024.先祖返りと完全な亜人
「そうか、テンプトン嬢に会いにね」
「そうなんですけど……浅はかでした。何も考えずに、ここまで来てしまって。クロエと約束だってしてないのに」
しょぼくれるラスフィアに、ライナスが思いもかけないことを言った。
「……多分、君は一人でいたくなかったんじゃないかな?」
「え……?」
「昨夜、あんなことがあったばかりだ。自分では大丈夫なつもりでも、やはり心細かったんじゃないかな。君はつい先日も、事件に巻き込まれたばかりだし」
言われてみれば、今朝は起きた時から、早く仕事に行きたくて仕方なかったのだ。
今思えば、親しいマルグリットの顔を見て安心したかったのかもしれない。店にいけば、共に働く仲間もいる。仕事に没頭すれば、他は何も考えなくて済む。
そう思っていたところ、マルグリットから家に帰って休めと言われてしまい、きっとラスフィアは、自分でも気付かぬうちに途方に暮れてしまったのだろう。
ラスフィアはまだこの国に来たばかりだ。知り合いだって数える程しかいない。その中でも、マルグリットの次に親しい人間がクロエだったものだから、きっと何も考えずにここまで来てしまったのだろう。クロエの顔を見れば、きっと安心できるだろうからと。
(自分で思っていたよりも、結構堪えていたのかもしれないわ……)
ラスフィアはライナスの顔を見つめた。
ライナスは世話になったとはいえ、顔見知り程度の仲だ。けれどラスフィアは小説を読んでいたせいで、なんとなくライナスに対しては、昔からの知己といった感覚が強い。特に自分は不安だったのだと自覚した後なので、ライナスの顔を見たことで、安心している自分に気が付くことができた。
「……そうなのかもしれません。でも……クロエには会えなかったけど、マクスウェルさんに会えたので、もう大丈夫です」
ラスフィアが微笑みながらそう言えば、ライナスが一瞬表情を固めたあと、ほれぼれとする笑顔で提案して来た。
「……エーレン嬢、せっかく来たのだから、警視庁内を見学していくかい?」
「え? でも……」
「市民からの要望があった際には、事前に申請して貰えれば、案内付きでの見学は許しているよ。見られて困ることは何もない。まあ、見学したいなどと言って来る市民はほぼいないけれどね」
「でも、私事前申請していませんが……」
「大丈夫だよ。君の身元は、すでにはっきりとしている。見学の途中で食堂に寄って、テンプトン嬢に会えばいい」
身元はすでにはっきりしている。ライナスがそう言ったところで、ラスフィアは納得した。先日事件に巻き込まれたラスフィアとトルロイは、事情聴取の際、しっかりと身元確認をされているからだ。
ライナスの顔を見て安心したのは本当だったが、せっかくならやはり、クロエの顔も見て行きたい。それに、ラスフィアよりもきっとクロエの方が、怖い思いも、痛い思いもしているのだ。
(そうよ……。しかもクロエは、今日だって出勤しているのだもの)
やはりクロエは、ラスフィアなどよりよほど芯が強い女性なのだろう。
クロエがラスフィアの顔を見て安心してくれるかはわからないが、とりあえずラスフィアはクロエの元気な姿を見れば、安心することが出来る。
ラスフィアは、ライナスの好意を受け入れることにした。
☩☩☩
警視庁内に入った途端、視線の集中砲火を浴びることになってしまった。
やはり黒色の隊服を着た亜人が多い中、人間で私服のラスフィアは、目立ってしまうのだろう。しかも連れが、連れだ。
レイドも目立つが、ライナスもかなり目立つ。二人の見た目は群を抜いて美しいのだから、当然といえば当然だ。
だが二人が目立つ理由は、きっとそれだけではないだろう。二人が見た目にはただの人間だということも、おそらく、目立つ要因となっているはずだ。
警視庁内での二人はすでに知られた存在だから、そういった意味の珍しさから注目しているのではないだろう。けれど、亜人全体の割合から見ると、二人のような存在は、なかなかに珍しい。
亜人は身体のどこかに、型名の元となった生物の特徴が表れている者がほとんどだ。むしろレイドやライナスのように、見た目はほぼ人間という亜人の方が珍しい。
この世界で得た知識によれば、レイドとライナスのような亜人は、この新大陸においては、なぜか先祖返りと呼ばれている。見た目は人間と変わらない彼らが、何故そう呼ばれるのか。彼らはその外見を、人間から完全な亜人のそれへと、変化させることが可能だからだ。
完全な亜人。
はじめてその言葉を聞いた時、ラスフィアは首をひねった。
だが今では、その言葉の意味を理解している。
ようするに、この世界で亜人という存在を知ったばかりの頃のラスフィアが考えていたような、あるいは、前世でこの世界の元となった小説を読んだ時のような、亜人像。
二足歩行の狼やら熊やらライオンやらのことを、この世界、この新大陸では完全な亜人と呼んでいるのだ。
いうなればこの新大陸においては、完全な二足歩行の動物的な亜人は、滅多に存在しないということ。
(……そう考えると、実はディートヘルさんって、けっこう珍しいタイプの亜人だったってことなのよね)
ラスフィアは幼い頃からディートヘルのことを知っていたため、亜人のことを勉強し出す以前は、あのような姿が、亜人のスタンダードだと思っていた。
おそらく、ディートヘルも先祖返りなのだろう。人間の姿を取らない、先祖返りなのか。あるいは、ラスフィアが知らないだけで、人間の姿を取れる可能性もある。
もし人間の姿になれるとしたら、少しだけ見てみたいという思いはあった。けれど、もしなれたとしても、ディートヘルが一度もその姿にならない理由を考えれば、簡単にその願いを口にすることは出来なかったのだ。
ライナスの後を歩きながら、ディートヘルのことを考えていたラスフィアに、ライナスが声をかけてきた。
「申し訳ない、エーレン嬢。書類を置いてきたいから、まずは俺の執務室に寄っても良いかな」
「え? マクスウェルさんが案内してくれるんですか?」
ライナスは忙しい身なので、てっきり他の警察隊の人が案内してくれるものとラスフィアは思い込んでいた。
「うん? うん、そうだね。君も知っている人間の方が気安いだろう?」
「でも、お忙しいのに……」
「大丈夫だよ。とりあえず、付いてきてくれるかな?」
なんとなく押し切られるような形で、ラスフィアはライナスの執務室へついて行くことになった。
階段を四階まで上りしばらく廊下を歩くと、ライナスの執務室だという部屋の前に到着した。ライナスが扉を開けるとすぐに、隊服を着た女性の姿が目に飛び込んできた。
濃茶の長い髪をポニーテールにして、紅いリボンで結んでいる。リアーナだ。
そのリアーナが、最初にライナスに呼びかけ、そのあとライナスと共に部屋に入って来たラスフィアを見て、目を見開いた。
「……エーレンさん?」
そしてもう一人、リアーナの更に奥の机には、座ったまま驚いた顔でラスフィアを凝視しているレイドがいた。
「ああ。彼女に警視庁内を案内することになった」
リアーナに答えながら、ライナスが机の上に、それまで抱えていた書類を置いた。そして置いたあと「あ」と小さく声を上げた。
「……ああ、そうだ。しまったな。今日までに提出しなければならない報告書があったのを、すっかり忘れていた」
ライナスが困ったように眉を下げている。やはり警部であるライナスは忙しい身の上なのだ。
「あ、あの、私やっぱり……」
今日はもう帰りますと、ラスフィアは警視庁内の案内自体を断ろうと声を上げかけたが、ラスフィアが言い終えるより、ライナスの言葉の方が早かった。
「レイド。悪いが、俺の代わりに彼女を案内してくれないか?」
(ええ⁉ レイドさん? こういう時って、普通同性のリアーナさんじゃ……)
ラスフィアが戸惑っていることに気が付いたのだろう、ライナスが案内役がリアーナではなくレイドである理由を言ってきた。
「すまないね。リアーナは、私の秘書も兼ねているから。その点、レイドは今急ぎの仕事はないだろ?」
ライナスの視線が、レイドに向けられた。しかしレイドは先ほどからずっと、ラスフィアばかりを見ている。そしてラスフィアにしても、狙われた獲物さながら、レイドの強い視線から逃れることができなかった。
(うう……蛇に睨まれた蛙の気分……。いえ、意外と優しい人だって、もうわかってるけど……)
「レイド」
ライナスに名を呼ばれたレイドが、茫然とした様子でライナスに顔を向けた。
「エーレン嬢の案内を頼む」
「……わかった」
それからレイドは再びラスフィアに視線を戻すも、やはりどこか心ここに在らずといった様子だ。しかしすぐに椅子から立ち上がったかと思えば、ラスフィアの傍までやってきて「よろしく」と一言告げただけで再びじっとラスフィアを見つめている。
不満気な視線でも、怒っている視線でもない。けれどこんな風に観察されているかのようにじっと見つめられることには、慣れていないのだ。
ラスフィアはとりあえず、じっとこちらを見つめて来るレイドに「よろしくお願いします」とだけ告げ、敵意はまったくないことを示すために、微笑んでおいた。




