032.番は運命の人じゃない?
「……この子が、あんたの番?」
ラスフィアも衝撃を受けたが、亜人の女性も同じように衝撃を受けている。
否、女性だけではない。それは最初に助けに入ってくれた男性も同じらしく、ラスフィアとアレンを交互に見ながら「嘘だろ、おい」などと言い、表情を引き攣らせている。
「いや、お前。だって、その子……」
男性がちらちらと、何かを言いたげにラスフィアを見つめている。
「あの……ハマートンさん」
「うん。とりあえず、今日はもう家に帰った方がいいよ、エーレンさん。火傷は? 大丈夫?」
火傷はと聞かれたラスフィアは、己の肌の状態に意識を向けた。
痛い。
だが、そこまでの痛さではない。
以前、料理をし始めた頃に火傷を負ったことがあるのでわかる。その痛みと比べれば、きっと肌が赤くなっている程度のものだろう。
「多分、大丈夫だと思います。冷やしておけば、痕も残らないくらいだと……。帰る程ではないと思います」
「ラス! 厨房に氷があるから、早く冷やそう!」
クロエが泣きそうな表情で、ラスフィアを厨房へと誘っている。けれど、ラスフィアにはアレンに聞きたいことがあったのだ。
今の言葉は、本当なのか。
あるいはラスフィアを助けるために、そう言ってくれたのか。
自分の番だから、手を出すな。そう言っておけば、レイドのことでラスフィアに嫉妬していたあの女性に対する、牽制になると思ったのだろうかと。
とにかく、先ほどのアレンの言葉の真意を確かめないことには、気になって仕方がない。
けれど、説明を求めるラスフィアの視線を受けたアレンは、その視線を受け流した。そして濃い麦色の瞳を細め、ラスフィアの頬のすぐ横で囁いた。
「今日のところは、もう行って。あとでまた、話すから」
そう言うと、アレンは「また後で」と言い、ラスフィアの前から去って行ってしまった。
☩☩☩
予定外のいざこざのせいで昼の休憩時間を多めに取ることになってしまったラスフィアは、お返しにミュッテにもいつもより多めの休憩時間を取ってもらうことにした。
ミュッテは今日のお昼を売店で売っているもので済まそうと思っていたらしく、ラスフィアがお昼に食べた今日のおすすめメニューの内容を教えたところ、自分も食べてくるといって、意気揚々と食堂へと出かけて行った。
ミュッテも何度か売店に来てくれたクロエに会っているので、亜人が大勢いる食堂へ行くにも、躊躇いはないのだろう。
(違うか……。ミュッテちゃんはそもそも亜人の恋人がいるし、それに、ガルストラで暮らしているんだもん、亜人にも慣れているわよね……)
亜人、と考えたところで、ラスフィアの脳裏に昼食時に会った、亜人の女性の姿が蘇って来た。
亜人らしい豊満な肉体に、野性的な美しさ。同性であるラスフィアから見ても、魅力的な女性だった。だが如何せん、取っている言動がよろしくない。
(どこの悪役よ、まったく……)
昼の休憩時間は、正に衝撃の事態となってしまった。
あのような出来事は普通、ドラマや小説の中でしか起きることはない。そのような出来事をまさか実際に体験することになろうとは、ラスフィアは夢にも思っていなかった。
その出来事とは、お茶ぶっかけ事件のことである。
幸い、厨房にあった氷ですぐに冷やすことができたので、皮膚がただれるようなことにはならなかった。
そもそも、そこまで熱いお茶ではなかったことが幸いした。けれどちゃんと熱を感じたし痛かったので、そこそこの温度は保たれていたものと思われる。
(普通、警視庁内であんなことする? しかも警察隊なのに……。 というか、やっぱりお茶ってどうなの? 百歩譲って水でしょ。服がびしょ濡れだったから、クローディオさんにも変な目で見られたし……)
今はもう乾いてしまったし、今日の服は濃い目の色合いのものを着ていたため、そこまで目立ってはいない。
けれどロイが来た時にはまだばっちりと濡れていたので、誤魔化すのに大変だった。水の入ったブリキ缶を動かしていたら水を被ってしまったと言ったら、呆れたような視線を受けるはめになってしまった。
多分、ロイは今ラスフィアのことを、ドンくさい奴と思っている。
そのロイは、昼の休憩時間を過ぎてすぐにまた売店へとやってきた。そこで、クロエから承諾を貰ったため、今夜ラスフィアを交えての食事会をする旨を伝えたのだ。
クロエから承諾の返事を貰ったと伝えた時のロイは、とても嬉しそうだった。
これを切っ掛けに、二人の関係が上手くいけばいい。そう思いラスフィアが一人頬を緩ませていると、売店の外から声がかけられた。
「こんにちは、ラスフィアさん」
見れば、笑顔のリアーナがその場に立っていた。
「リアーナさん!」
(今日も綺麗……!)
レイドもライナスも会えば気分が高揚するが、やはり一番そういった気持ちになるのは、かつての憧れであったリアーナに会った時だ。
しかもリアーナとも、名で呼び合う程度には親しくなることが出来た。小説の主役級の三人の中で、いまだに互いのことを姓で呼んでいるのは、ライナスくらいだろうか。
「こんにちは! 今日はお一人ですか?」
「ええ。あの……以前言っていた個人受注の件なんですが」
「はい。承っております」
ラスフィアがそう言えば、リアーナがほっとしたように微笑んだ。
「じゃあ……お願いしたいものが……」
そう言ってリアーナは、紙に書いたリストをラスフィアに手渡した。
☩☩☩
リアーナから受けた注文は、女性の必需品とも言えるものだった。
外に行けば手に入るものではあるが、忙しい警察隊ではなかなか必要な時に外に買いに出ることもむずかしい。
なので、個人での注文と言っていたが、要するに、売店のどこかにそれを常に置いておいて欲しいと言った要望だった。売店の奥には、小さいながらも商品置き場があるので、難しいことではない。
リストの商品のほとんどは本店に在庫があると記憶していたが、もし無くても今日明日の内に発注をかけておけば、大体三日くらいで届くはずだ。リアーナには一週間後にまた売店に来て欲しいと伝えておいた。
とりあえず、業務終了後は総菜を買いにマルグリット商会に行く予定なので、その時にリストに書かれた商品の確保をするつもりだった。
(そういえば……リアーナさんて、レイドさんとはどうなっているのかな?)
一度は、部外者であるラスフィアが気にすることではないと思ったこともあったが、頻繁に顔を合わせる機会を得た今となっては、やはり気になってしまう。
二人は共に事件を追って行くうちに、仲良くなるはずだった。けれど切っ掛けとなるはずだった連続誘拐事件は、すでに解決しているのだ。
(私のせい……とまでは言わないけど、小説の大筋とずれちゃってるのよね……)
とはいえ、小説には描かれていなかったとはいえ、実際に起きている事件はその一件だけではない。警察隊は、日々犯罪と戦っているのだ。二人が仲良くなる余地は、多分に残されているはずだ。
(それよりなにより、二人は運命の二人なんだから……)
運命の二人。
そう思ったところで、ふいにアレンの顔が浮かんできてしまい、その事実にラスフィアは思いの他動揺した。そしてその幻影を振り払うように、小刻みに首を横に震わせる。
(違う……! ハマートンさんは別に運命の人なんかじゃ……)
アレンはただ、ラスフィアを「番」だと言っていただけ。
だが、その「番」が曲者なのだ。
この世界の元となった小説において、「番」という関係は、特別な意味合いを持っていない。何しろ小説の主人公カップルだったリアーナとレイドが、番同士のカップルではなかったからだ。
むしろ小説では、「番」という関係を呪縛であるとして、否定している印象を受けた。それが作者の意図として明記されていたわけではないのだが、少なくとも前世のラスフィアを含む、多数の読者はそう思っていた筈だ。
しかし実際のこの世界において、「番」はまだ特別な関係として、効力を発揮している。
少なくとも、亜人の間では。
(ハマートンさん……一体どうしてあんなことを……。まさか、本当に、私はハマートンさんの番なの?)
そう言われても、ラスフィアには何の実感も湧いてこないどころか、アレンには何一つ、感じるものがない。
それはラスフィアが人間であるせいなのかもしれないが、果たして仮にも番だという者に対し、こうも無感動なものだろうかとも思ってしまう。
「すみません。これください」
突然かけられた声に、ラスフィアの意識は現実に引き戻された。いつの間にか、カウンターの外には複数の客の姿がある。
「は、はい! いらっしゃいませ!」
とりあえず、今は接客に集中しなくてはならない。午後はそこまで店も混まないが、ミュッテが帰ってくるまでは、ラスフィア一人でこなさなければならないからだ。
やはり混雑する昼時をミュッテ一人に任せてしまったことは、申し訳なかった。
ミュッテにはあとで何かお礼をしておかなくてはと、ラスフィアはミュッテに渡す品を見繕うことも、やることリストに追加した。




