはずだ。ライナスは我が子の成長を見るような気持ちで、仏頂面をしながら書類に視線を落としているレイドを見つめた。
レイドが自分の書類を処理しているため手の空いたリアーナには、捜査に必要な資料を探しに行ってもらっている。そのため今は、ライナスとレイドしかこの部屋にはいない。
女性がいなくなっただけで、随分とむさくるしい空間になった。
ふと、そんな親父臭いことを思ってしまった己をライナスが後悔していると、部屋のドアがノックされた。
入室の許可を求めて来たのは、珍しい人物だった。
「入ってくれ」
ライナスが声をかけると、一拍置き、ロイが扉を開けて入って来た。
ここ最近は関わることも多くなったが、それでも、部署の異なるロイがこの執務室を訪ねて来ることはほとんどない。
「どうした、ロイ」
何かあったのかと案じた言葉を告げたライナスに対し、レイドは辛辣だった。
「何の用だ、駄犬」
レイドを良く知らない他人が聞けば、まるで喧嘩を売っていると思うだろう。
だがレイドの言葉にしては、悪態の中にも幾何かの親しみが隠れている。そんな些細な違いに気付いてしまうほどに、ライナスとレイドの付き合いは長いのだ。
「うるせー。誰のために来たと思ってる」
「あ? 何言ってんだ」
ロイがレイドを見据え、レイドの弱点ともなり得る内容を口にした。
「ラスフィア・エーレン。あんたの番だよな」
レイドが番を得たことは、普段のレイドの態度とラスフィアに対する態度の違いを見れば、わかる者にはわかる筈だ。
番を得たロイには、なおさら隠してはおけないだろうとは思っていたが、ここへきてなぜが直球で来た。レイドもロイが何のつもりか訝しんでいるようだ。
だが、その事実をロイに対して隠す気もないらしい。
「だったら、何だ」
「あんたのせいで、怪我をした」
ロイの言葉を聞いた瞬間、レイドが血相を変えて椅子から立ち上がった。
「怪我だと⁉」
レイドばかりではない、これにはライナスも身を乗り出した。彼女は何故かよく事件に巻き込まれる。今回もまた何かに巻き込まれでもしたのだろうかと、気持ちが急いた。
けれど、すぐさま部屋を出て行こうとするレイドを、ロイが止めに入った。
「たいした怪我じゃない。今日も売店に出勤している」
ロイの言うことを信じたのだろう、レイドが脚を止め、ロイに詰め寄った。
「俺のせいってどういうことだ!」
「赤茶の髪の、猿の亜人の女、知ってるか? 名は多分、リンジー・アンヴィル」
その女はおそらく、レイドが以前に一度関係を持ったことのある女だろう。容姿の特徴に、覚えがあった。
だが、一月もしない内に別れたはずだ。否、きっとレイドは付き合っているつもりもなかっただろうが、この場合、相手がどう捉えていたかが問題だ。
「……そいつが、ラスフィアに何をした」
「熱い茶をぶっかけた」
ロイの言葉を聞いた瞬間、レイドの纏う気配が変わった。
これはまずいと、ライナスは咄嗟に身構えた。ライナスでさえ、ロイの告げた内容に憤慨したのだ。番を害されたレイドの怒りは、如何ばかりか。
この場にはロイもいるため、おそらくだがレイドを抑えることは出来る。だが、そうなればレイドに怪我を負わせてしまうかもしれない。それをしてでも、どうにか部下を止めなければならないとライナスが覚悟しところ、ロイが落ち着いた声でレイドを諫めた。
「落ち着けよ。たいした怪我じゃないと言っただろ」
まるで他人事のように言うロイを、レイドが睨みつけた。無言だが、圧力が凄まじい。まずは目の前のロイを殺しそうな勢いだ。
「……あんたの気持ちはわかる。もし同じことをクロエがされたら、俺だって黙っちゃいない。だが、あんたに言わなきゃならないことは、それだけじゃないんだ」
これ以上まだ何かあるのかとライナスが怯んでいると、ロイがある意味、先ほどよりも衝撃的な内容を告げて来た。
「あんたの番を、自分の番だと言っている奴がいる」
ライナスは最初、ロイの言葉を理解するのに苦労した。そして、疑った。他人の番だとわかっている存在を、己の番だと偽る。「番」の重要性をわかっているはずの亜人が、そんなことをするのだろうかと。ロイの勘違いではないかと。
だがすぐに、きっとその人物は、彼女がレイドの「番」という事実を知らないのだろうということに、考えが及んだ。見る者が見ればわかるだろうが、中には勘の悪い者だっている。
そしてもし知らないならば、ちょっとした狡い考えや、あるいは口説き文句として、番を偽る輩だっているかもしれない。どちらにせよ、わざととは考えにくい。
何しろ、レイドの番だ。
もしその事実を知っていたら、道徳云々よりも、そのような恐ろしいことはしないだろう。レイドの番と知ってなお、その相手を己の番と偽るなど、レイドに喧嘩を売っているのと、同じことだ。
「あんたの番は、おそらくその嘘を信じているぞ」
その言葉を聞いた瞬間、レイドの表情が固まった。
驚愕。衝撃。そんな言葉では表せない、まるで、目の前のすべてが幻想だったと知った時のような顔だ。目の前に突き付けられた現実を、信じられない、信じたくない、そんな気持ちだろうと想像させる表情だった。
言葉を失ったレイドに代わり、ライナスがロイを問い詰めた。
「何故、そんな事態になっている。彼女を己の番だと言っている者は誰だ」
ライナスの追及に、ロイが怯んだ様子を見せた。
「俺が直接聞いたわけではないんですが……」
「いいから言うんだ。名は?」
「……アレン・ハマートン」
「アレン・ハマートン……。……どこかで聞いた名だが、思い出せないな。お前はどうだ」
そうレイドに振れば、レイドも力なく首を横に振った。そんなレイドに向けて、ロイが言い放つ。
「一応、治安部の同僚だ。そいつが、亜人の女からあんたの番を助けたらしいぞ」
ロイのその言葉に、ライナスは自分のことでもないのに天を仰ぎたくなった。今のレイドの気持ちを考えると、とてもではないが他人事として処理できない。
自分のせいで番が被害を受けただけではなく、自らの代わりに番を偽る相手に、大切な番を助けられるとは。
「レイド……」
消沈する友人の姿を見たライナスには、かける言葉もなかった。だが、同じ番を持つ者としてのロイは違ったらしい。
「あんたがさっさと番だと言っておかないから、こういうことになるんだ。今更あんたが番だと名乗りでても、人間である彼女は、どちらを信じればいいかわからないだろうな」
きつい言葉だったが、ロイの言っていることは間違っていない。
早いもの勝ちとまでは言わないが、レイド以外にラスフィアのことを番だと言う者が出てしまった以上、後から己こそ本当の番だと名乗り出たとして、説得力がなくなってしまう。
本当に番なのだとしたら、何故今まで黙っていたのかと。
下手をすれば、番に不満を持っている、あるいは、彼女を番と認めていないと取られてしまっても仕方ない。ましてや、レイドはこれまで番を信じていなかったしそれを豪語してきたのだ。番を認めていないという言葉に、説得力が出てしまう。
レイドだけではない。これはライナス自身の考えも甘かったのだと言わざるを得ない。まさか番を偽る者がいるなど、ライナスは考えたことがなかったのだ。
だがライナスはすぐに、まだそうと決まったわけではないと感情を切り替えた。
「……そのアレンという男は、本気でエーレン嬢を番だと言っているのか? 他の者たちのように、女性を口説くためのただの文句では?」
今や「番」という言葉は、意中の相手を口説き落とす時の定番文句となっているのだ。相手もそう言った意味で、ラスフィアに己の「番」だと言ったのではないかと。
「俺もその場にいたわけではないから、はっきりとは言えませんが……クロエの話だと、少なくとも冗談を言っている様子ではなかったと……」
ロイの言葉に、ライナスは方眉を上げた。
そんな場合ではないとはわかっていたが、ロイの言葉に気を取られたからだ。そしてそれはレイドも同じだったらしい。
「……なんだ、お前。番に嫌われてるんじゃなかったのか?」
「嫌われてない! 友人だ!」
レイドの言葉に、ロイが即座に反応した。
「ああ?」
「……あんたの番のおかげで、クロエとちゃんと話をすることができた。これでも感謝してるんだ。だから、こうやってあんたに知らせに来たんだろ」
そう言うロイは、どこか悔しそうに見えた。自分の力だけで番との仲を進展させられなかったことを、口惜しく思っているのか。あるいは、レイドの「番」に世話になったことを、レイドに報告しなければならないことを、不満に思っているのか。
「……俺に知らせることが、ラスフィアのためになると思ったのか?」
レイドの問い掛けに、ロイはしばし考えたあと答えた。
「さあな。よりあいつを傷付ける事態になる可能性もあるが……それでも、番であるあんた以上に、あいつのことを想っている奴はいないと、俺は思ってる」
それについては、ライナスも同感だった。
レイドは常に、ラスフィアのことを優先して考えている。
そこには多少なりとも己の恐怖心が潜んでいるかもしれないが、それでもレイドの中での優先順位は変わらない筈だ。
「それより……あんたの知り合いの亜人の女。本当に名前はリンジー・アンヴィルか?」
赤茶の髪で猿の亜人と来れば、おそらくレイドが過去に関係を持った女で間違いないだろう。
だが、ライナスはその亜人の女の名を知らない。しかし、もしかしたらレイドも知らないかもしれないと思いレイドに視線を向ければ、案の定、どこかむっとした様子のレイドの姿が目に映った。
これは知らない顔だ。
「……おい。関係を持った女の名前くらい、覚えとけよ」
もっとも過ぎるロイの言葉に、レイドがそっぽを向いた。そしてぽつりとぽつりと、女の特徴を話し出した。
「髪は長い。色は茶系統。耳と尾が獣化している、猿の亜人だ」
レイドの言葉を聞いたライナスとロイは、二人して溜息を吐いた。
髪の長い猿の亜人の女など、大勢いる。しかもそのほとんどが、茶系の髪と体毛だ。
「……ま、多分リンジー・アンヴィルだ。クロエたちも、その女がそう呼ばれていたと言っていたしな。そいつも治安部隊所属だ」
「……アレン・ハマートンと同じ所属か」
確認を取れば、ロイが頷いた。
「だからと言って、どうということもないんでしょうが……」
ロイの懸念もわかる。
ラスフィアに茶をかけた女も、番と偽っている男も治安部隊。利害が一致し、接触があるという点では、警戒しておくに越したことはない。
仕事に戻ろうとするロイにライナスが礼を言えば、レイドも「助かった」と、小さいがっはっきりとした声で礼を言った。




