016.晴れた日の午後、事件に遭遇しました
その人物を見た時、ラスフィアは何となく勘が働いた。
薄い茶色の髪、髪よりも濃い茶色の瞳。立派な体躯に、整った顔。
その人物は、見た目にはただの人間だった。けれど醸し出す雰囲気が、ラスフィアの知る人物にそっくりだったのだ。もっと正確に言えば、人物たち。
レイドとライナス。
目の前のこの人物は、二人に似ているのだ。
同じ警察の隊服を着ているのも、似ていると思った理由だったのかもしれない。けれど本当に似ていると思ったのは、もっと本質的なところだ。
鋭い視線。優雅な動作。瞳に漲る自信。
恐れるものなど何もないと、その存在そのものが言っている。
だからラスフィアにはわかったのだ。
あ、この人、亜人だなと。
☩☩☩
「……良い天気ねえ」
帽子の鍔越しに雲一つない晴天を見上げ、ラスフィアは声を出した。現在ラスフィアは家の近所の地形を把握するために、散策をしているのだ。
新しい土地の散策は、とても心が躍る。町並みや、そこに住む人々、気を引く店などをチェックしつつ、ラスフィアが足取り軽く歩みを進めていたその時――。
「……っきゃ」
角からいきなり男が現れ、ラスフィアにぶつかって来た。しかもその男は謝りもせずに足早にさっさと行ってしまったものだから、ラスフィアにしたら面白くないのは当然だ。
「もうっ……! 謝るくらいしなさいよ!」
まったく最近の若い者は、などと若さの欠片もないことを思いながらラスフィアが石造りの階段に差し掛かると、目の前には予想もしていなかった光景が広がっていた。
「……嘘でしょう?」
灰色の地面に広がる、赤い液体。
地面には女性が倒れており、なおかつその女性は血を流していた。ラスフィアは蒼白になりながら、その女性に近付いた。
「だ、大丈夫ですか⁉」
近寄り、大声を上げたラスフィアに対し、けれど女性からの反応はまったく返ってこない。
倒れていたのは、亜人の女性だった。
丸みを帯びた耳に、尖った鼻。その鼻の先は黒く、周りには長い髭が生えている。腰付近から生えた長い尻尾も、今はぐんなりとしていて、力が入っていない。種類まではわからなかったが、女性は猫科の亜人のようだった。
両目を閉ざした、血の気のない顔。
しかもその顔には、殴られたような痣がある。
その顔を真正面から見たラスフィアは、息を呑んだ。女性の顔から目が離せず、胃から苦いものが込み上げてくる。
ふいに訪れる、既視感。
そして、徐々に狭まって来る視界。
(……って、私が貧血起こしてる場合じゃない!)
ラスフィアは何とか気を持ち直し、女性を救うべく行動を起こすことにした。
(まずは、びょ、病院に……! 救護車呼ばなきゃ……! って携帯電話もないのにどうやって⁉)
この世界に、携帯電話などという便利なものはない。固定の電話を個人で持っている者もまた少なく、電話が備えてあるのは、国の機関や大きな店、貴族の邸宅くらいだ。ちなみにラスフィアの実家には、電話が置いてある。
公衆電話もあるにはあるが、以前の世界のように、何処にでも置いてあるわけではないのだ。ここ周辺でも、目に付く範囲には置いていない。
慌てたラスフィアは周囲を見回し、少し離れた場所に何人かいるのを見つけ、その人達に向かって声を張り上げた。
「すみませんっ! 助けてください! 人が血を流して倒れてるんです!」
自分一人では無理なら、他人の力を借りればいい。
ラスフィアの声を聞いた何人かが、その場に集まってきてくれた。そしてそのうちの一人が電話を置いてある店まで走っていき、病院に連絡をしてくれたらしい。
病院から救護車が到着し怪我をした女性を連れて行くまでを、ラスフィアは心臓がいつもの二倍は活動しているのを感じながら、茫然と見つめていた。
☩☩☩
どうしてこうも、警察のお世話になってしまうのか。
別にラスフィア自身が、何か悪いことをしているわけではない。けれど、何故か事件に関わってしまうのだ。
(まあ、まだこの国に来てから、二回目だけど……)
それでも、一週間に二回、警察のお世話になるのは、だいぶ高い頻度ではなかろうかとも思うのだ。
けれど、この世界の元となっている小説自体、犯罪と向き合う警察隊員を主人公としているのだ。こうして犯罪に巻き込まれるのはある意味、この小説に転生したラスフィアの宿命なのかも知れない。
(……嫌な宿命ね)
「それで……逃げていく男の人相は見ましたか?」
話しかけられたことで、ラスフィアは思考の世界から現実の世界に引き戻された。
駆けつけて来た警察隊の青年に、ラスフィアは今事情を聴かれているのだ。
薄い茶色の髪に、髪よりも濃い茶色の瞳。そして立派な体躯に、整った顔。
その人物は、見た目にはただの人間だった。けれど醸し出す雰囲気が、ラスフィアの知る人物にそっくりだったのだ。もっと正確に言えば、人物たちだ。
レイドとライナス。目の前のこの人物は、二人に似ていた。
同じ警察の隊服を着ているのも、似ていると思った理由だったのかもしれない。けれど本当に似ていると思ったのは、もっと本質的なところだ。
鋭い視線。優雅な動作。瞳に漲る自信。
恐れるものなど何もないと、その存在そのものが言っている。
だからラスフィアにはわかったのだ。
あ、この人、亜人だなと。
だがわかったからと言って、それをわざわざ本人に確認などしない。この国は亜人が多く暮らす国。その中でも警察隊には亜人が多く勤めていることは、ラスフィアも知っていたからだ。
「……一応は見ましたが、あまりはっきりとは」
「構いません。見たままを教えてください」
見たままを、と言われたラスフィアは先ほど見た男の特徴を思い浮かべ、隊員に告げた。
男はキャメル色の、ハンチング帽子を被っていた。帽子から僅かにはみ出た髪は黒色で、眼鏡をかけていた。
眼鏡の硝子が光ったため目元はわからなかったが、唇は薄めで、鼻筋はスッと通っていた。
身体の線や動きを見る限りは、若者だ。けれどおそらく、ラスフィアよりは年上。
靴は濃い茶色の革靴。茶色のコーデュロイスーツ。中のシャツは、白。ちらっと見えたジャケットの内側には、深い緑のサスペンダーを着けていた。
「……結構覚えていますね」
「……そうですね」
ラスフィア自身も驚いたが、思えば実家が店を営んでいる手前、店に来る客を覚えるのはラスフィアの昔からの癖でもあるのだ。これまであまり意識してはこなかったが、思いがけないところで役に立ったようだ。
(そういえば……。あの帽子、なんか似合ってなかったな……)
男の服装との組み合わせが悪いのではない。おそらく、大きさが合っていないのだ。
あれでは帽子を被っているというよりは、帽子に被られている。
(サイズ間違ったのかしら……?)
多分そこまで有益な情報ではないだろうと思ったが、一応伝えておくことにした。
ラスフィアが話し終えると、隊員は無線を使って何処かと連絡を取り始めた。そして無線を切ったあと、ラスフィアに向かって「また話を聞くことがあるかもしれません」と言った。
(それは仕方ないわよね。ドラマでも目撃者のところには、刑事が何度も聞きに来ていたし)
しかしあくまでドラマから得た知識であるため、本当のところはわからない。
「はい。大丈夫です」
隊員が「それでは、今日のところは……」と言いかけたところで、また無線が鳴った。
隊員の無線でのやり取りを何とはなしに見つめていたラスフィアは、目撃者としてラスフィアの名を出したあと、何故か隊員の表情が変わったことに気が付いた。
そして無線を切ったあと、隊員がラスフィアに向き直った。
「すみません。もう少々帰るのは待っていただけますか?」
「あ、はい。大丈夫です」
(何か進展があったのかしら? あるいは、もう犯人が捕まったから、面通しして欲しいとか?)
犯人が捕まるには早すぎる気がしたが、連続誘拐事件も予定より早く解決したことを考えれば、それもありうることかも知れない。
そうラスフィアが考えていると、隊員が躊躇いがちに声をかけてきた。
「貴女は……マクスウェル警部と知り合いなのですか」
「マクスウェル……って、ライナス・マクスウェル警部ですか?」
「ええ」
ラスフィアがリューンの起こした連続誘拐事件の被害者だということは、限られた者にしか話さないとライナスは言っていた。
ラスフィアがライナスと面識があることを知らないこの隊員は、その限られた者の中には入っていないのだろう。
そう考えたラスフィアは、隊員にはライナスと関わった経緯を濁して伝えた。
「えっと、先日少々お世話になりまして……」
「……そうでしたか。今からここにマクスウェル警部が来ます」
「マクスウェルさんが?」
「はい。聴取は警部に引き継ぐことになるでしょう」
(ライナスさんが来るってことは……またレイドさんやリアーナさんも来るのかしら?)
小説の中でのあの三人は常に行動を共にしていたため、その可能性は十分考えられる。
(またあの三人に会えるかもしれないのね……!)
こんな時だというのに、隊員の言葉を聞いたラスフィアの心は少々浮かれていた。




