セクハラ美女が尊厳破壊セーターで公開処刑される話
片面がほぼ真っ黒になってしまったホットケーキをのせた皿を持って食堂スペースに足を運んだコトハが目にしたのは、朝のニュース番組でたまにやっているアニメのなんかかわいいキャラみたいな顔で泣く恩人と、その恩人を泣かしたと思しき妖艶な美女の姿だった。
コトハに本来の名前すら忘れ果てるほど酷使されたブラックな経験がなければ、コトハはその場で動揺して黒焦げ蜂蜜まみれのホットケーキ、というか皿を床に落として盛大な音を立てていただろう。
けれどもコトハは過去に色々と悲惨な過去がありちょっとやそっとでは動揺しない程度に心というものがおかしくなっていたので、その場で立ちすくんで息を呑むだけで済んだ。
しかしオーバーなリアクションをせずに済んだというだけで、内心は大混乱のパニック状態に陥っていた。
頭はすっからかんの空っぽで、言葉は何も出てこない。
それでも何か言わなければ、何故泣いているのか何故泣かせたのかを問いただし、場合によっては何らかの対処をしなければ。
そこまでは考えついたものの口を含めた身体を未だ動かせないコトハの顔を二人が見る。
恩人は涙で濡らした目を目一杯に開き、酷く動揺した顔を。
美女は「おやまあ」と呟いて、怪しげで艶やかな笑みを。
この場にいたのがどちらか一方だったら、コトハは多分すぐに身体を動かすことができただろう。
恩人が泣いているだけだったら黒焦げホットケーキをそこら辺のテーブルに置いて速やかに彼女のもとに駆けつけ、美女が怪しげに笑っているだけだったら一礼した後ホットケーキを落とさぬよう全力ダッシュで自室に逃げ帰るだけだ。
そうだ、話を聞くにしても美女をどうにかするにしても、まずはホットケーキをどうにかしなければならない、とコトハは思って、そこら辺のテーブルに皿を置いた。
動揺のせいかコトハの手元が狂う、想定よりもずっと大きな音を立ててそれでも割れることなく皿は無事テーブルの上に。
「何を、しているのです」
コトハがかろうじて絞り出せたのはそれだけだった、それだけしか言えなかったコトハに美女がクスクスと笑う。
「何でもございませんわ。少々、ええ、少々刺激が強いお話をしていただけで」
甘やかで怪しげな声でそう言った美女に一瞬だけ視線をやった恩人がハッとした顔でコトハの方を見た。
「戻りなさいコトハ!! 少々どころじゃない……アンタみたいなおチビが聞いていい話じゃない!! ……というか逃げなさいさっさと!! それで絶対にこの色ボケセクハラ女に今後一切近寄らないように!!」
恩人はそう叫んだ、叫んだ弾みで彼女の眦からまた涙が溢れる。
この状況で恩人を置いていけるほどコトハはひとでなしではなかったし、それはダメだろうと思えるほどの自我を取り戻せている状態だった。
コトハに立ち去る意思がなく何かをどうにかしなければと考えているのを見透かしたのか、美女が艶やかな笑みをさらに深くさせてから口を開いた。
「そうでございますねえ。お子ちゃまの耳に入れるような話ではございません。そちらの……少々残念な出来のホットケーキ? を持ってお部屋におかえりなさいな?」
出来が悪いは余計だとコトハはムッとした、美女の方がよほど料理下手でホラー系の芸術作品みたいな物体しか作れないくせに、と。
そして彼女達の言葉からこの現場で何が起こっていたのか何となく察したコトハだった。
美女は黙っていればただの美女で済むのにエロ魔人だった、まだ幼いコトハに周囲のお兄さんお姉さん達が口を酸っぱくして「一人の時は絶対に近寄るな、姿を見たらすぐに引き返せ。他に誰かがいても極力近寄るな」と何度も言い聞かせる程度には。
美女の方は「心外ですわ。わたくし、このようなちびっこいお子ちゃまに『楽しいお話』をするほど非常識ではなくってよ」と心外そうに頬を膨らませているが、そんな心外そうな顔をするなら常日頃の態度を改めろと周囲の大人達からブーブーとブーイングが上がるのが常だ。
コトハは周囲を見渡した、もうすぐおやつの時間なのに今日は珍しく、自分達三人しかいなかった。
つまり、コトハが来るまで偶然二人だけになったのをいいことに、美女が恩人に対してエグいセクハラを働いたのだろう。
『話』としか言っていないのでおそらくそれ以上の変なことはなかったのだろうが、それでも言葉だけで恩人を泣かすような、そういう類の話をしたに違いない。
恩人は下手したらちびっこなコトハなんかよりもずっと初心である。
彼女もコトハと同様に、というかそれ以上に過去に悲惨な目に遭っていたらしいが、彼女のいうところの悲惨な目は彼女自身に行われた人体実験であったらしい。
コトハのように周囲にいたのが人を痛めつけて笑うクズまみれというわけでもなく、子供がいる場で平然と猥談がはじまったり突如おっ始めたりするような大人がたくさんいたというわけでもないらしい。
なら多分泣いてしまうだろうなとコトハはやや冷静になりつつそう思った。
冷静になったのでこの後どうするのが正解なのかをコトハは考える。
美女がいう通り一人で逃げ帰るという選択肢はない、常識的にそれはやるべきではないし、そもそも美女の言いなりになるのは癪だった。
なので、できる事なら美女から恩人を引き剥がし、恩人と共にこの場を立ち去るべきだ。
これがおそらく最適解、ただしそれができるかどうかという問題が発生する。
単純なコトハの考えていることなんてお見通しなのだろう、余裕綽々の笑顔で美女はコトハの目を見つめる。
できるものならやってみてごらんなさいと書いてあるような顔だった、この美女は言いたいことをその顔その表情だけで表現するのが上手いから、そこだけは素直に羨ましいなとコトハは思う。
コトハは本当に小さい頃から何を考えているのかわからない子供だと常々言われ、そして気味が悪いとぶん殴られ続けてきたので。
この美女のような表現力があれば自分の人生は多少マシになったのだろうかなんてことを考えつつ、一歩前に出る。
美女が好戦的な笑みを浮かべる、お前に何ができるんだと声が立てずに嘲笑う。
対するコトハは大したことは考えていなかった、愛刀は部屋に置きっぱなしなので素手でどうにかしなければ、とだけ。
どうにもならない可能性の方が高い、愛刀があったとしてもコトハはこの美女に敵わないだろう。
けれどもコトハは『子供』だった、卑怯な気がするがそれを最大限に活かして駄々をこねれば、子供相手に意地を張るのは馬鹿らしいと美女が『大人』な対応を見せるかもしれない。
子供らしく大声で喚き散らして助けを呼ぶという選択肢がなくもなかったが、この状況だとさらに悲惨なトラブルが発生する可能性が高いので、できるだけ穏便かつ迅速に。
恩人だってこの美女のセクハラ程度で大泣きさせられた、なんて不名誉なことを他の人々には知られたくないはずだ、なので極力人には知られぬように。
これは保身ではない、更なる悲劇の回避のためだ、とコトハは自分に言い聞かせる。
それと同時にこの惨状を自分の師が目にしたら、と想像して小さく身震いする。
コトハは静かに二人に歩み寄る、美女は愉快なパレードでも見るような目で、恩人は顔を思いっきり引き攣らせてコトハの顔を見る。
コトハは何も言わずにに恩人の手を掴んで、グイグイと引っ張った。
「どうちまちたかおちびちゃん。何も言わずにわたくしのお話の相手をグイグイとひっぱっちゃ、めー、ですわよ」
煽るような口調の美女は無視してコトハは恩人の手を引っ張る。
動こうとしない、というか動けない恩人の顔をコトハはじいっと見つめる。
そんな恩人の手に美女の手が伸びて、触れる直前のことだった。
「何をしている」
コトハのちょうど後ろの方から、そんな声が聞こえてきたのは。
感情なんて一切こもっていないような、単調な声だった。
彼のことをよく知らない人なら、多分そう思うだろう。
けれども不出来なりに彼の弟子をやっているコトハにはそうではないことがよくわかった。
よくわかったのでほとんど反射的に勢いよく振り返って、彼の姿を目視した。
思いの外近くにいたのでただ振り返っただけでその顔は見えなかった、思い切り上を見上げて、コトハはようやくその顔を目にする。
見上げた顔にはいつも通り表情なんて一欠片もない、普通の人だったら多分そう思う。
けれどもコトハはその顔を見て思い切り顔を歪ませた、コトハにブラックな過去がなければその場でクソでかい悲鳴をあげて泣きながら逃げ出していたかもしれなかった。
見慣れているからよくわかる、この何も感じてなさそうな、感情なんて生まれてから今まで一度も感じたことなさそうな顔をしたその男が、凄まじく怒っていることに。
自分と同じく顔色が分かりにくい自分の師は、表情を一切変えないのに何故ここまでの激情を発することができるのだろうかとコトハは現実逃避に思った。
そう思った直後にコトハの視界に映る世界が急速に動く、視界だけでなく多分身体も、その勢いで掴んでいた温かいものをパッと手放してしまった。
肩を掴まれて後ろに追いやられたことにコトハが気付いたのは、師の背中と自分の隣で目を白黒させている恩人の顔を見た後だった。
「まあ」
妖艶なつぶやき声が聞こえてきたので師の背中越しにその声が聞こえてきた方を覗くと、薄ら笑いの美女の顔が見えた。
「何故これが泣いている。何をした」
「おやまあ、なんの状況も把握していらっしゃらないくせに、わたくしに非があると決めつけるなんて……」
美女はよよよと目元を片手で覆ってわざとらしい泣き真似をした。
これ以上煽らないでほしいなとコトハは思った、この後下手すると世界終末レベルの大怪獣大戦が繰り広げられかねないので。
むしろそれを期待して恩人を泣かせたのでは、という可能性に思い当たったコトハは胡乱な目で美女の顔を見て、次に自分の師の顔を見上げた。
「それくらい、見ればわかる」
淡々とした声だった、けれども聞く人が聞けば苛立ちと怒りが盛大に塗り込められているのがわかる声色でもあった。
現にコトハのすぐ隣で「ひぃっ」と小さな声が上がった。
チラリとそちらを見ると涙で濡れた顔の恩人がコトハに向かって手を伸ばしていた。
けれども彼女は気まずげな顔色でその手を引っ込める。
大方、自分の師の声にビビり散らかして咄嗟にすぐそばにいたコトハに縋りそうになるも、子供相手に縋り付くのは格好悪い、とでも思ったのだろうとコトハは推測した。
「下手な泣き真似はやめろ。これに、何をした」
師はその声色にほんのわずかに苛立ちをのせて再度美女に問いかける。
そう問われた美女はぴたりと動きを止め、目元から手をどかす。
美女は乾ききった目で師の顔を見上げ、てへ、と小さく舌を出す。
「大したことは何も。ただ楽しくお話ししていただけですわよ」
楽しげな声色の美女をコトハの師はじいっと見据える。
「ああ、内容が気になるのでございますね。ですがほんとうに大した内容ではありませんわ。少々、ええ、少々『夜』のお話をお聞かせ願いたいと」
ほほほ、と美女が笑う。
もうやめてくれないだろうかとコトハは思った。
「あなた様方は『いいなか』なのでございましょう? ええ、ええ、聞かずとも分かりますわそのくらい。なので日々、どのように甘く、熱い夜を過ごしていらっしゃるのかと……わたくし気になって気になって、どうしようもなくて……」
美女は乙女のように頬を紅潮させながらそう言った。
コトハはそれを聞いて、ああ、きっとすごく下世話な聞き方をしたんだろうなと思った。
ちなみにだがコトハが知っている限り師と恩人はそういう関係ではない。
まだ、と言っていいのかどうかも微妙な、割とデリケートな関係なのだろうとうっすら察している。
そしてそれは美女だって同じはずなのだ、というか美女の人を見る目はコトハのそれと比べると圧倒的に良いもののはずである。
なので分かりきった上でそんなことを聞きやがったのだろう、きっと具体的にどういうことをしているのだろうという余計なことも交えつつ。
コトハはどことなく周囲の空気が冷たくなったような気がした、冷房の効きが急によくなったのか、それとも別の要因があるのか、その理由をあんまり考えたくないとも思った。
「あなた様ほどの殿方でも彼女のやわい肌に溺れていらっしゃるのでしょう? 是非あなた様の口からも……おっと、これ以上はやめておきましょう、かわいいかわいいお子ちゃまがいらっしゃるので。ふふ、うふふふふふ……」
美女は師の後ろから顔を出して事態を見守っていたコトハの顔を見て、口元を手で覆った後にパッと聞いただけでは上品にすら聞こえる笑い声を立てた。
コトハは美女の妖魔じみた笑みに小さく身震いした後、恐る恐る自分の師の顔を見上げる。
ひゅっとコトハの口から空気が漏れた、コトハはブラックな環境にいたせいで心というものが一度ぶっ壊れているが、恐怖という感情はまだ残っていたので。
「成程、随分と品のない話をこれに聞かせたらしい。そも、これと自分はそのような関係ではない」
ああ、怒ってる怒ってるすごく怒ってるなあとコトハは小さく震えた。
美女の顔を見る、美女は何もかも理解しているくせにそれでも笑っている。
ここで美女に少しでも反省の色が見えたり、引く姿勢があれば何かがもう少しマシになっていただろうにとコトハは考えても仕方のないことを考える。
これは、多分駄目だ。コトハ一人でどうにかできる問題じゃない、師が出てくる前に解決できなかった時点でもうどうにもならなかった。
その前にこの場で最後の足掻きをするか、余計なことは何もしない方がいいのかコトハがその判断を終わらせる前に師が口を開いた。
「それと……貴様は何故『やわい』と知っている?」
そんな問いかけとともにコトハが思い出したのは、自分が保護された直後のこと。
あんまりにも見窄らしくズタボロという言葉しか似合わなかった当時の自分を抱きしめて、ワッと大きな声で泣いていた恩人の温もりと柔らかさ。
人との接触なんて殴られる蹴られる以外の何もかもがなくなって久しかった頃のコトハにとってそれは随分と優しいものだった。
だからコトハは恩人の柔らかさを知っていた。
というか触れずとも普通に柔らかそうだと思う、誰だってそう思うはずだ。
別に太っているというわけではなくほっそりとした体付きだが、それでも女性らしい見た目をしているから。
しかしコトハの師は見れば誰でも簡単に推察できることから発せられた言葉であると受け取らなかったらしい。
そんな師に凝視された美女の顔が、大きく歪んだ。
それは、乳児がとても面白くて楽しいおもちゃを発見したみたいな笑顔だった。
「おほ、おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!!」
ものすごく笑ってる、超楽しそうな顔と声で笑っている。
そんな美女と相対する師匠の顔をコトハは見た、表情は無に近いけれど凄まじい怒気と殺気を感じた。
美女を睨め付ける目はドス黒く、というか誰がどう見ても睨んでいるとわかるくらいに師の顔にわかりやすく表情が出ていることにコトハはその時になってようやく気付いた。
このままだと、確実に死人が出る。
最少でも二人死ぬ。
そう判断したコトハはとある人物に救援要請をすべく、全速力で廊下に出た。
コトハは走った。
とにかく走った、不幸中の幸いと言っていいのか誰ともすれ違うことがなかったため、誰かに「廊下を走るな」と嗜められて時間をロスすることなく、その部屋の前に辿り着く。
そしてコトハはその部屋のドアを連続でノックした、息切れしていたので声を発することはできなかった。
いっそ蹴破ってしまおうかとコトハがうっすらと思ったその時、ドアが乱暴に開かれた。
「なんだ騒がしい!! くだらない用事だったら社会的に殺すぞ」
怒鳴りながら出てきたのはボサボサ頭に眼鏡の男だった。
眼鏡越しに目が合った彼の目はコトハの顔を見て訝しげな色を見せた。
彼とコトハの関わりは希薄だった、同じ組織に居座っているだけのただの他人。
なので彼にとってコトハはいわゆる珍客と呼ばれる類のものなのだろう。
と、そんなことを考えている場合ではないとコトハは慌てて口を開き、咳き込んだ。
中々収めることができず、コトハは自分のことをすごく情けなく思う。
少ししてようやく咳がおさまり、息も整ってきた。
眼鏡の男はどうしたものかといった顔でコトハを見下ろしている。
眼鏡の男はコトハが悪戯で騒ぎ喚くような子供ではないことくらいは知っていたので、何かしらの異常事態が起こったのだろう、ということくらいは察しているようだった。
そんな彼に向かって、コトハはようやく要件を告げることに成功した。
「ツヤコさんのセクハラでお姉さんが泣いちゃって師匠がブチ切れました。このままだとどっちかが死ぬまで止まらない殺し合いになるかもです」
現状を簡潔に述べたコトハに眼鏡の男はサッと顔色を変える。
「もっと喚き騒げ馬鹿者!! 現場はどこだ!!」
「食堂です」
眼鏡の男はコトハがそう答えるや否や部屋から飛び出し、駆け出した。
普通に足が遅かった、コトハの身体がもう少し大きくて腕力もあったらいっそ抱えて走った方が速いかもと思う程度には。
けれど、今の自分だと並走した方がまだ速いだろうとコトハは判断し、行きよりも随分遅いスピードで廊下を走った。
コトハと眼鏡の男が食堂に辿り着いたその時、笑いながら煽り散らす美女と、大剣の柄を掴み今にも抜剣して美女を切り捨てようとしている師と、そんな師にしがみついて全力で引き留めにかかっている恩人という、地獄みたいな光景が広がっていた。
幸いまだ引き留めが成功しているらしく、ひしゃげた椅子がその辺に転がっていたり、両断されたテーブルが散乱していたりはしなかった。
けれどもそれも時間の問題だろう、師と美女が真正面からやりあえばこの食堂どころか建物、下手したらこの星そのものが廃墟になりかねない。
コトハはそんな惨状を簡単に思いついて思わず「うわぁ」と、おそらく全く同じことを脳裏に描いたらしき眼鏡の男は絶叫を上げ、対峙する美女と師の間に割って入っていった。
そこから先はすごかった、眼鏡の男は平手で美女の頭をパシンと叩いたあと、美女の頭をガッと掴んで強制的に謝罪のポーズに。
眼鏡の男自身も平謝りしつつ、抵抗しようとする美女の頭を掴んで力づくで謝らせる。
普通に命令すれば頭を掴みっぱなしにする必要なんてないだろうに、きっとそこまで頭が回っていないのだろう。
その後は眼鏡の男がただひたすらに謝り続けた、自分の監督責任だと、この色ボケ女のせいで不快な思いをさせて悪かったと、誠心誠意。
あの美女の管理というか監督をするのはすごく難しくて面倒くさくて大変だろうなとコトハは思った、他人に関わらないようどこかに閉じ込めるとかそういう安易な答えしか思い浮かばない。
眼鏡の男の全力謝罪を受けて多少冷静になったのか、それとも眼鏡の男に免じてやろうとでも思ったのか、師は柄に手を当てたままそれでも聞く姿勢に入った。
「本当にうちの色ボケがすまなかった!! 気が済まないというのであればそれ相応の罰は受けさせる。なのでどうか、殺傷沙汰だけは何卒……!!」
「……罰、とは?」
それ相応のものでなければ納得しなさそうな雰囲気の師に、眼鏡の男は「できればやりたくはなかったのだが」と前置きした上で答える。
「以前から度が過ぎた行動をすればそうするとは言い続けていたのだがな、言葉だけでは足りなかったらしい。全く、残念だ。具体的に何をさせるかというと、現物を見せた方が早いだろう。しばし待っていてくれ」
そう言って眼鏡の男は一礼してその場を立ち去ろうとしたが、一歩足を動かした直後に「あ」と呟いて、美女に向かってこう命じた。
「……それと、お前は余計なことは何も言わず何もせず大人しくしていろ」
美女は何も答えなかった、というか『何も言わずに』という命令のせいで言葉を発することが叶わなかったのかもしれない。
それほど立たずに眼鏡の男は戻ってきた、両腕で何か布のようなものを抱えている。
よく見るとそれは毛糸らしい物で編まれた物であるようだ、眼鏡の男はその場にいる全員によく見えるようにその何かをばっと広げた。
「……ええと、なんですこれ」
しばらくしても誰も何も言わなかったのでコトハは仕方なく眼鏡の男にそう問いかける。
「手編みのクソダサセーターだ」
眼鏡の男は得意げな顔をしながら、ヤケクソみたいな口調でそう答えた。
コトハはセーターと答えられたそれをよく見てみる。
編み目は丁寧で整っているように見えた、装飾らしきものの類も精巧で、間違いなく力作なのだろう。
少なくともコトハの手では絶対にあんなものを作ることは不可能だ、前々からこの男は手先が器用だという噂を聞いたことがあるが、それは正しかったらしい。
よくできていると思う、間違いなく渾身の力作だと思う。
「えと……おしょうがつ?」
鏡餅に大きく翼を広げた鷹、立派な茄子に背景には富士の山、他にも正月に関わるものが節操なしにごちゃっと、それと胸の辺りに立体的に編み込まれているのは焦茶の馬の頭だろうか。
一応『正月』というテーマでまとめられてはいるようだが、あまりにも混沌としている。
「ちなみに背中はこうなっている」
「わあ」
くるりとひっくり返されたそこに編み込まれているそれを見てコトハは思わず一歩後ろに引いてしまった、そこには杵を振るう褌姿の赤い帽子の老人と、臼の中の餅を返そうと構えるトナカイが編み込まれていた。
「それが、なんだ」
師が訝しげにそう問うた、確かに何故こんな意味不明なものを見せてきたのだろうかとコトハも不思議に思った。
ひょっとして一週間くらい無理矢理これを着せて生活させるとかが罰なんだろうかとコトハが思い立った直後に眼鏡の男が答えを口にした。
「これをこの色ボケに着せて、こいつの気に入りのカフェのある街を練り歩かせる」
思ってたよりもむごい罰だった、流石にそこまでする必要があるのだろうかとコトハは思った。
だって、美女のお気に入りのカフェがある街って、とコトハが思ったその時、師が不満げに口を開く。
「その程度」
「そ、そこまでやる必要ない……流石にあんまりよ!!」
師が何か言っている途中で恩人が耐えきれなさそうにそう叫んだ。
「だってお気に入りのカフェがあるって……あの街でしょ!!? あたしでもあそこがおしゃれタウンなことくらい知ってるわ!! それなのに、こんな、こんな……」
その先は言葉が続かなかったのか恩人は言葉を詰まらせる。
そういうことに疎いコトハですら美女の行きつけのカフェがある町がこの国でも有数のおしゃれタウンなことは知っていたし、美女はそんな街を行きつけにするのがお似合いのおしゃれさんである。
エロ魔人だけどセンスはとてもいいのだこの美女は、本人の性格に問題がなければ世界レベルのトップモデルになっててもなんの違和感もないと、だからこそ本当に残念だとコトハは常々そう思っている。
そんな美女があんなセーターを着せられた挙句あのおしゃれタウンを練り歩かされるのなら、公開処刑というほかならない。
しかも今は真夏である、それなのに若干クリスマス味のある正月モチーフのセーターとか季節外れすぎる。
見た目とかそういうのにあんまり頓着しないコトハですら素直にむごいと思う。
何やら視線を感じたので顔を上げると師がコトハの方を見ていた。
そういえば師は自分よりもそういったことに疎かったな、と思ったコトハはもう一度セーターを見て、師に視線を戻した。
「あれはクソやばいと思います。罰としては行き過ぎなくらいかと」
「行き過ぎどころの話じゃないわ!! ね、ねえ、もう罰とかなんとかそういう話はなしにしましょう?」
恩人が必死の形相でそう訴える、このまま『罰』が実行されたら恩人が「自分のせいであんな……」と深く落ち込みそうな気がしたので、コトハも助け舟を出しておくことにした。
罰は必要だと思うが、流石にあれは可哀想だとコトハも思ったので。
「あれ着るくらいなら裸の方がまだマシかもですよ、ツヤコさんだと特に。流石にもう少し容赦を」
「いや、駄目だ」
と、眼鏡の男がそう口を挟んできた。
「あれだけ散々言っておいたのにこの色ボケはやらかした。なら一度しっかりと罰しなければ確実に再犯する。その時にお前のようなちびっこが犠牲にでもなれば、何故あの時ちゃんと罰しなかったんだと後悔するハメになる。だからこの場にいる全員が許そうともオレがこいつを罰するのは変わらない」
「そう、ですか」
まっすぐとした眼鏡の男の目に、これはもう何をいっても駄目かもしれないと思った。
思いつつ、どうしても彼の手元のセーターに目が行く。
「それにしても……うーん、見れば見るほど、酷い。ちょっとよく見てもいいですか?」
そう言って眼鏡の男に両手を差し出すとセーターを手渡してもらえた、コトハは受け取ったそれをまじまじと見る。
「わあ、うわあ……あ、見てください師匠、これ、このサンタさんの杵、上に持ち上げるとお餅が伸びます。こういうのもできるんですね」
「ほう……」
師はやや感心したような声を上げた。
思っていたよりも凝った作りになっていたのでコトハはこのセーターの凄まじいダサさよりも先にギミックの方に目がいってしまった。
「お、よく気付いたなちびっこ。……本当は表の馬にも紐付きの人参をくわえさせて、引っ張ると震えながら元に戻るギミックをつけたかったのだが……今回は断念した」
今回はとやや不穏なことを言いつつ眼鏡の男はどこか得意げにしている。
コトハはそこでハッとして、師にどこがどのように酷いから罰を受けさせるにしてももう少し穏やかなものにした方がいいのではと提案しようとした、眼鏡の男も師が『流石にこれは』とでも言えば、多少は心変わりを見せるかもしれない。
けれど、なんかもう全部が全部酷くてどこから突っ込めばいいのやら判断に苦しんだ。
サンタの褌が赤いのも、よく見るとトナカイもお揃いの褌なのも無駄に細かいこだわりを感じてなんか酷い。
表の節操のなさも編み込まれた全てがデフォルメされたイラスト調ではなく極力リアルに近づけているのも、よく見たら茄子がスパンコールな感じに輝いているのも、なんか酷い。
その中でも特にクオリティが高いのが鷹だった、もしもこのセーターに編み込まれているのが鷹だけだったら普通に誰もが欲しがるような格好良さを感じる。
どうしたものかと思っていると、眼鏡の男が「どうだ?」と師に問いかけた。
その言葉にコトハがハッと顔を上げると、師はコトハ、恩人、眼鏡の男を順繰りに見て、最後に美女に視線を向けた。
美女はガタガタ震えながら顔を真っ青にしていた、余裕のよの字すらない、切羽詰まった顔だった。
美女のそういう顔をコトハは初めて見た、この人ってあんな顔するんだ、それもそうかとひっそりと哀れみを向ける。
師は美女の顔をじいっと見る、十数秒たっぷり見つめた後、師はふと雰囲気を和らげた。
「それでいい」
美女の公開処刑が決定した。
「ちょっと!! いくらなんでもそれは」
「本来ならその上半身と下半身をなき別れにしても足らないくらいだ。……だが、その顔を見る限りこの程度の平和的な罰が嫌であるらしい。死ぬ方がマシ、というやつなのだろう。なら、それでいい」
物騒なことを言いつつ師はわざとらしくうっすらと笑みを見せた。
自分と同じく笑顔の練習をしているとのことだったが、自分と同じくらい下手くそだなとコトハは思った。
「そうか、納得してくれてよかった。……それと、オレとこの色ボケ女は残念ながら一蓮托生、死ぬのならば諸共だ。というわけでオレも同じものを着て、責任もってこの女を連れ回してやる」
罰のレベルが上がった、ペアルックはさらにキツい、キツすぎる。
恩人の顔を見た、絶句していた、言葉が何も出てこないのだろう、コトハと同じく。
顔が真っ青だった、下手したら恩人が自分を発見し保護する直前の時よりも酷い顔色になっている。
「ふは、ふはははは!! 見栄張りのこの女にとっては死ぬよりもよほど酷い罰だろうよ!!」
眼鏡の男の哄笑が響く。
とにかく一旦、この件はこれで解決ということになったらしかった。
想定よりも遥かにマシな結末になったのか、それとも真逆なのか、コトハにはわからなかった。
あの後、善は急げと眼鏡の男は早急に美女を着替えさて、自分もしっかり着替えてコトハ達の前に姿を現した。
なんかもう色々酷かった。
美女の胸部はすれ違いざまに三度見するくらいには立派なものなのだが、リアルな立体馬のせいでその胸部に全く目がいかなくなっていた、服のセンスって大事なんだなとコトハは真っ白になった頭でかろうじてそう思った。
尊厳破壊というのは多分こういうのをいうのだろう。
そのまま二人は外に飛び出して行った、美女は死んだ魚みたいな目をしていた、ブラック環境にいた頃のコトハのそれよりもよほど死に近い目だった。
自分が泣いたせいでと恩人は罪悪感に押しつぶされその場でへたり込んでいた、師はそんな彼女をひょいと軽く抱えてどこかに去っていった、多分行き先は恩人の部屋だろう。
誰もいなくなった食堂でコトハはすっかり冷め切ってホットではなくなってしまったケーキをもそもそと食べる。
蜂蜜では誤魔化しきれない苦味にコトハは顔を顰めつつ、責任を持って完食した。
その日の夕食時。
普段と同じ時間にやってきたコトハは、C定食のチキンカレーを頼んだ。
チキンカレーを食べていると師と、それから少しして恩人も食堂に現れた。
恩人はまだ気落ちしている様子だったが、過度に心配して気を使うほどでもなさそうだった、それに安堵しつつコトハは食堂に備え付けられている大きなテレビに目を向ける。
カレーの味付けはどちらかというと大人向けの味付けになっていた、コトハは子供だが辛味にはそこそこ強い。それでも口の中が少し辛くなってきたので、ひんやり冷えた麦茶入りのコップを口元に運ぶ。
テレビではリポーターがどこかの街を取材する様子が映っていた。
その後ろで、胸元からリアルな馬をはやした不審人物が二人、通り過ぎていく。
コトハは盛大に咽せた、コップを取り落としそうになったがどうにか耐える。
「ちょ、どうしたの!! 大丈夫!!?」
恩人の声とパタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえる、コトハは何も考えずにテレビを指さして、直後にそうするべきではなかったと後悔した。
ひいっとすぐ近くから悲痛な悲鳴が、おそらく恩人もコトハと同じものを見てしまったのだろう。
顔を上げると、ちょうどテレビから不審人物が消えるその瞬間が見えた。
あまりにもむごいとコトハは思った、こんな不運が重なるのはあんまりだろうと。
美女のやらかしは確かに酷かったしそれ相応の罰は絶対に必要だったが、それでも流石に可哀想がすぎる。
コトハはこの後数ヶ月以上、美女の姿を目にすることがなかった。
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