019.犯人は目撃者を消したい
マルグリット商会が一番賑わう時間帯は、多くの者が仕事を終え帰路へと着く夕方。次いで昼時だ。
特にこの場所はガルストラ警視庁に近いため、昼時になると隊員や職員たちが、軽食を求めてやってくる。
今日も多くの隊服を着た隊員たちがドアから入って来る中、彼らの頭一つ分以上低い位置にふわふわとしたビスケット色の髪を見つけたラスフィアは、声を張り上げた。
「クロエ!」
ラスフィアに気付いたクロエが、はにかんだ笑顔を見せ近づいて来る。
「クロエ、今お昼休みよね?」
「うん。でも、今日は食堂で食べる気分じゃなくて……」
「だったら、スコーンはどう? 種類増やしたの」
じゃあそれにすると言うクロエを、ラスフィアは売り場まで案内する名目で隣に付き従った。
「ラス。帰りにまた買い物に来るんだけど、今日一緒に帰れる?」
ラスフィアの勤めるマルグリット商会とクロエの勤める警視庁は、職場が近い。そのため、仕事の上がり時間が近い時には、よくクロエと待ち合わせをして帰るのだ。
「あ~、ごめんね……。今日はオーナーに最後までいて欲しいって頼まれちゃって」
「最後まで? 遅い時間よ?」
聞き返すクロエの目が、わずかに大きくなっている。
ラスフィアの仕事上がりの時間は大体が六時頃で、店が閉まるのが八時だ。周囲にあるほとんどの店が七時には店を閉めることを考えると、マルグリット商会はなかなかに遅くまで店を開いていると言える。
ラスフィアも前世では八時を遅い時間とは思っていなかったが、前世と異なり、この世界では夜の八時でもかなり暗く感じてしまう。そして、人通りも一気に少なくなる。クロエの心配はもっともだった。
普段も店を閉める時間まで働くのは男性のみだったが、その内の一人が急に熱を出して休んでしまったのだ。そのため、急遽ラスフィアが残ることになってしまった。
そして間が悪いことに、今日出勤している者の中には男性はおらず女性のみだった。誰かが残らなければならない中、オーナーも知り合いであるラスフィアには頼みやすかったのだろう。
ラスフィアにしても、快くラスフィアを採用してくれたオーナーに対し、できれば助けになりたいという気持ちが強かった。だからこそ、快く申し出を承諾したのだ。
「んー、でもランプもあるし……」
「……心配だから、私も一緒に帰るわ」
「でも……仕事終わるの定時でしょ?」
ラスフィアの仕事上がりが大体六時前後。けれどクロエの仕事上がりは五時半前後だ。そこから八時まで待つとなると、結構な待ち時間となってしまう。
「残業するから、大丈夫。一人で帰るより、二人の方が絶対良いから」
「いいの……? ……ありがとう」
ラスフィアが礼を言うと、クロエは静かに微笑んだ。
☩☩☩
仕事に戻るクロエを見送ったあと、店内にある商品の在庫確認をしていたラスフィアは、背後から声を掛けられた。
「すみません」
「はい!」
振り向いた先には、艶やかな黒髪にアイボリー色の角を生やした、亜人の男がいた。
まるで黄金のように輝く瞳が、印象的だ。
(おお……! 何の亜人かしら? この角は……山羊? 羊?)
綺麗に頭の形に沿うように、後ろに向かって角が伸びている。ラスフィアの目にはおそらく、山羊の一種だろうと思われた。
「アコタ産の岩塩は置いてありますか?」
「はい、ありますよ。棚までご案内しますね」
男の質問にラスフィアが答えると、男はにこやかに微笑み、「ありがとうございます」と礼を言った。
ラスフィアが男を先導しようと横を通り過ぎた際、花のような香りが、ふいに鼻腔をくすぐった。
(香水……? ……獣型の亜人で香水をつけている人って、珍しいわね)
臭覚の鋭い種族のみならず、獣型の亜人は、香水の類を嫌う者が多い。昆虫型の亜人になると、人工的とはいえ花の香りならば好きと言う者たちもいるが、目の前の男はどう見ても獣型である。
人間や他の種族との血の交わりが深くなるなかで、個々の亜人としての特性が、弱くなる者たちが生まれてくることは知られていた。人によっては、より亜人としての特徴が濃くなる場合もあるようだが、大体の場合は、より血が薄れていくのが当たり前だった。
(角はあるけれど……この人も亜人としての特性が薄まっているのかもね)
「こちらです」
「ありがとう」
ラスフィアに礼を言い、男が棚に手を伸ばす。
(あ、それは……)
しかし男が手に取ったのはアコタ産ではなく、ミズール産の岩塩の瓶だった。
(でも、実際の品を見て買う商品を変えるってこともあるし……。他の岩塩にも興味があったのかも……)
アコタ産とわざわざ指定してきた割に、最初に手に取ったのが違う商品だったことがやや引っ掛かった。だが、最初に店員に聞いた品だけを吟味しなければならないということもない。
ラスフィアはそのまま男に一礼し、その場をあとにした。
☩☩☩
「お疲れ様、ラス」
ほんわかとした可愛い雰囲気のクロエの微笑みは、慣れない土地で働くラスフィアにとって、いまや一服の清涼剤となっていた。
(……癒されるわ~)
「お待たせ、クロエ。ありがとう、待っててくれて」
「いいのよ」
このような時間まで待っていてくれたクロエに礼を言い、二人並んで暗い夜道を歩きはじめた。
ラスフィアの手にも、クロエの手にも、簡易式のランプが握られている。
懐中電灯もすでに販売されているが、やはりまだ値段が高い。そもそも、遅い時間帯に出歩く必要がなければ、ランプで代用出来てしまう。とはいえ、手持ちの大きさ程度のランプでは、光量はあまりない。
外灯もなくはないが、それでも女性一人で歩くには、躊躇してしまう程度の明るさだ。
(やっぱり、クロエに待っていて貰って良かったかも……)
最初は強がってみたものの、素直になっておいて正解だった。
いくらランプがあるとはいえ、この暗闇を一人家まで歩くのは、かなり勇気がいったはず。
ラスフィアが心の中でクロエに感謝していると、突如、前方の濃い暗がりの中からぼんやりと人のシルエットが浮かび上がった。ランプを掲げてみれば、そこには昼間ラスフィアが店で対応した、亜人の客が立っていた。だが、その亜人の姿を見たラスフィアは一瞬だけ、違和感に眉を顰めた。
(……何だろう。昼間とは、何かが違うような……)
違和感の原因は何だろうと、ラスフィアはつぶさに男を観察する。するとすぐに、違和感の正体に思い至った。
(あっ! 眼鏡かけてるんだ)
男は服装こそ変わっていなかったけれど、しかし、今は眼鏡をかけていた。細い銀色のフレームの眼鏡をかけた男は、昼間とはかなり印象が異なっている。
しかし、今度はその眼鏡をかけた姿をどこかで見たことがあるような気がして、ラスフィアは内心で首を傾げた。
(まって……この人、どこかで見たことが……)
黒髪に、眼鏡。唇は薄め。
一瞬だけ男が顔の角度を変えた時に、眼鏡のレンズがキラリと光った。その光景を見たラスフィアは、目の前の男が、先日女性を刺して逃げた犯人と似ていることに気が付いた。
(でも……角がなかった……って、あー!)
確かあの時の犯人は、帽子を被っていた。あの時ラスフィアが似合わない帽子と思ったのは、角があるぶん、少し大き目の帽子を男が被っていたからだろう。
(もしかして………店に来たのは、私の反応を確かめるため?)
その考えに思い立った瞬間、血の気がひいた。
考えてもみれば、ラスフィアはあの事件の唯一の目撃者なのだ。二時間サスペンスなどでは目撃者は殺されると決まっているのに、そのことに思い至らなかったことが非常に悔やまれる。
(しかも……今はクロエが一緒にいるのに……)
クロエは亜人ではなく、ラスフィア同様人間だ。いくら草食動物系だと思われる男性とはいえ、相手は亜人。敵いようもないだろうし、この場から逃げられるかさえ怪しい。
(山羊だって羊だって、結構脚早いしね……)
「人間の女の子は、力が弱いから良いよね。僕でも簡単に捕まえられる」
男の声には、隠しきれない優越感が滲んでいる。その声を聞いたクロエが、ラスフィアの腕に縋りついてきた。
「ふーん、怯えてるの? 可愛いな」
何だかとても、嫌らしい口調と視線だった。
「僕、亜人よりも人間の女性の方が好きなんだ。特に、肉食動物系の亜人の女性なんて最悪だよ。基本、僕らになんて見向きもしないし、たまに寄って来ることもあるけれど、そういう時は、大抵貢がせることが目的だ。しかも何かというと、いちいち蔑むような目でこちらを見てくるんだよ。自分達なんて血の滴る生肉を貪る野蛮な種族だっていうのに、草を食んでいる温和な種族のことを馬鹿にするなんて、そんなの許せないだろう? あげく、同じ肉食動物と浮気なんて……本当に、獣だよ」
男の口調は穏やかだったが、声に力が籠っている。今にも爆発しそうな感情を、抑えているような印象を受けた。
(……ようするに、刺された女性はこの人の恋人で、貢がされたあげく、浮気されたってことね)
目の前の男は亜人の、とりわけ肉食動物系の亜人の女性に対し、随分と卑屈な想いを抱いているらしい。
だが浮気されたことには同情できても、だからといってあのような凶行が許されるわけはない。
「なのにあの女……。はは……。普段僕のことを馬鹿にしていたくせに、いざとなったら、震えて手も足も出やしない」
自らが刺した女性をあざ笑う男に、嫌悪感が湧いてきた。しかし――。
(この人、目が怖い……!)
男の異様な雰囲気に、嫌悪よりも恐怖が勝った。
顔は笑っているのに、目がまったく笑っていないのだ。
恐ろしさのあまり男から視線の外せなかったラスフィアと、我に返った男の視線が交わった。
その瞬間。
黄金の満月の中に浮かんでいた一艘の黒い舟のような瞳孔が、一瞬の瞬きのうちに、縦から横へと変わった。
ラスフィアはその瞳を見た瞬間、己に縋りついてきたクロエの身体を無意識に抱きしめていた。
どうでも良い犯人の裏話:この犯人は同じ種の亜人と比べても角が小さく、それもコンプレックスになっています。帽子で隠せちゃう程度の大きさ。




