順調
コウタが、
片付いた机の上に雑誌を一冊置いた。
光沢のある表紙に、
見慣れた三人の名前が並んでいる。
ヒナタが、一拍遅れて近づく。
何も言わず、表紙を見る。
視線は落ち着いているのに、指先だけがわずかに止まった。
「……また、増えたな」
ハヤテが、苦笑いで言う。
「今月、何本目だっけ」
「数えてない」
コウタは淡々と答えた。
全国ツアーは、すでに終わっている。
動員は想定を超え、追加公演も即日で埋まった。
プロモーションは成功し、名前は一気に広がった。
構成の中心は、相変わらずヒナタだ。
インタビューも写真も、判断の矢面も、まずヒナタに集まる。
それでも、
三人で立つステージだけは、揺れていなかった。
「順調、だよな」
ハヤテが、確認するように言う。
「たぶん」
コウタは、すぐには答えない。
ヒナタは、雑誌を閉じた。
「順調だよ」
短く言って、付け足す。
ヒナタのスマートフォンが、机の上で震えた。
通知の内容は、もう分かる。
取材の確認、制作依頼、次の企画の打診。
どれも期限付きだ。
ヒナタは画面を伏せた。
その瞬間、
ロック画面に一瞬だけ別の通知が重なる。
『今日、帰る?』
名前は表示されない。
ヒナタは、
それも見なかったことにした。
「返さなくていいの?」
ハヤテが言う。
「後で」
コウタは、少しだけ視線を落とす。
「最近さ」
言いかけて、止める。
「……いや」
「なに」
ヒナタが顔を上げた。
コウタは一度、息を整える。
「スケジュール、
俺とハヤテ、
確認する前に決まってること増えたなって」
空気が、一拍止まる。
責める調子ではない。
事実を置いただけの声だった。
ヒナタは否定しない。
「俺に来てる話だから」
「分かってる」
コウタはすぐに頷く。
「分かってるけど、
前は一回、
三人で止まってから決めてたなって思って」
ハヤテが、間に入る。
「まあ、
今はスピードも求められるしな」
「うん」
ヒナタも同意する。
正しい。
全部、正しい。
それでも、
何かだけが、少しずつ置いていかれている。
誰も声にしないまま、
その感覚だけがスタジオの隅に残った。
集合時間が微妙にずれる。
確認の連絡がヒナタ経由でまとめて来る。
三人用だったはずの共有事項が、
いつの間にか「決定事項」になっている。
誰も、止めない。
ツアーは終わった。
数字も結果も、文句はない。
忙しさは、成功の証明だった。
だから違和感は
理由を持たないまま残る。
その日も、
スタジオはいつも通りだった。
音を出して、
一度止めて、
ハヤテが水を飲む。
「そういえば」
何気なく言う。
「次の期間、
リハ、少し削れるって話だったよな」
ヒナタが、
アンプのつまみから手を離さずに答える。
「うん。
俺のほう、制作入る」
「……制作?」
コウタが聞き返す。
ヒナタは、
ようやく振り向いた。
「ああ。
タイアップ」
一拍。
「CM?」
「ドラマ主題歌」
空気が、
はっきり変わる。
ハヤテが、
思わず笑う。
「でかいな」
「話、いつ来てた?」
コウタは静かに聞いた。
「少し前」
「……三人の?」
「俺に、って言われてる」
説明は、それだけだった。
間。
コウタは視線を落とす。
「それ、
スノーフレークス名義?」
「いや。個人名」
ハヤテが、
言葉を探す。
「断る選択肢は?」
「現実的じゃない」
ヒナタは即答した。
正しい。
正解でもある。
だからこそ、
誰も反論できない。
「じゃあ」
コウタが、
ゆっくり言う。
「バンドは、
その期間、
待つってこと?」
ヒナタは少しだけ考えてから答えた。
「止めはしない。
でも、優先度は下がる」
言葉が床に落ちる。
ハヤテは何も言わない。
コウタも、すぐには返さない。
ヒナタの言葉が、
まだ空気の中に残っている。
誰も、
それ以上は口にしなかった。
片づけの手だけが動く。
ケースを閉じる音、
ケーブルを束ねる音。
いつもと同じ動作だけが続く。
ハヤテは、
無言のまま作業を終えた。
そのまま、
スタジオの外に出る。
少し遅れて、
ヒナタもドアを押した。
「ヒナタ」
振り返るハヤテと、目が合う。
「一言だけ」
「……なに」
「一人で抱えないこと」
ヒナタが目を見開く。
そして、視線を逸らした。
「……大丈夫」
それ以上、言葉は続かない。
ハヤテは何も返さず、
ただ一度だけ、頷いた。
ヒナタはスマートフォンを取り出す。
画面には、
未読通知が並んでいた。
仕事。
制作。
取材。
その一番下に、
短いメッセージだけが残っている。
『プリン買った』
ヒナタは数秒見つめて、
返信を打てないまま画面を閉じた。




