017.運命の恋など信じない/葛藤
「お前……エーレン嬢のことはどうするつもりだ」
ライナスのこちらを責めるような口調に、レイドは眉を顰めた。
いつも通り、ライナスの執務室でソファに寝転がりぐだぐだとしていたレイドに、書類仕事をしていたはずのライナスが唐突に聞いてきたのだ。
「少し悠長すぎやしないか? 俺は言ったはずだぞ」
「……まだ三日しか経ってないっての」
なぜレイドではなくライナスがそこまで焦っているのか、訳がわからない。だが、ライナスの言葉の意味がわからないわけではないのだ。レイドの中にも、妙な焦燥感がある。おそらくだが、この焦りは本能と理性とのせめぎ合いの結果なのだろう。
本来、亜人が「番」に対し抱く感情は、本能に基づく欲求と密接に関わっている。レイドは本能に踊らされるのが、面白くないのだ。それに加え、これまではさんざん「番」と、「番」を神聖視する者たちを嫌悪してきたと言うのに、いざ自分が「番」を得た途端意見を翻すのは、卑怯なのではないかとすら感じていた。
「三日あれば、どこぞの男に目を付けられるのなんぞ十分だ」
ライナスのその言葉が、思いのほかレイドの感情を刺激した。この感情をライナスに向けるのは間違っているとわかっていても、レイドは思わず上半身を起こし、殺気を出してライナスを睨みつけていた。
レイドが睨みつけても、ライナスは涼しい顔をしている。むしろ、瞳にはレイドを責めるような光さえ浮かんでいた。
「……うるせーよ」
レイドが小さく舌打ちをし、またソファに寝転がったその時――部屋の扉がノックされた。
「入れ」
「失礼します、警部」
入って来たのはリアーナだ。頭の真後ろで纏められた長い褐色の髪が、馬の尻尾のように揺れている。
「どうした」
「先ほど用事があって警邏隊の待機室に行ったのですが……本部に入った無線に、先日の連続誘拐事件で被害者となった女性の名が聞こえまして……」
そうライナスに報告しつつも、リアーナの視線はちらちらとレイドに向けられている。
レイドも連続誘拐事件の被害者と聞いた段階で、座っていたソファから即座に立ち上がっていた。
「エーレン嬢か。内容は?」
「女性が一名、腹部を刺され意識不明で病院に運ばれたそうですが、エーレン嬢が犯人らしき人物を目撃したと」
「彼女に何かあったわけではないんだな」
「はい」
レイドはライナスとリアーナの会話に、ほっと息を吐いた。
「現場には誰が行っている」
「ロイ・クローディオ巡査が」
「ロイか……」
ロイとは先日ライナスが話していた、人間の番を得たという男だ。すでに番がいる男なら彼女のそばにいてもちょっかいをかけはしないだろうと、そこでもまたレイドは胸を撫でおろした。
そして、そうした己の心の動きに対し、もう一度小さく舌打ちをした。
一体己は何をしているのだと、レイドは頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。
彼女のことを気にしているくせに、自分からは動こうとしない。けれどこうして彼女の名前を聞けば途端に気分は高揚し、些細なことで感情を乱される。
「わかった。私が行こう。レイド」
ライナスに呼ばれたレイドは、すぐさま頷いた。
彼女に対する葛藤はあれど、それと彼女の身を案じる思いとは別物だ。
「リアーナ。現場は?」
「ハロイ公園へと続く、階段付近だそうです」
「わかった。君はロイに俺たちが行くことを通達した後、合流してくれ。ああ、エーレン嬢はそのまま現場に残してもらうように」
ライナスの命令にリアーナが頷く姿を視界の端に捉えながら、レイドはラスフィアのことを考えていた。
先日誘拐事件などという物騒なものに関わってしまったというのに、今日は傷害事件だ。まだこの国へ来てから一週間も経っていないというのに、彼女のこの事件への遭遇率の高さは何だというのか。
いっそどこかへ閉じ込めておいた方が彼女のためではないか、などといった物騒な考えが当然の如く頭に浮かんできてしまい、そんな狂気じみたことを考えた己に対し、レイドは無意識に顔を歪めた。
「行くぞ、レイド」
ライナスの言葉に我に返ったレイドは、己らしくない考えを振り払い、サーベルと銃が確かに腰に装着したベルトに在ることを確認し、ライナスの後に続いた。
☩☩☩
現場につくと、数人の警察隊が現場保存をしている姿が、レイドの目に飛び込んできた。
そして、その中の一人と話をするラスフィアの姿も。
薄い茶色の髪の、大柄の男。
背を向けているので顔はわからないが、あれがロイだろう。レイドがそう当たりを付けていると、案の定ライナスが「ロイ」と男の名を呼んだ。ライナスの声に反応してこちらを振り返った男は、濃い茶色の瞳の、気難しそうな表情の男だった。
そして、ライナスの声に反応したラスフィアも、ロイから視線を外しレイドを見た。
その青みがかった銀色の美しい瞳に射抜かれた瞬間、レイドは思わず息を止めた。彼女が自分を見ている。たったそれだけのことで、身体が熱くなった。
「マクスウェルさん、ファルガスさん……」
たとえ姓だけであっても、名を呼ばれた瞬間には喜びが全身を駆け巡った。己も彼女の名を呼ぼうとして、どう呼べば良いのかわからず戸惑った。
エーレン嬢と姓で呼ぶのが正しいのだろうが、レイドは今まで女性に対しそのように畏まって呼びかけたことはない。それに、それでは何となく彼女との間に距離があるような気がしてしまう。
実際はその通りなのだが、それを認識するのもなんだか面白くない。かといって、いきなり名前で呼べば、馴れ馴れしいと思われてしまうかもしれない。
誰かの名を呼ぶだけでこれほど逡巡したことは、一度として覚えがない。自分がこれまで他人に対しどう接してきたのかすら、思い出せなかった。なので――。
「ああ、エーレン嬢。先日はどうも。あれから体調は? 御父上はもう帰られたのですか?」
結局、ライナスが卒なく現在の彼女の状況を聞きだすのを、レイドは黙って見守る他なかった。
名前すら呼べないとは、情けないにも程がある。そうは思えど、ラスフィアの前に立つと何を話して良いかわからなくなるのだ。
出会った時には上手く話せていたというのに、今のレイドは自分のことでさえ、わらなくなっている。まるで、生まれて初めて異性を意識した子どもみたいだ。
そのような己の状況がなんとも情けなさすぎて、友人であるライナスにも言うことは出来なかった。




