夏の花火と斑蝶
それから数年の月日が流れた。
彼女は数年ぶりにそこに立って、もうすぐ満開の花が咲き誇る予定の空を見上げていた。
淡い水色の綿飴を舐めながら、あれから髄分たったけどここはあまり変わりないと思った。
まだ彼女がこの国の魔術学校の生徒だった頃に一度だけここで花火を見たことがあった。
彼女の性格の悪い知人がツテで見つけた穴場で、よく見えるスペースではあるのだが周囲には人がいない。
あの頃の事を彼女は思い出す。
彼女にとって、おそらく最も美しい思い出となったあの日々を。
そしてその日々を壊すしかなかった事も。
少し前までは痛みしか感じなかった思い出が、苦痛でなくなってきたのはいつからだったか。
空を見上げながら彼女は微かに笑う。
空に花が咲き誇るまであと数分。
そんな頃、彼女の背後から声が聞こえてきた。
「よかった、間に合いましたよ!」
「間に合うようにきたんだから当然だろう」
若い女と若い男の声だった。
カップルか、と彼女は振り返らずにげんなりした。
どうせなら一人で見たかった、一人で思い出に浸っていたかった。
だけどまあ、それも贅沢な考えかと彼女は思い直す。
「あの……こちらよろしいですか?」
「別にいいけど」
若い女に声をかけられたが、彼女は振り返りもせずに答えた。
そこでふと彼女は気付いた。
聞き流していたがこの女の声、聞き覚えがないだろうか?
「ありがとうございます!」
やはり聞き覚えのある声に彼女はちろりと振り返った。
嬉しそうな顔で笑う若い女は、勘違いであって欲しかったがやはり彼女の知り合いだった。
ついでに言うと若い男の方も知り合いだった。
――!!?
表情を変えずに彼女は再び前を向き空を見上げる。
とっさに口元を綿飴で隠し平静を装うが内心は大嵐だった。
――何でいる!!? 何故何どうしてこの二人がここにいる!!?
しかし、よく考えればこの穴場を見つけたのは彼女の性格の悪い知人、つまり今やってきた若い男なのだ。
だけど何故、こんなところにいるわけがないと彼女は心の中でシャウトする。
――何で女王とその騎士が自分の国でもない他国のこんなところにいるんだよコンチクショウ!!
やってきた二人組、かつての彼女のクラスメイトであった二人はこの国の隣の国の女王とその騎士だった。
学生時代は亡国の姫君としての素性を隠していた若い女は現在国を復興して今や立派な女王である。
何故こんな重鎮がいくら強いとはいえ供一人だけでこんなところにいるんだと彼女はもう一度心の中でシャウト。
ちなみに彼女がとある特務機関に所属しつつも数年にわたる逃亡生活をしているのは、彼ら二人とそれからもう一人から逃げているからである。
色々とやむおえない事情があったとはいえ、彼女は自分をそこそこ信用していたその3人を裏切った。
もし捕まれば最悪の場合は打首獄門だろう。
パーカーのフードを目深に被っているからだろう、少なくとも若い女の方はまだ彼女に気付いていない。
――よし、逃げよう。
5秒で結論まで辿り着いて、彼女はその場を立ち去ろうとした。
「どこへいく? もうすぐ花火の時間だぞ?」
無言で立ち去ろうとした彼女に若い男がニタリと口元に笑みを浮かべて言ってきた。
いかにも性格の悪そうな笑みに彼女は顔を歪めかけた。
――こいつ、勘付いてやがる……!!
勘付いたうえでこちらの反応を楽しんでいるのだろう。
即座に殺しにかかってこないのはいつでも殺せるからか、それとも数年経ってどうでもよくなったのか。
どちらにせよ、全力で逃げる必要があった。
「カップルを邪魔する気は無い」
それだけ言い捨てて足早に立ち去ろうとした。
「ま、待ってください……先にいたのは貴方ですし……別にカップルというわけでは……」
若干顔を赤らめながら若い女は言った。
何をいけしゃあしゃあと、と彼女は思った。
この二人の結婚がもう秒読みなのは風の噂で聞いていた。
……といってもこの様子だとただ単に外堀を埋められてる状況なのかもしれないが。
「確かにまだカップルではないな。それにもう一人くるしな」
粘着質な笑みを浮かべながら若い男がそう言った。
まだというところにいろんな含みを感じたが、この場を立ち去ることが先決なのでとりあえず後回しだ。
そこで彼女は嫌な予感がした。
――もう一人?
「ごめーん、遅くなった」
彼女が立ち去ろうとした方向から、二人組と同じ年代の青年が駆け寄ってきた。
彼女は咄嗟に綿飴で顔全体を隠した。
やってきた青年もまた彼女の知り合いだった。
というか交流の長さはやってきた青年のほうが長い。
彼女は叫びそうになったが咄嗟に綿飴に噛み付いてそれを抑える。
そして心の中で全力でシャウトした。
――こんなところで何やってんだよ皇帝陛下!!?
やってきた青年はこの国から少し離れた位置にあるとある帝国の皇帝だった。
しかも一人である、供を一人もつけてない。
隠れている可能性もなくはないが、逃亡生活で鍛えられた彼女の感覚には何者の気配も引っかからなかった。
――そんなに花火が見たかったのか、王二人が何をしている国ほっぽってんじゃねーよバカかお前ら!!
と、全力でシャウトしたいところだが寸前で押し止まる。
ものすごくツッコミを入れたかったがまだ若い男以外に気付かれていない今、自らの正体を明かすような愚かな発言をするほど彼女は子供ではなかった。
その時、ドーンと大きな音が響いた。
見上げると、空に大輪の花。
「あっ! 始まりましたね!」
若い女のはしゃぐ声が聞こえてくる。
――今だ。
その場にいた全員の意識が空の花に向かっている間に彼女はその場から姿を消した。
木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、というわけで彼女は祭りの雑踏に紛れた。
今の所自分を追っている者の気配は感じられない。
――っしゃオラ!! 逃げ切ってやった!!
おそらく逃げ切ったが油断はまだできない。
王二人が権力にモノを言わせて捜索してくる可能性があるからだ。
検問とか始まる前にこの国から出るのが無難だろう。
そう考えていた彼女の耳にあまり聞きなれない警告音が。
彼女が所属する特務機関の緊急回線だった。
「――何事?」
『えー、こちら死番虫。現在特定地域にいる全戦闘員に通達中。祭に光䨩教の信者が紛れ込んでいるらしいのです。狙いはおそらく祭りを狙ったテロ行為……もしくはお忍びでそちらを訪れているアッシュ国の女王陛下、アルドワーズ帝国の皇帝陛下の暗殺』
――あんだって?
緊急回線に耳を傾けつつ、彼女は綿飴を食いちぎった。
『王二人の現在位置の座標、取得成功しました。現時点で最も近い戦闘員は……第99部隊の斑蝶。斑蝶、応答願います」
「げっ」
彼女は思わずそんな声をあげていた。
何故なら彼女が機関から与えられていたコードネームは斑蝶だったからだ。
他に誰かいないのかよと嘯いた後、彼女は応答した。
「――こちら斑蝶。指示を」
『王二人の安全の確保を。できれば支部までの護衛をお願いします。その後は敵の殲滅に」
「了承した。――ところで私以外の戦闘員は? できれば支部までの護送じゃなくて途中で別の戦闘員に引き渡したいのだけど。他人を守って戦うのは苦手でね、最悪巻き込む」
あまり長時間共に行動したくないというのが本音だが、他者を守りながらの戦闘が苦手というのも嘘ではない。
『わかりました。では……幽霊蜘蛛と足長蜂を向かわせます。合流後二人を引き渡してください』
「了承」
そう言った後、彼女は半分ほど残っていた綿飴を一気に食べてその辺にあったゴミ箱に割り箸を放った。
「ったく……面倒くせーな……」
そんな舌打ちをしながら、それでも彼女は自分の戦場へ足早に向かう。
――学生時代ならともかく、なんだって今になってあいつらを守るために戦う羽目になるんだか。人生何があるかわかったものじゃない。
「だけど、仕事だ。――特務機関第99部隊所属、斑蝶。これより使命を実行する」
だから今は幼馴染という名の味方でもなく、裏切り者という敵でもなく完全な赤の他人としてこの刃をあいつらのために振るってやろうか。




