033.三人での食事会
食事会は、とても静かなものとなった。
皆黙々と、目の前を料理を食べている。
食事を取っている間も、ロイの視線はクロエに注がれていた。売店でラスフィアの作業を何となしに見ていたものとは異なり、その視線にははっきりとクロエに対する熱が込められている。
(常にこの瞳でじっと見られたら……確かに落ち着かないかも)
落ち着かないというか、緊張するというか。
そもそも亜人が向けて来る視線というものは、強いのだ。目力があると言い換えても良い。
一体、どうやったらあれほど視線に力を込められるのか、ぜひとも知りたいものだ。その力がラスフィアにもあったら、昼間あの亜人の女性を睨んだ時だって、もっと相手を怯ませることが出来たのに、と。
昼食時のことを思い出してむっとしていたラスフィアの耳に、小さな金属同士がこすれ合うような音が聞こえて来た。
ハッとしてクロエを見れば、わずかに震えているのが目で見てわかる。音は、クロエの持つフォークと皿が触れあって立てていたものだった。
ロイもクロエの震えには、当然気付いているだろう。悲しそうに眉が顰められている。
「……ごめん」
「え……?」
突然謝ってきたロイに、クロエが驚いたようにロイを見上げている。
「話をするまでもない。どうかもう、怖がらないでくれ。しつこくして悪かった」
ロイがそう言った途端、クロエの目が見開かれた。
「君みたいな小さい娘が、こんな大きい奴から迫られれば、怖いよな。嫌われても仕方ない……」
そう言って、ロイが悲しそうに瞳を伏せる。その姿を見たクロエが、慌てて否定した。
「ち、違うんです……! 違うんです……嫌いなわけじゃ……」
いつものクロエらしからぬ大声に、今度はロイの方が驚いている。ロイの驚く姿を見たクロエが声量を落とし、いつも通りの声量で、しかしはっきりと告げた。
「嫌いなわけじゃ、ないんです」
「でも……」
ロイは、クロエの言うことが信じられないようだ。
「き、緊張……してしまって……」
ぽつりと落とされたクロエの言葉に、ロイがわずかに息を呑んだ。
「私は……仕事が出来るわけじゃないし、どんくさいし。……美人でもないし」
美人ではないと謙遜するクロエに対し、ラスフィアは心の中でそれは違うと首を振った。
(クロエは美人というよりは、可愛いタイプなのよ……)
クロエの顔は整っている。
少し垂れ目なところが、もしかしたら相手によっては子どもっぽいと受け取られてしまうのかも知れない。それでもほとんどの者は、クロエのことを可愛いと評するだろう。
「自信もないし……。どうして、私なのか、そう、思っちゃって」
クロエの顔が、だんだんと下を向いていく。
そのまま顔を俯けてしまったクロエに対し、最初は黙ってその様子を見つめたままだったロイが、やがて穏やかな声で話し始めた。
「俺は……どんな小さなことにも、一生懸命な君が好きなんだ。大きな身体の亜人たち中、小さな身体で一生懸命働いている姿に、感動すら覚えていた。クロエ……。君を見ていると、俺は本当に幸せな気持ちになれるんだ。とても、穏やかな気持ちに」
クロエがロイを見つめている。その視線には、ロイに対する恐れや嫌悪など、一欠けらも窺えない。
「俺が君を好きなのは、番だからじゃない。君が番だと知る前から、俺は君のことを見ていた。多分……俺は、好きになった相手が番だったことに、はしゃぎすぎていたんだ」
ロイは一度言葉を止め、そして正面からクロエを見つめた。
「クロエ。絶対に、君に無理強いしたりしない。君が嫌がることもしない。だから、これからも君に会いにいってもいいか?」
クロエの顔が赤い。ロイの顔を見ては、下を向き、また顔を上げてロイを見ては、また下を向くの繰り返した。
けれどしばらく同じ動作を繰り返していたクロエが、ポツリと、しかしはっきりと「もちろんです」と口にした。
「……もちろんです。クローディオさんのことは、と、友達だと思ってますから」
真っ赤な顔でロイを友達だと言うクロエの言葉には、あまり説得力がない。これまでロイを見て顔を赤らめたことなどなかったのだから、その変化は随分と顕著だ。
「ああ、それでいい」
そしてロイは、今にも愛しさが零れそうな満面の笑みでクロエを見つめている。
(まあ、友達とは言っても……原作でも二人は恋人だったし、遠からず恋人に進展するでしょうね……)
小説ではクロエはロイに対し、恐れに似た感情を持っていたはずだ。きっと己の気持ちが追い付かないうちに、流されるままにロイと恋人になってしまったことが原因だろう。
でも、今のクロエは違う。ロイのことを、本当の意味で憎からず思っているのが伝わって来る。
「ええと……それじゃあ、二人とも。食事を再開しましょうか!」
食事はすでに冷めてしまっているが、そんなことはどうでもいい。ラスフィアの提案に、クロエもロイも穏やかな微笑みで頷いてくれた。
「クローディオさん、足りますか?」
目の前の料理を次々と平らげるロイを見て、料理が足りなかったかもしれないと、ラスフィアは心配になった。
「まあ……大丈夫だ、足りる」
大丈夫とは言っているが、まあ、という言葉がついているのであまり信用できない。
「あの。私の分、食べますか? 食べかけで、申し訳ないですけど」
クロエがそう提案した途端、ロイが顔を赤らめた。しどろもどろになりながら、「も、貰う」と言ってクロエから皿を受け取っている。
(まあ……これも一種の間接キス……)
絶対にクロエは気付いていないが、きっとロイはそのことに思い至っている。ラスフィアは渋い表情でロイとクロエを見つめた。
ロイは皿についたソースまで、パンに塗って残さず平らげてくれた。
そのおかげで洗い物が楽になったと感謝しながらラスフィアが腕まくりをした時、隣にいたクロエがラスフィアの腕の火傷に気が付き、眉を顰めた。
「ラス。ここ、赤くなっちゃったわね……」
「たいしたことないわ。そんなに熱くなかったし……。すぐ治るわよ」
皿を運んで来たロイも、ラスフィアの腕を見て僅かに眉を顰めた。
「何だ? 料理の最中に火傷したのか? 気を付けろよ、あんた。クロエが悲しむだろ」
「違うの、実は……」
「いいの、クロエ!」
昼間のことを話そうとしたクロエを、ラスフィアは止めた。
もしかしたらロイにも迷惑をかけてしまうかもしれないし、それに、アレンに「番」だと言われたことを誰かに知られるのが、なんとなく嫌だったのだ。
それでも、ラスフィアの剣幕を見たロイは、何かあったのだと気付いたらしい。
「……何かあったのか?」
ロイが、眉を顰めて聞いてきた。
「いえ、本当にたいしたことじゃなくて……」
そこまで言いかけた時、クロエがラスフィアの手を取った。
「ラス。たいしたことよ。私はあの人、許せない。顔にまでかかっていたのよ」
顔にかかったお茶は、ただの飛沫だ。
熱さなどほとんど感じなかったし、実際赤くもなっていない。
けれど、許せないとまでクロエが言いきったことで、ロイからの追及もこれ以上躱せなくなってしまった。
仕方なしに、ラスフィアはロイに昼間、食堂であったことを告げることにした。
「そういや、あんた。午後に売店に行ったとき、服が濡れてたな。あれはそういう理由だったのか」
己の正面に座るラスフィアを見ながら、ロイが納得したように頷いた。あれがただのラスフィアの間抜けではなかったと、わかってもらえたようだ。
ちなみに、あのお茶をかけられた服はロイが来る前に着替え、今は水の張った桶に浸けてある。いくら濃い服で目立たないとはいえ、そのままにしておくわけにはいかないからだ。
ロイが珈琲のカップを手に持ち、一口飲んでから再び口を開いた。
「赤茶の髪の亜人の女か……。山ほどいるな、そんな奴。で、そいつはあんたがファルガスの友人なのが気に入らないと?」
「そういうことなんだと思うけど……」
はっきり気に入らないとは言われていないが、結局はそういうことなのだろう。
ラスフィアがチラリとクロエに視線を向ければ、クロエも無言で頷いた。
まったく、あの言葉はレイドがラスフィアを助けるために言ってくれた言葉だと言うのに、そんなことで嫉妬するなんてとラスフィアが思っていると、ロイが「馬鹿だな、そいつ」と呟いた。
「え?」
「いや、なんでもない。それより、やられたのはそれだけか?」
ロイがラスフィアの腕を見て言った。
「ええ、その、助けてくれた人がいたので……」
多分、アレンが来てくれなければ、ラスフィアは頬を張られていた。
(亜人の力で叩かれたら、どうなっちゃってたのかしら……)
亜人は男性のみならず、女性も人間に比べれば力が強い。深く考えてみると、結構おそろしい事態だったようだ。
「ふうん。良かったな」
ロイが短く返事をした。
助けられたことについては、ラスフィアも本当に良かったと思っているし、助けてくれたアレンには感謝をしている。
けれど、アレンの言っていたことを思い出すと、ラスフィアはまるで胃の中に大きな石を入れられてしまったような心地になるのだ。
途端に気落ちしてしまったラスフィアを見て、ロイが「……まだあるのかよ」と聞いてきた。
「助けてくれたんだろ、そいつ。なんでそんなに暗い顔してんだよ」
ロイにこのことを言うべきか否か、ラスフィアは迷った。
もしロイとクロエがこれまでのような関係だったなら、きっとラスフィアは「番」のことをロイには言わなかっただろう。
けれどクロエと和解(?)した今のロイになら、言っても良いのかもしれないと考えた。
「あの……ですね。実は、助けてくれた人が、私のことを番だと言ったんです」
ラスフィアの話を聞いたロイが、呆けたような声を上げた。
「……はあ?」
それから驚愕した表情で、ラスフィアの顔をまじまじと見つめている。
「そいつが、言ったのか? あんたのことを、番だって」
「はい」
ラスフィアが頷けば、ロイは考えるような仕草を見せた。
「そいつ、名前は?」
「な、名前ですか?」
(そこまで言ってもいいのかしら……?)
「別に取って食いやしない。……俺はな」
(俺は?)
その言葉が多少気になったが、きっと自分は野蛮ではないと言っただけだと考え、ラスフィアはアレンの名をロイに告げることにした。
「アレン・ハマートンさん、です」
「……アレン・ハマートン」
ロイがアレンの名を繰り返した途端、ラスフィアの胃の付近がざわめいた。
元々気を許しきれない何かを感じていたとはいえ、それでもラスフィアはアレンのことを悪い人間とは思っていなかった。だが今はその名を口にし、聞くだけで、心が重くなってしまう。
(こんな気持ちになる人が……私の、番?)
これでは、ミュッテの言っていたこととは正反対だ。
誰と一緒にいるより、安心できる人。
ミュッテは番のことをそう評していたというのに――。
ラスフィアはアレンに対し、一欠けらの安心も感じることができないのだ。




