018.やっぱり既視感
「そんなことがあったの?」
「そうなの。びっくりよ」
ラスフィアは今夜、クロエを自宅に招き夕飯をご馳走していた。先日はクロエの部屋に夕飯に招かれたので、そのお返しのつもりだった。
今日作った料理は、グラタンスパゲッティ。こちらの世界ではまだベシャメルソースに掛け合わせるのはショートパスタが主なため、はじめて食べる組み合わせに、クロエは大変喜んでくれた。
あとは簡単なグリーンサラダに市販のパン、そして赤ワインをオレンジジュースで割ったものを用意した。
ラスフィアは現在十八歳だったが、実はこの世界、お酒を飲むのに年齢制限が設けられていない。もともとの世界でも西洋は飲酒年齢が低い国が多かっただろうし、現在のラスフィアの容姿は、東洋西洋、どちらかと言われれば西洋風だ。恐らく、前世よりもお酒には強いはず。
だがラスフィアは前世の感覚があるため、今日もワインはほんのちょっぴりで、オレンジジュースの割合が多い。本格的にお酒を飲むのは、やはり二十歳を過ぎてからと決めていた。
「大変だったわね。そんな事件に巻き込まれてしまうなんて」
そう言って、クロエが眉を下げた。
(実はこの国へ来て早々、誘拐事件にも巻き込まれているとは言えないわね……)
「うん……。でも刺された女性も助かったみたいだし、良かったわ」
あれから皆で集まっているところに無線で連絡が入り、刺された女性が助かったことを知らされた。その報告を聞いたときには、思わず神に感謝したものだ。
「でも、特別班が出て来るなんて、珍しいわね」
確かに、傷害事件とはいえ、普段はもっと凶悪な事件を扱っている三人だ。その三人が出てきたことには、疑問を抱かれても仕方がないのかもしれない。
けれど自惚れでなければ、きっと三人が来てくれたのは、ラスフィアのことを心配してくれてのことだろうと思っている。
誘拐事件に巻き込まれたばかりで、すぐ次の事件に巻き込まれたのだ。ラスフィアが三人側の立場だったとしても、きっと心配したことだろう。だが、それをクロエに話すには、ライナスの許可が必要なのだ。
「クロエは、三人のこと知ってるの?」
「マクスウェル警部も、ファルガス巡査部長も、本部では有名だもの。あと、トレスタ巡査も」
(それもそうか。何しろ三人は目立つわけだし……)
レイドもライナスも亜人としての能力が高く、警察隊としても優秀。その上二人とも、超がつく美形だ。
そして人間でありながらその二人に認められ、傍に居るリアーナも。
(リアーナさんも、超美形だし……)
亜人はそもそも、男性も女性も魅力的な容姿の者が多いのだ。リアーナは人間だけれど、ヒロインなので、別格とする。
けれど亜人の場合、結局のところ、造形、というよりは己の強さに対する自信が、その容姿をも魅力的に見せているのかも知れないと、ラスフィアは考えている。
(ディートヘルさんも、ほとんど蜥蜴だけど……。格好いいもんね……)
温和で優しいディートヘルだが、やる時はやる。
以前ラスフィアと友人が町を歩いていた時、しつこく男たちに声をかけられたことがあった。いわゆるナンパだ。
断っても断ってもしくこく付き纏って来る男たちに、辟易すると同時に恐怖を覚え始めていた時、たまたま通りかかったディートヘルに助けられたのだ。
ディートヘルはいつもスーツを着て、山高帽を被り、ステッキを手に持っている。
そんなディートヘルを侮った男たちの一人が、無謀にも亜人であるディートヘルに向かって殴りかかった。だがディートヘルは一瞬で男の腕を捻りあげ、二度とこの子たちに手を出すなと言って、あっという間に男たちを追い払ってくれたのだ。
格好良かった。
友人の目には、ハートが浮かんでいた。
(ディートヘルさんって、多分お父様と同じくらいの歳なんだけど……。あの時は本当、恰好良かった……)
外見はほとんどスーツを着た蜥蜴であるディートヘルに、その場にいた女性たちのほぼ全員が、うっとりとした視線を向けていた。
だからラスフィアは、格好良さは外見だけではないと思っている。否。蜥蜴は格好いいが、そういうことではない。美形だろうが不細工だろうが、あの時のディートヘルは格好良かったに違いないのだ。
だが、やはり美形は美形で目の保養にはなる。それを否定するつもりもない。
「三人とも美形だしね」
「そうね。でもファルガス巡査部長は、別の意味でも有名」
(……でしょうね)
小説の中のレイドは優秀だが問題行動も多く、凶暴な面もあり人から遠巻きにされていた。気を許しているのは、友人でもあり上司でもあったライナスだけ。けれど、のちにリアーナと恋人関係になることによって、その二人以外の人間に対しても多少態度が和らぐはずだ。
「皆怖がって、近寄りがたいって思ってるけど、でも女性には人気よ」
(うん。綺麗だもんね……)
ライナスが育ちの良さそうな美形だとするならば、レイドは少し悪っぽい感じの美形だ。
ラスフィアを助けに来てくれた時のレイドは、確かに恐ろしかった。だが恐ろしさの中に、抗いがたい魅力も秘めていた。
あの時のラスフィアはレイドに対し恐怖を抱いてもいたが、同時に、まるで大自然の中で野生の獣にまみえた時のような感動をも覚えていたのだ。
だが小説で描かれていたレイドの性格通り、問題行動が多く凶暴な面もあるというその評価は、おそらく正当なのだろう。そう思う一方、それだけではないと思う気持ちも否めない。
彼はラスフィアが礼を述べただけで目元を染めるような純情さも、思いがけない優しさも持っているのだ。
(実際に知り合ってみると思っていた人物と違う、なんてことも本当にあるのね……)
この世界は、小説の中の世界。
そのことについては、ラスフィアはすでに疑ってはいない。
何しろ、これだけ小説のキャラとほぼ同一の人物たちが存在しているのだ。これで関係ないと言われても、むしろそちらの方が信じ難い。
だがやはり、虚構と現実では異なる部分がある。
そのこともまた、実感し始めているところだった。
「あ、そういえば……今回最初に聴取された隊員も亜人だったんだけど、どことなくあの二人に雰囲気が似ていたのよね」
ラスフィアの言葉に、クロエが首を傾げた。
「それは、亜人だから、ということ?」
「う~ん? そういうことじゃなくて……なんていうか、強そう?」
「亜人は大体強いと思うけど……、あの二人ぐらいに、ということ?」
「そう……なのかな?」
自分で言っておいて煮え切らない返事だったが、実際のところラスフィアは、レイドとライナス、二人の強さをその目で見たことはないのだ。
二人のことは小説で知っていたから、強いことは知っている。だが言い換えれば、それだけだ。
誘拐事件の際目の前でリューンを蹴り飛ばしたレイドを見てはいるが、あれだけでは実力はわからない。けれど不思議なことに、確かにあの二人と、今日ラスフィアを聴取した隊員――ロイは亜人の中でも別格だと、何の疑いもなく思えてしまうのだ。
それくらい、ただの人間であるラスフィアから見ても、ロイという隊員は迫力があった。
「確か……ロイ・クローディオって言ってたかな」
カチャン、と。
ラスフィアがロイの名を出した途端、クロエの手からフォークが音を立てて落ちた。
「クロエ? 大丈夫?」
手でも滑ったのかと思い、ラスフィアがクロエの顔を見れば、クロエは何故か茫然とした様子でラスフィアを見つめていた。
「クロエ?」
「……え、ああ、あの。大丈夫」
まるで何かを探してでもいるかのように、クロエの瞳がきょどきょどと動いている。
「そ、その、ロイって人」
「うん」
「……なんでもない」
「そう? ならいいんだけど……」
多分、クロエの反応から察するに、クロエはロイを知っている。
そして何故かはわからないが、それをラスフィアには知られたくないようだ。
何故なのかと聞きたい気持ちはあったが、結局ラスフィアは気付かない振りをして、それ以上の追及をやめた。
いくらこれまで何度も食事を共にしているとはいえ、クロエとはまだ出会ってから一週間も経っていない。話し難いことだってあるだろう。
(きっと話したくなったら、話してくれるわ……。それにしても……)
クロエに初めて会った時もそうだったのだが、ロイの名を聞いた時も、ラスフィアは妙な既視感を覚えた。
(この二人も……小説の中に登場していたってことかしら……)
クロエはすでに気を取り直したらしく、食事を再開させている。ラスフィアはクロエに気付かれぬよう、そっとクロエの顔を見つめた。
(覚えがある……気がする……)
二人とも、小説の舞台である警視庁で働いているのだ。その可能性は、十分考えられる。
たとえ思い出さなくとも、クロエともっと親しくなりたいという思いは変わらない。けれど、思い出した方が、すっきりする。
思い出しそうで思い出せない状態というのは、なんとも歯がゆいものだ。
(ま、そのうち思い出すか……)
気持ちの切り替えが早いのが、自らの長所である。そう自覚しているラスフィアは、今は目の前の料理に集中することにした。




