第1部 開拓者達 第3章 信濃編 第1話 融和
神話の話を含めて、多真木が安曽の郷に出発します。
蒼海宮で豊城入彦命から日高の郷を固めるため、安曽の郷に派遣された多真木は早速信濃に向かって出発しました。何故、安曽の郷にヤマト王権から派遣された人達が滞在していたのだろうか。その辺りから物語が始まります。神話からの資料になりますが、『古事記』に伊邪那岐が素戔嗚命に海原を支配するように命じたが、素戔嗚は母親の伊邪那美がいる根の国(出雲)へ行きたいと駄々をこねて大暴れしたので、伊邪那岐は素戔嗚命を天地から追放しました。その時、姉の天照大御神に会って根の国に行く思いを伝えた時に、天照大御神は素戔嗚命が我が国を奪いに来たと思って、髪のみずらから武器をとりだした。しかし、素戔嗚命はそのようなことをしないと誓って、三柱の女神と五柱の男神を産みました。この三柱の女神と五柱の男神の中で、天菩比神という神がいます。この神は、天照大御神の指示で葦原中国平定のために高天原から出雲に派遣され、大国主命の元に。それが三年経っても高天原に帰らず、地上に留まりました。これは神話ですが、ヤマト王権が吾妻の国に派遣された話と重ね合わせると、豊城入彦命が吾妻の国に派遣された頃、信濃の国には大国主命を崇拝する出雲から進出してきた人達がいました。元々、この地域、特に諏訪湖周辺には縄文時代中期から縄文人(注16)が生活していました。諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市中洲宮山1)では、大国主命の子、建御名方命が主祭神になっていますが、縄文時代からの信仰、御左口神という狩猟神、山の神だと言われています。そこに出雲から進出してきた人達が諏訪湖の北側からやってきて、大国主命を祀るようになりました。この中心が諏訪大社下社春宮(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)或いは秋宮あたりでした。神話では天菩比神と一括して示されていますが、ヤマト王権から派遣された人達だと考えると後続ではありますがこの信濃の国に住み着き、大国主命を崇める人達と関わってきます。そのヤマト王権から諏訪湖に派遣された人達が途中の長野県上田市下之郷辺りに滞在して、生島神(注17)と足島神(注18)を祀ったと考えられ、後に生島足島神社が建てられました。そんな地に多真木は蒼海宮から戦える兵士、夷守を募りにやって来ます。
神話に戻りますが、天菩比神が高天原に戻って来ないので、その後、天若日子を出雲に派遣しました。しかし、この神も八年経っても高天原に戻らなかった。この神が主祭しているのは、岐阜県美濃市大矢田の天王山祖霊神社とか愛知県愛知郡愛荘町安孫子の安孫子神社や滋賀県犬上郡豊郷町高野瀬の天稚彦神社などがあります。豊城入彦命の時代を置き換えるとヤマト王権から派遣された人達は、近江の国や美濃の国などで永住したようです。その後、高天原から派遣されたのが、諏訪湖にいた建御名方命と交渉した建御雷神でした。この神によって、国譲りが行われます。神話での高天原をヤマト王権と仮定した時、ヤマト王権から派遣された人達と美濃の国や信濃の国に進出してきた出雲の人達が戦いもあったかと思われますが、元々は美濃の国も信濃の国も縄文人が生活していた土地でした。そこに、新興の出雲勢力とヤマト王権勢が新天地をもとめてやって来たと思います。それで、地元の縄文人と出雲、ヤマト王権勢が最終的に融和していきました。
注16:縄文時代前期から中期にかけて、気候が温暖化で、東北地方にいた縄文人も人口が増加し、クリやドングリの堅果類を求めて、中部地方に移動してきた。
注17:生島神は生きとし生けるもの万物に生命力を与える神で、生国魂大神とも言われています。伊邪那岐命と伊邪那美命の子で大八州の御霊。
注18:足島神は生きとし生けるもの万物に満足を与える神で、咲国魂大神ともいわれています。伊邪那岐命と伊邪那美命の子で大八州の御霊。
多真木とヤマト王権から派遣された人達の出会いが。




