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第1部 開拓者達 第2章 吾妻の国 第2話 国づくり

豊城入彦命達が理想の郷を見つけた。そして、国づくりを始める。

 豊城入彦命一行は、これから開拓する日高の郷(群馬県高崎市日高町)を眺めていた。

「この土地は 我らにとって稲の収穫に適しているとは思わないか」

 その時、吉備玉津が答えました。

「確かに 稲を育てるには適しているかも知れません すでに 稲作が行われているようです」

 縄文時代前期に起こった縄文海進により、東京湾はさいたま市全域とその周辺までkai海水が北上しました。それが縄文時代晩期には、利根川・荒川・江戸川から流れてくる土砂で、デルタ地帯を作りながら、関東平野が形成されていきます。縄文時代、日高の郷は縄文人が狩猟採取によって生活をしていたが、弥生時代中期前半には水田による稲作が始まったようです。稲作をもたらしたのは、東海地方の人達で、海上から或いは中山道経由で。しかし、紀元前後に起きた浅間山の噴火で、水田は全滅してしまいます。その後、弥生時代後期には水田を普及し、稲作ができる土地となりました。そんな土地に目を付けたのがヤマト王権から派遣された豊城入彦命でした。この地でヤマト王権が進めている戸口制度(注14)を実施できるとひらめいたのです。

「あそこに 煙が上がっている 集落があると思う あの集落に寄ってみよう」と豊城入彦命がつぶやいた。

 その集落は、榛名山の麓に広がる扇状地帯の高地にありました。その付近に行くと、緩やかな勾配に水田が設置され、勾配を考えて小規模の棚田を設け、田んぼから水が漏れないように土や廃木を使って畦を設けてありました。

 豊城入彦命達がこの田園風景を眺めていると、毛野荒刀が。

「あの川(利根川の上流)を渡ってみましょう ここよりも広大な土地が広がっています」

 毛野荒刀が示したのは、赤城山の麓から広がる扇状地帯でした。豊城入彦命が支配するには都合のよい土地だったのです。赤城山は、奈良時代までは久路保のクロホノネと言われ、『万葉集』十四巻に 「上つ毛野(かみつけの)久路保(くろほ)()ろの、葛葉(くずは)がた、(かな)しけ子らに、いや(ざか)り来も」と書かれています。平安時代になって、赤城山と言われるようになりました。それは、その当時、上毛野氏がこの地域を支配していて、上毛野氏の祖先(豊城入彦命とされています)が紀の国出身であったため、豊城入彦命が赤城山に登ったとき、「善き哉これ吾が城なり」と言ったと言われ、「豊=赤」となり、「紀=城」の美称で、赤城山と名付けられたようです。また、赤城山に赤城神社があり、そこの主祭神は赤城大明神ですが、豊城入彦命も祀られています。

 豊城入彦命一行は、赤城山を目印に利根川付近まで来ました。そして、豊城入彦命は。

「川を渡る前に この辺りで生活できるように住まいをたてましょう」

 豊城入彦命が示した場所は、後に律令制が牽かれた頃に上野国の国司が常駐する場所でした。江戸時代には上州と言われ、その場所に豊城入彦命が上野総社神社(群馬県前橋市元総社町)を建立し、経津主神を祀ったと言われています。

「物部勝耶 この地で住めるように段取りしてくれないか」

「早速 掛かります」

 物部勝耶は、豊城入彦命一行が住もうとする竪穴式住居と豊城入彦命の屋敷を建てるため、日高の郷に住み着いた人達を集めた。日高の郷では、縄文時代晩期に浅間山が噴火して、それまで住んでいた縄文人の集落が全滅。その後、弥生時代前期には利根川に沿って東北の縄文人が赤城山の麓から利根川を渡って、この日高の郷に移動してきた。その頃は東京方面ではデルタ地帯が多く、狩猟採取の生活で生活をしていました。弥生時代中期になると浅間山の麓から烏川に沿って、信濃の縄文系の人達も移動してきます。その時に、稲を持ち込み、デルタ地帯に植えました。日高の郷には東から西から移動してきた人達が集落を形成し、共同生活を始めました。弥生時代後期になり、今までデルタ地帯であった日高の郷の南側が平野となり、水田を設置して稲作が出来る状態に。そこで、畿内や東海から水田による稲作が出来る技術を持って人達が移住してきます。物部勝耶は畿内や東海から移動してきた人達を豊城入彦命の手下にすることにしました。

 物部勝耶が中心になって、群馬県前橋市元総社町に宮殿、蒼海宮オウミグウ(注15)が完成しました。この宮殿の地は大化の改新に上毛野国の国司が置かれた国府に。奈良時代に、この地域名が上毛野国から上野国となりました。当初の国司は、皇族の親王級が就任したようです。それだけ、大和朝廷が支配した国、六十八カ国の中で上毛野国の国力は上位を占めていました。


注14: 古代の戸籍制度の一つで、ヤマト王権が進めたのは直轄領の一部でした。本格的には大化の改新により、中国から渡ってきた戸籍制度を取り入れてからです。

注15: 蒼海宮は架空の宮殿ですが、元総社蒼海遺跡群に存在していたと仮定しました。


宮殿の建築が始まった。

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