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82. 琉生の事情②


『琉生、どうした? 何かあった?』

 佐藤からのメールが届く。

 父親の病院に付き添っていることを簡単にメールで伝えると、

『朝から大変だったね』という言葉と、ホームルームの進行具合を知らせるメールが届いた。

『たぶん、今日は行けないかも』

 そう返信すると、

『なんとか来れたらいいな。待ってる』

 そう返ってきた。


 じっと座ったまま、父の点滴が落ちるのを見ていると、姉のレイが到着した。

「ごめん。琉生、1人で大変だったでしょ。ありがとう。今、先生に聞いたら、ひとまず落ち着いてるみたいだし、琉生は、今からでも学校行っといでよ」 

 そう言ってくれた。ただ、今から帰宅して制服に着替えて登校したのでは、到底間に合わない。

 琉生は、首を振った。


 姉の到着から少しして、病室の扉が開いて顔を出したのは、母だった。思っていたよりずいぶん早い。

「ごめんごめん。1人で大変な目にあわせて。運良くいいタイミングで電車に乗れて。すっごくスムーズにここまで来れたの」

 身軽に小さなショルダーバッグ一つなので、

「荷物は?」と琉生が訊くと、

「向こうの宿から、宅配便で送ってもらうことにしてね。……よかった。お父さん、ひとまず、大丈夫そうね」

 母は、父の落ち着いて眠っている様子を見てほっとした顔で、「琉生、とりあえず、ここはいいから、あなたは学校へ行きなさい」と言い、レイに、

「お姉ちゃん、車よね? 学校まで送ってあげて。今から電車だと間に合わないから」と声をかけた。

「らじゃ~。琉生、行こう!」

 レイが嬉しそうに笑った。「まかせて!」と言いたそうな表情だ。

「え。でも、僕、制服じゃないし」

「そんなのなんとでもなるって。それより早く。行こう」

 姉に腕を抱えられるようにして、琉生は立ち上がる。母が、父のスマホや保険証などの入ったバッグを琉生から受け取る。


「じゃあ……お母さん、ほんとにごめんね。行ってくるよ」

「大丈夫。いってらっしゃい!」

 母の笑顔が心強い。やっと琉生は心の緊張を解いた。



 そして今、彼は姉の車で学校に向かっている。

 想太にもメッセージを送ったが、彼は成績表をもらってすぐに仕事のために学校を出ていたらしく、クラスの状況がわかるのは、佐藤のメッセージだけだ。

 


『今は、まだ成績表返してる途中』


『2学期の締めくくりの話を担任がしてるところ』

 などと、佐藤からは随時メッセージが届く。


『今、姉の車でそっちに向かってる』琉生もメッセージを送る。

『なんとか間に合いそ?』

『たぶん』


 

 ところが、そんなやりとりをしたあとから、次第に道が混み始めた。事故か何か、よくわからないがひどく渋滞している。道が空いていれば、あと7、8分もすれば到着できそうなのに。

 

『渋滞中 やばい』琉生がメッセージを送ると、

『あきらめるな! なんとかして 早く来い』佐藤が返してくる。


 このままでは、到着する頃には彼女が帰ってしまうかもしれない。

 せっかく、ここまで来たのに。

 なんとかして、ひと目会って、ひと言でも話をしたい。伝えたい。

 あきらめかけていたところに、やっと巡ってきたチャンスなのに。

 せっかく送り出してもらったのに。


 動かない車列を見つめていた琉生は言った。

「ごめん。レイ、降りて走る。ここからなら、なんとか走れる距離だし」

「そうだね。ちょっと距離あるけど、琉生の足なら、案外早く着くかも。私もこのまま学校に向かうから、帰りは2人一緒に乗せてあげるね」

「え。なんで」

「何言ってるの、あんたが急いでる理由くらいわかってるよ」

 レイがほほ笑む。

「ありがと」

 ジャケットを脱ぎ、スマホだけをポケットに突っ込んで、琉生は車を降りた。

 

 佐藤からメッセージが届く。

『まだいるから 日直の日誌書いてる』


『今なら間に合う 大丈夫 早く来い』


 琉生は、猛然と走り始める。

 心にかけたブレーキを解除する。

 

 なんとしても、会う。

 絶対、会う。

 会いたい。


 学校で会えるのは、今日で最後だとしても、人生で最後にしないために。

 きっと会う。

 必ず会う。

 今日、会う。


 だから、待っていて。

 まだ帰らずにいて。

 どうか。

 僕にチャンスを。


 空!

 空!

 

 琉生は、走りながら、心の中で彼女の名前を呼ぶ。

 今まで、声に出しては苗字でしか呼んだことはない。


 でも、いつからだろう。

 琉生は、心の中で彼女に呼びかけるとき、時々、

『空』

 そう呼びかけていた。


『空』

 待っていて。


 ポケットの中で、スマホが鳴った。佐藤だ。

 急いで電話に出る。

「今どこだ?」

「車降りて走ってる。向こうにお団子の吉乃屋の看板が見えてる」

「OK。そこまで来たら大丈夫だ。ひとまず、オレが時間かせぐから、がんばれ」

「さんきゅ」

 


 琉生はさらにスピードを加速する。

 もうあと少し。

 下校していく生徒たちの流れとは逆に走る。

 大半の生徒は下校したあとだったので、琉生が必死に走っている姿を目撃している生徒は、それほど多くはない。

 ただ、彼らは懸命に走る琉生に少し驚いている。

 琉生があまりに一生懸命だからか、1人の男子生徒が、「ふぁいと~!」と門の近くで声をかけてくれた。

「ありがとう」

 琉生は笑顔で応える。

 門まで来たので、やっとそこまでの余裕ができたのだ。

 

 琉生が下足室で靴を履き替えていると、

「よかった。無事間に合ったな。……じゃ、オレは帰るわ」

 佐藤が声をかけてきた。

「オレは、もうちゃんと挨拶はしてきたから。バトンタッチ」そう言って、彼はくしゃっと笑って、グーにした手を差し出した。

「ありがとう」

 琉生は、佐藤とグータッチを交わして、教室に向かった。







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