6.次の季節へ(1)
大陸暦312年
6月
うつろう日々に
「っあー! 仕事が、多い!」
「王城の仕事こっちに持ち込みたいですね。遠くはないとはいえ、移動してる暇がない」
「ぼやかないぼやかない。ここ入れてる魔道具、立入制限と防音だけだからね」
発言は順番に、オルフ、ミュラー、ヴァルディエ。学園で借りた部屋はすっかり書類で溢れかえっている。
「あ、あああ、あのっ」
ノックに気付いてもらえなくて、縮れ毛のカリュヘッサフォレンド教授が入口で声を張り上げる。ヴァルディエが立ち上がって出迎えた。
「コーヒー、いかがですか」
「なんと」
近年貴族には好まれるようになってきたが、まだ充分珍しい嗜好品だ。香りだけでかなり良いものだと分かる。
「正直大変ありがたいですが、よろしいのですか」
「というか代行さんがわざわざ持ってきてくれたんです?」
「あー、その、えっと、その」
「どうぞお入りください」
ワゴンごと中に入る。
わいわいと政務官たちは目を輝かせ、大ぶりのポットからゴブレットへ蕎麦蜜色の黒い液体を注ぎ分ける。砕いた砂糖棒まで添えられていて、遠慮なくざらざら椀へ入れた。
「そのですね、まず、ひとつめに、コーヒーは差し入れで、た、タウゼント侯爵家から、です」
ぐふっ、とオルフが危険な音を口内で立てる。
「……タウゼント侯爵家が?」
「侯爵夫人の遣いの方がお見えになって、迷惑料だと寄付をいただき、き、恐悦至極で」
「先手を取られた」
「いや、王家は王家で対策してるはずだから」
「王室のことまでは考えるのやめましょう。僕らは王宮ではなく王城の役人です」
「お、王室からは、対応間違えたら来年の寄付額が減るのは分かってるだろうな的な脅しが来たんです。どど、どうしたらいいか、教えてほしくて」
「あー、それは、お察しします」
「こっちでリジット以外に関係した生徒たちはほぼ洗い出しできてますので、そこを厳しく処罰すれば初期対応は大丈夫だと思います」
「学園人事は刷新して、学生の風紀の維持や、留年に関するルールを手入れしないといけないでしょうね」
「あ、その、人事……」
「いやそこらへんまで行くと代行さんのお仕事じゃないですよね」
「学園長は上から送り込まれると思います。副学園長はその方が選ぶとして、実務面の旗振りはその方か教頭の方になる感じでしょうか。ここまで来たら私たちもお手伝いしますので」
「あの、ふたつめ、の、お話で」
「はい?」
「自分、副学園長代理補佐代行から、副学園長代理になりました」
沈黙した室内にただただコーヒーが香り高い。
「うわぁ」
呟きひとつ。
「二階級特進だ」
+ + +
「アルジェンヌ」
「お義母様?」
「やっぱり。まだ起きていたのね。忙しいのは分かるけれど仕事のしすぎも良くないわ」
お肌に悪いわよと笑って、夜着の上に暖かそうなガウンを羽織ったルーシャ夫人は室内に入る。夜間の先導のために魔道ランプを持ったメイドを一人と、側付きの侍女を連れていた。それらの女性三名が中まで立ち入ると、室内にいたアルジェンヌ付きのメイドがゆっくりと音がしないように扉を閉めた。
「ねえ、意見を聞いていいかしら。こちらへおいでなさい」
娘が書き物机の上に広げている大量の資料を横目に見つつ、継母は勝手に応接用のソファに腰掛け、軽く手を持ち上げて侍女から持参した紙束を受け取ると紙面をめくった。
アルジェンヌは少し笑ってデスクを立ち、夫人が呼ぶ方へ歩み寄る。
「これは……
ペンのデザイン案ですの?
どれもタウゼントの紋章がよく目立ちますわね」
「気付いてくれて嬉しいわ。レシェナさんに何かうちの紋の入った小物を差し上げたくって、色々描かせてみたのよ。これなら学園で持っていても良いでしょう?」
「まあ」
アルジェンヌは目を丸くする。
「よろしいんですの」
「ええ。複雑に考えすぎていたことを反省したの。私の娘があなたで、あなたの妹がレシェナさんで、二人ともタウゼントの大切な子なのは事実だもの。私たちがレシェナさんの盾になってはいけないなんて誰も言いはしないわ。派閥がどうこう仰る方がいれば、その時になってからお一人ずつに話をすればいいのよ」
「お義母様」
感極まってアルジェンヌは唇を震わせる。
ルーシャ夫人は微笑み、隣に座らない?と砕けた言葉遣いで告げながらソファの座面を示した。
椅子を回り込んで言われた通りの位置に腰を下ろすと、アルジェンヌは感謝を込めて継母の手をそっと握る。
「ありがとう存じます、お義母様」
「どういたしまして」
「でも、どうか過度な責任は感じないでください。レシェナにはレシェナの戦いがあり、あの子も戦っていたのです」
「分かっているわ。過去の負い目ではなくこれからの話だけ考えるつもりよ。レシェナさん、留学も休学もしないと言ったのでしょう? 週明けには学園に戻ると」
「はい。ここから数日通わせて、その後は寮に戻します」
「たくましいわ。居心地が悪くなってしまった場所なら、一度遠くで時間を置いても構わないでしょうに」
「少しだけ距離は開いてしまったけれど、お友達に悪い気持ちはないそうです。嫌な気持ちを残さず、自分にとって好きな人たち、楽しい場所に戻してから学園を出たいと。あの愚かな男のせいで全てを手放してやるのは癪に障るそうです」
「ま」
ほほほ、と貴婦人の笑い声。
「強いのね」
「わたくしの妹ですもの」
アルジェンヌはにっこりする。
「そう、そうね。だから戦場に戻るレシェナさんにお守りをあげたいの。この屋敷にもいつでも来ていいのだと伝えておきましょうね。ああ、やはり、ペンだけではなくペンダントとか、通行証のように出せるものも用意した方がいいかしら」
「折りたためる小さな鏡なんてどうでしょうか」
「あら、素敵ね。でも侍女がいつもいるわけではないから邪魔にならないこと?」
「下位貴族の子女は、自分でもある程度の荷物を持つことがありますわ。学生ならなおのことです。手提げ鞄そのものにあまり目立たないように刻印を入れてしまうのも有りかもしれませんわね」
「まあ、鞄? 考えたこともなかったわ」
「わたくし将来的にはご婦人の間に鞄を流行らせたいわ。隠しや腰下げのポーチに多少物が入っても、何もかも人に持たせておくのはまどろっこしいのですもの」
「アルジェンヌ。またお前はそんなことを言って」
笑い合いながら、母娘はその晩、贈り物のアイデアを少々行き過ぎなほどに出し合った。
喉の渇きを覚える頃にはメイドが暖かいハーブティーに蜂蜜を入れて二人の前に置き、その白く立ち昇る湯気の中、彼女らは議論を白熱させてゆき、美容に悪い夜更かしをとっぷりと堪能した。
+ + +
「トールス・リジット技官」
「は」
呼びかけられて振り向き、ぴしりと背筋を伸ばす。
いつかの老人と書記官のタグを胸元に付けた男が並んでいた。
「今日もちょっといいかな。君の上司には連絡しておくんで」
「…………はい」
「連日でごめんねぇ」
外務局の執務室へと連行されていく。
廊下を歩くだけで視線が痛い。
「いえ、その、父が……あれですので」
「体調不良だとか」
「は、その、はい」
「お父上もですが、兄君は体調を崩されていないですか」
「兄……、デンダールでよろしいでしょうか」
「そうです」
「彼はサジェード書記官。アルジェンヌ様たちとの会談に同席してくれた一人なんだ」
「それは」
お世話になっていますと言うのもおかしくて、トールスは言葉を探す。
「ご迷惑、おかけしています」
「リジット家とはまだ相談させてもらわないといけないことが多いと思います。実務面は、可能ならデンダール・リジット伯爵次期当主と調整できるとありがたいのですが」
「あー」
なんかすいません、という気持ちでトールスは曖昧に笑う。親父の逃げ癖はすっかり国の高官たちに見抜かれてしまっているらしい。
「兄に伝えます」
「ご登城の手続きはこちらでやっておきます」
部屋に到着して、大きめの円卓に座らされる。
サジェードが手ずから飲み物を汲んでトールスにも渡してくれた。
木のコップに入った常温の薬草茶。
頼んでおくと食堂でやかん単位で出してもらえる王城勤務者には馴染みの深い飲み物だ。気分転換と眠気覚ましになる。
「君も、大変でしょう」
何がと言うわけでもなく、脈絡すらなく急にしみじみと言われて、ぐっと喉が詰まる。
ここしばらく様子を見られている気配の強かった職場は、侯爵家への謝罪訪問の翌日から明らかにトールスに対して空気が冷たくなった。王宮雀たちは迅速にさえずりを開始し、アルジェンヌとレシェナが実の姉妹であることやリジット伯爵家が大きなやらかしをしたことを広め始めていた。
「いいえ」
トールスは呟いた。
いいえ、ともう一度言って、頭を下げる。
「ネキア男爵令嬢は、ずっとお辛かったと思います」
少しの間、高官たちはそれを黙って見つめていて、否定も肯定もしなかった。ペリアン老人が静かに告げる。
「その気持ちを、忘れないようにね」
薬草茶の癖のある匂いが舌の上に残っていた。
次回、蛮族姉妹(主に妹)と王子様のエンディング。




