呼吸の残る場所
翌日。
ヒナタは、
スタジオの隅でスマートフォンを見ていた。
昨夜、
書いては消してを繰り返した文面は、
今は短く整っている。
「進めます。
制作は三人で行います。
クレジット、制作体制については、
事前に確認をお願いします」
送信。
画面を伏せる。
ハヤテが、
ドラムのヘッドを軽く叩いた。
「返した?」
「うん」
通知は、すぐに来た。
「了解しました。条件、問題ありません。
詳細、追って共有します」
ヒナタは、
小さく息を吐く。
続けて、別の通知。
リンク。仮編集の映像。
再生。
数秒のイントロのあと、
画面が切り替わる。
数字が静かに並んでいる。
再生数、保存数、コメント。
どれも悪くない。
むしろ、早い。
「来てるな」
ハヤテが言う。
コウタも、画面を覗いた。
「……伸び方、
想定より上だ」
喜びは、少し遅れて来る。
先に来たのは、段取りだった。
追加の確認。
取材の打診。
時間の調整。
数字が、動かす。
ヒナタは、画面を閉じる。
「じゃあ、今日の音、
このテンポで詰めよう」
コウタが頷く。
「サビ前、さっきの削りで」
ハヤテが笑う。
「跳ねる余白、残そうぜ」
クリック。
音が入る。
外は速い。中は、揃っている。
その差が、今は、心地よかった。
毎日、
朝からスタジオに来て、
音を出して、必要なところだけ詰める。
深追いはしない。
締切。
修正。
確認。
判断が必要なところだけ、
三人で集まった。
ハヤテが声をかける。
「次、どこまで行けそう?」
ヒナタは、
即答しなかった。
けれど、
迷ってもいない。
「……一歩先」
コウタが、
少し笑う。
「ちょうどいいな」
三人は、
また位置につく。
大きくは変わっていない。
けれど、
戻ってもいない。
時間だけが、
確実に前へ進んでいく。
夜。
スタジオには、
暖房の音だけが残っていた。
紙が増えていく。
時間が削られていく。
連絡は、途切れない。
ソファに腰を下ろしたコウタが、
先に限界を迎える。
閉じたPCを膝に置いたまま、
背もたれに頭を預ける。
「……データ、保存したよな」
独り言みたいに呟いて、
もう画面は見ない。
「ちょっとだけ休む」
数秒後、
呼吸が一定になる。
「……早」
ハヤテが小さく言う。
「今日はずっと張ってたからな」
ヒナタはそう返して、
ペットボトルの蓋を閉めた。
そのまま床に座り、
壁にもたれる。
「んじゃ、一旦休憩」
それ以上は、動かない。
ハヤテが声をかける。
「……おい」
返事はない。
本当は、
もう一曲確認するつもりだった。
話したいことも、
少しあった。
けれど、
背中を預けた瞬間、
力が抜ける。
瞬きが、
少し長くなる。
次に息を吸ったとき、
ヒナタの頭は、
わずかに前に傾いていた。
呼吸が、
深く、静かになる。
「……お前もか」
ハヤテは、
小さく笑う。
ソファではコウタが眠り、
床ではヒナタが座ったまま落ちている。
少し前なら、
笑い話にしたかもしれない。
今は、
無理をしてきた時間の方が、
先に浮かぶ。
「売れてきたってさ」
誰に聞かせるでもなく、
ハヤテは呟く。
「こういう夜も、
増えたな」
返事はない。
電気は消さない。
機材も、そのまま。
どうせ、
起きたら続きをやる。
そう思ったところで、
まぶたが重くなる。
一拍。
「……十分、
頑張ってるだろ」
スタジオには、
静かな空気だけが残っていた。




