029.警報〈アラーム〉
「こんにちは。エーレンさん」
ニコニコとした人の良さそうな笑顔で、常連のアレン・ハマートンが声をかけてきた。暗い麦色の髪には三角形の耳、瞳は髪よりも明るい色味で、腰の付近にはフサフサの尻尾が生えている。一見すると犬か狼のようだが、本人曰く、コヨーテだという。
ここガルストラへ来てからこちら、ラスフィアはケモミミケモシッポの亜人を大勢見て来た。けれどその都度なんの亜人かなど聞くことはなく、おおまかな種を推測するのみだった。
ラスフィアがアレンの種を知っているのは、初対面で耳と尻尾に視線を釘付けにされていたラスフィアに、親切にもアレン本人が教えてくれたからだ。
「こんにちは、ハマートンさん。今日はどちらを?」
「そうだね……今日はそこのガムを貰おうかな」
アレンは赤色、青色、緑色といった具合に毒々しいほどにカラフルなチューインガムを指さした。
アレンはほぼ毎日、この売店に顔を出している。
最初は普通に買い物に来ているだけだと思っていたのだけれど、比較的すぐに、アレンの目的は買い物ではないことに気が付いた。
だが、売店に来てくれる者の中には、アレンのような者たちも意外といるのだ。
若い女性二人が、男性の多い警視庁にいるのだ。そういうこともあるのだろうと、ラスフィアなどは思っていた。なにしろ、売店に顔を出す者の多くが、毎回ラスフィアやミュッテのことを褒めてくれるのだから。
二人に会うことが、今の唯一の楽しみだ。そんなことまで言ってくれたのは、いつも朝一番で店に来てくれる、管理職のナイスミドルだった。ちなみに、その人は身長が二メートルは優に越していると思われる、熊の亜人だ。
ガルストラ警視庁には女性警察隊もいるとはいえ、やはりその数は少ない。人間の女性となると、もっと少ない。
紅一点という言葉もあるくらいだし、やはり男性の多い職場に女性がいれば、自然と気を使われることになるのだろう。しかもラスフィアもミュッテも、亜人ではなく人間だ。
恐がらせないように、気を使ってくれている。あるいは、気を配ってくれている。そこまでは考えすぎかもしれないが、売店に来てくれる者たちは皆、好意的であることは確かだった。
けれどその好意的な者たちのほとんどに、女性としてというよりは、小動物的な扱いを受けているのだとラスフィアは思っていた。
(ハムスターとか小鳥とか、小動物って癒されるものね……)
なので、アレンもきっとそのような者たちの一人なのだろうと、この時のラスフィアは思っていたのだ。ラスフィアとミュッテに、ちょっとした潤いを求めているのだろうと。
それが間違いだったとわかった時には、もうすべてが遅かったのだけれど――。
☩☩☩
売店は朝から天手古舞だった。冷たい飲料を求める客で、賑わっていたからだ。
朝起きた時の気温がこの季節にしてはあまりにも高かったため、ラスフィアは今朝売店に出勤する前に、マルグリット商会本部に寄ることにした。瓶詰飲料を、普段より多く売店に置くためだ。
ラスフィアが一人で運ぶことは困難なため、開店前に男性従業員に頼み、一緒に運んでもらおうと思ったのだ。
だがその話をマルグリットにしたところ、もっと良い方法を提案してくれた。
「そうねえ。今日は暑いものねえ。きっと飲料が多く売れるわよお。ラスフィアちゃん、先に出勤してなさいな。あとから荷馬車で届けるわ。一緒に氷も届けるから、冷やして売ったらどうかしら?」
マルグリットの提案に、ラスフィアは一も二もなく頷いた。そしてマルグリットのお陰で、今日の売店は大繁盛だ。
「俺も、炭酸の瓶詰飲料一つ」
「はい! お待ちください」
客に返事をしてラスフィアが背後に置いてある氷入りのブリキの中身を確認すると、すでに中身は水と氷だけ、瓶詰飲料は底を突いていた。
「あ……」
(もうなくなってる……)
「あの、申し訳ありません。瓶詰飲料はもう売り切れてしまったみたいで……」
「何だよ、もうないのかよ」
その客は犬科の亜人らしく、頭の上の耳を伏せてしょんぼりとしている。
「……申し訳ありません」
かなりの数を用意していたというのに、あっというまに売り切れてしまった。
「昼時に補充をかけますので、また午後に来て頂ければ……」
「ええー、午後は外に出ちまうからなあ」
ラスフィアが低頭平身謝っていると、その客が、とんでもないことを言ってきた。
「……いいよ。だったら、俺が今マルグリット商会まで取りに行ってやるよ」
「え? いえ、お客様にそんなことをさせるわけには……」
「どうせ、補充するんだろ? 午後じゃ俺、いねーもん。今は仕事も暇だし、な、行ってきてやるよ」
客の男性はあくまで、自分は良いことをしているというつもりなのだろう。確かに気持ちは有難いが、だからといって、良く知りもしない人間を商品補充のための使いに出すわけにはいかない。
もし男性に託したとして、それをちゃんとここまで持って来てくれるかどうかなど、わからないのだ。下手をすると、そのまま持ち逃げされてしまう恐れだってある。
相手は警察隊。さすがにそれはないだろうが、ここまで運ぶ途中、何があるかわからない。
極端な話、誰かに盗まれるかもしれないし、途中で事件にでも遭遇すれば、警察隊である彼はそちらを優先することになるだろう。そうなれば、荷物は放っておかれることになる。
どちらにせよ、何か不測の事態が起きた場合、男性に依頼をしたラスフィアの責任問題にもなりかねない。
「あの、お気持ちはありがたいのですが……」
「いいだろ、別に。言ったろ、暇なんだって」
「いえ、そういう訳には……」
(ああ、もう……! 他の接客が止まっちゃったじゃない!)
有難迷惑とは、正にこのこと。
ミュッテは今日、午後からの出勤だ。
通常は二人で客の対応をしているが、時たま、一人は午後からの出勤になることがある。その場合、一方は本店にて作業をしているのだ。
ラスフィアが男性と問答をしているため、今は接客の流れが止まってしまっている状態だ。
男性のしつこい押し付け好意をはっきり断ろうとした時、ラスフィアは急に周囲の気配が変わったことに気が付いた。
それまで制止の声や、応援の声などが聞こえていた周囲から、突然音が消えた。何だろうと思い、それまで男性に向けていた視線を周囲にまで広げてみれば、男性の背後に、見知った人物が立っていた。
「そんなに暇なら、仕事を回してやる」
ラスフィアに言い募るため、些か背中を丸めて話をしていた男性を、レイドが見下ろしている。
男性はギシギシと音が鳴るのではないかと思うほどに、ゆっくりと振動しながら首を後ろに回している。まるで油の刺していない錆びた機械のようだ。
「彼女は俺の友人だ。困らせた奴は……」
レイドが最後の言葉を言う前に、男性と、そして集まっていた者たちが、こくこくと無言で頷いた。そしてレイドの挙動に目を配りながらも、皆一目散に散らばっていく。
売店からは、あっという間に人がいなくなってしまった。
(お、お客さんもいなくなってしまったわ……)
だがすぐにラスフィアは、まあ、いいかと思い直した。
その日の売り上げは、すでに午前中だけでも十分すぎるほどのものだったからだ。
「レイドさん……ありがとうございます」
レイドのおかげで、多分もうああいった客はいなくなるだろう。おそらくは完全なる善意だったのだろうが、善意ほど断るのに神経を使う。
「いや。仲間が悪かった」
レイドが謝ったことに、しかも仲間のしたことを自分の責任として謝ったことに、ラスフィアは衝撃を受けた。
(お、大人……。いえ、立派な大人なんだけど……やっぱり、意外……)
訝しく思ったのだろう、レイドがわずかに眉を顰め、ラスフィアの名を呼んで来た。
「ラスフィア?」
レイドから名を呼ばれたラスフィアは、またもや衝撃を受けた。
(刺激が……刺激が強い……!)
仄かな憧れを抱きながら読んでいた小説のヒーローから、美麗な声で名を呼ばれる。その衝撃は人の目がなければ、胸を抑えて奇声を上げたい程のものだった。
「……大丈夫か?」
「大丈夫です! ちょっと暑さにぼうーっとなってしまって……」
そう言った途端、レイドが眼を見開き「医療室に……!」と言って来たので、慌てつつも丁重にお断りしておいた。
小説の中で問題児とされていた男は、現実では意外なほどに面倒見が良かったのだなと思いながら。
☩☩☩
「今日は、その瓶詰の炭酸飲料を貰おうかな」
アレンご指名の炭酸飲料を水と氷で満たしたブリキ缶から取り出しながら、ラスフィアは午前中のことを思い出していた。
結局、あのあとラスフィアは警視庁備え付けの電話でマルグリット商会に連絡をいれ、無事各種瓶詰飲料を追加で届けてもらえることになった。
マルグリットの情報によると、暑さは数日続く見込みとのことなので、大量発注をかけ、有に三日は持つ程度の量を確保することができた。そして追加でやってきた氷も、食堂の冷凍室の片隅で保存してもらえることになったのだ。
「はい。冷え冷えで、美味しいですよ」
「ありがとう」
瓶詰飲料を手に取ったアレンは、しばし大きな掌で瓶を包込み、瓶の冷たさを堪能しているのかのようだった。
「ファルガス巡査部長と、友人なんだってね」
唐突にレイドの話を出して来たアレンに、ラスフィアは一瞬呆けてしまった。だがすぐに、もう噂がアレンの耳にも届いたのかと、納得した。
「えっと……光栄なことに」
はっきりレイドの友人であると肯定することは、なんだか気恥しかった。
ラスフィアとしては、レイドとは知人程度の仲だと思っていたのだからなおさらだ。否、思われているのだろうと、思っていた。
(そりゃ、お世話にはなってるし、嬉しいけど、友人なんて烏滸がましいというかなんというか……)
レイドはこの警視庁内では、良い意味でも悪い意味でも有名人だ。そのレイドに「友人」だと認定されたラスフィアも、ある意味有名になってしまったのだろう。
きっと皆、レイドの「友人」に対し、遠慮をしている。というよりは、何となくだが遠巻きにされてしまった感がある。
午前中には引いた客も午後には元通りになっていたのだが、皆以前よりも大人しくなっていた。
(まあ、接客が少し楽になったし、全然構わないんだけど……)
そのことによって、まったく客が来なくなったのでは困るが、客はいつも通りにやってきている。それどころか、店には近寄ってこないが、遠くから店を眺めている者たちが増えたような気さえしていた。
(なんか珍獣になった気分……)
皆、レイドの「友人」という珍しい存在を、見物しに来ているのだろう。
それでも、その見物客たちを店に引き込めれば、むしろ今までよりも購買チャンスが増えたことになる。
「……友人か。安心したよ」
アレンの零した言葉に、ラスフィアは思わずアレンの顔を見上げた。けれど、見上げた先にあったアレンの顔には、いつも通りの優しい笑顔があるのみだ。
先ほどの言葉は聞き間違いだったかとラスフィアが思っていると、アレンが「じゃあ、また」といって、笑顔を残し去って行った。
「……あの人。やっぱり、ラスフィアさんに気がありますよね」
「ミュッテちゃん……」
午後から仕事に入ったミュッテが、すでに小さくなっているアレンの背中を見ながら、呟いた。
「気を付けてくださいね、ラスフィアさん。あの人なんか、裏がありそうというか何と言うか……」
「ハマートンさんが……?」
「笑顔が胡散臭いです」
ミュッテのアレンに対する明け透けな批評を、けれどラスフィアは頭から否定する気にはならなかった。
アレンははじめて売店に顔を見せたときから、穏やかな笑顔を浮かべていた。けれど、ラスフィアは何やらその笑顔に不穏なものを感じたのだ。
不穏というか、不安というか。見ていて何故か、心が騒ぐ。
しかもその騒ぎ方は決して良い類のものではないので、ラスフィアはどうにもアレンに対し、必要以上に打ち解けることができないでいた。
アレンはほぼ毎日のように売店に来てくれるし、午前中の客のように、いやに親し気な態度を取ることもない。一見すると、アレンは普通の好青年だ。たとえそれが表面上だけのことだとしても、むしろ亜人にしては穏やかな部類に入るだろう。
だから、本来なら特にアレンを警戒する理由はない筈なのだ。第一印象だけでその人間のすべてを決めてしまうのは勿体ないし、ともすれば失礼にも当たる。
だが、人に対する第一印象というものは案外馬鹿にできないものだということも、これまでの経験から、ラスフィアは知っていた。その人物が嫌な相手と言うよりは、おそらく、自分にとってはあまり相性の良くない相手だぞという、本能が発する警報のようなものなのだろう。
ただ、第一印象の良かったリューンに誘拐されかけたことを思えば、それも一概に正解とは言えないのが、悲しいところではある。
(私がポンコツなだけなのかもしれないけど……)
「……とりあえ、気を付けます」
ラスフィアが素直にそう告げれば、ミュッテが「そうしてください」と力強く頷いた。




