表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/15

第1部 開拓者達 第2章 吾妻の国 第3話 蒼海宮にて

豊城入彦命は、宮殿の完成により手下にそれぞれの仕事を与えた。

 完成した宮殿の座敷に豊城入彦命と吉備玉津、多真木、物部勝耶、毛野荒刀が集まった。

「物部勝耶 ご苦労であった これから この蒼海宮を中心にして 政を始める」

 その時、集まった四人がいっせいにおたけびが上がった。

「さて この地に水田施設を構築するので 吉備玉津を中心に掛かって欲しい」

「了解しました」

「それで 農作業をさせる民が必要なので 物部勝耶 茅野カヤノの郷からこの地に移住させるように働きかけてくれないか」

 茅野の郷(群馬県北群馬郡榛東村長岡)は縄文時代後期から晩期にかけて、縄文人の集落があったところで、榛名山ハルナサンの麓にある郷でした。豊城入彦命一行が日高の郷にやって来た頃も茅野の郷では、縄文人の末裔が狩猟採取の生活を送っていた。その人達は、物部の配下になり、部民制により、物部姓となります。

「多真木には安曽アソの郷に行って貰いたい この宮殿や日高の郷の治安を務める兵が必要なので」

「安曽の郷には多一族がいると聞いています」

「そうだ 警備を多一族にお願いしようと思う」

 安曽の郷は長野県上田市古安曽辺りで、その隣町の長野県上田市下之郷に生島足島神社があります。その神社では生國魂神イククニタマノカミ(生島神)と咲國魂神サキクニタマノカミ(足島神)を祀っています。この神は、出雲から諏訪湖に向かった建御名方神がこの上田市下之郷に立ち寄り、地主神として生島神と足島神をこの地に祀ったとされています。また、『日本書紀』巻第三「神武天皇紀」によると神武天皇の子、神八井耳命カンヤイミミノミコトの子孫、多一族が纏向の郷の地主神、生島神と足島神をこの上田市下之郷まで持ち出したという逸話があります。そのような話から、唐古の郷にいる多井耳との同族の多一族が安曽の郷に滞在していることを豊城入彦命は知っていました。四道将軍の大彦命が北陸道に遠征したときに多一族も同行したようです。その一部が安曽の郷に永住しました。同じ一族の多真木を科野国(信濃国)の安曽の郷に行かせることにしたのです。

 毛野荒刀は、紀の国出身で豊城入彦命とも関係が深かったこともあり、豊城入彦命も信頼が深かった。それで、毛野荒刀には新開地の開拓を依頼した。

「毛野荒刀には この川を下って新しい土地を探して欲しい」

「新しい土地とは」

「以前から物部一族が住み着いているとされる筑波山の麓に」

「その物部一族を味方に付けるのですか」

「纏向の郷で ミカドに従事していた物部伊香色雄命モノノベノイカガシコオノミコトもその地方の出身だと聞く」

 筑波山の麓、茨城県つくば市筑波一番地にある筑波山神社の創建は不明ですが、祭神が伊邪那岐と伊邪那美となっています。そして、『古事記』の国生みの神話でこの地を伊邪那岐と伊邪那美が最初にまぼろしの島、オノゴロ島であると社伝に記載されています。このことはさて置き、この筑波地域にヤマト王権が進出して、天孫族の信仰を進めたことは確かです。ヤマト王権が進出した証拠に、その当時はこの筑波地域を紀の国と。このことは、『常陸国風土記』に記載されています。それが、豊城入彦命が吾妻の国に進出して、毛野国となり、筑波にも進出していきました。そして、大化の改新時代に、蒼海宮を中心にした地域を上毛野国と表示し、筑波一帯を下毛野国に。そして、律令制が引かれた時代に上野国と下野国に。現在で言うと群馬県と茨城県です。

 豊城入彦命は、蒼海宮を中心にした地で吉備玉津と物部勝耶を残し、兵力アップのために信濃の国に多真木を、新天地に毛野荒刀を派遣しました。


豊城入彦命が描いた国づくりが進んでいき、毛野国がヤマト王権の支配下になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ