81. 琉生の事情①
「お父さ~ん、朝ご飯、できたよ。」
琉生は、キッチンから父に声をかける。
今朝は、母も姉もいない。母は友人たちと伊豆へ旅行中で、今日の昼頃には帰ってくる予定だ。
姉のレイは、昨日でライブツアーが終わり、打ち上げのあと、そのままライブ会場近くのホテルに泊まっている。何時かはわからないけど、今日中には帰ってくるだろう。
だから今朝は、琉生が父と自分、2人分の朝食を用意した。
和食好きな父親のために、魚を焼いて、味噌汁も作った。ご飯は昨夜のうちに米をといでタイマーをセットしてあったので、ちょうどいい具合に炊けている。母の漬けた漬け物を小皿に取り分け、だし巻き卵のかわりに、目玉焼きを焼いた。(だし巻きはまだちょっと苦手だ)
食卓の用意が整って、琉生は、
「お父さ~ん、朝ご飯、できたよ。」
琉生は、キッチンから父に声をかけた。
しばらく待っても、父の返事がない。
いつもなら、すぐに起きてくるはずの父の返事がない。
イヤな予感がして、琉生は両親の寝室に向かう。
ドアを開けると、クローゼットの前で、父が呻きながら腰を押さえて動けなくなっている。
「どうしたの? 痛むの? 腰?」
父が顔をゆがめて押さえている場所は、腰から脇腹の辺りだ。
「いつから?」
「昨夜から、なんか……腰がだるいような……気が……そしたら、さっきから、急に……」
痛みを堪えながら途切れ途切れに父が言うのを聞いて、琉生はポケットから取り出したスマホで、救急に連絡を入れた。
痛む場所から予想すると、おそらく尿管結石ではないか。父は以前にも、同じような状況で救急のお世話になったことがある。
だから、琉生はそれほどうろたえてはいない、つもりだ。
ただ、いつもなら家にいる他の家族が誰もいない。今対処できるのは自分しかいないと思うと正直心細くもある。
そして、琉生が気になっていることがもう一つ――。
(困ったな……)
小さくつぶやいて、彼は彼女の顔を思い浮かべる。
(もう会えないのか……今日が最後なのに……)
救急車を待っている間、痛みのせいで動けない父に温かい毛布を掛け、母と姉、父のマネージャーの吉川さんにも連絡を入れる。
母と姉は今すぐ帰ると言い、吉川さんもすぐにこちらに向かうと言ってくれた。
母は伊豆だから少し時間がかかるだろうけど、姉は埼玉からなので母より早く帰ってこれるだろう。
連絡がついて、ちょっとホッとする。
琉生は、さらに父のクローゼットから暖かい上着を取り出して手元に置く。救急車の中で寒かったら着せてあげよう。そのあと、制服を着ようか一瞬迷ったが、今日はもう無理そうだと思ってやめ、普段着のシャツの上に、厚手のジャケットを羽織る。引き出しから出した父の保険証やお薬手帳やスマホなどを小さめのショルダーバッグにまとめる。
やがて、救急車のサイレンの音が遠くに聞こえてきたので、琉生は自宅の前に出て待つことにする。
早朝なので、近くまで来るとサイレンの音を鳴らさず、静かに救急車は琉生の自宅の前で止まった。
駆け寄って、「ありがとうございます。こちらです。結石じゃないかと思うんですが、腰の辺りから脇腹にかけて痛みがひどくて、自分では動けない状態です」
そう伝えると、救急隊の人たちは素早く担架を用意して、琉生のあとをついて家の中に入ってきた。
そして、父と琉生を励ますように「大丈夫ですよ」と声をかけながら、父を担架で救急車まで運んでくれた。
車内でいろいろな質問に答えるとき、かかりつけの病院はともかく、父の既往歴などは琉生の記憶は曖昧で、痛みに呻きながらも、父自身が答えた。琉生は、自分が少し情けないと思ってしまった。
それでも幸い、かかりつけの病院で受け入れてくれることになり、救急車が走り出したときは、琉生はほっとため息をついた。
病院での診断は琉生の予想通り尿管結石で、父親は点滴を受けながら状態が落ち着くまでそのまま入院することになり、母と姉、そして吉川さんに診断と病室の部屋番号をメールで伝えた。
病室の父のベッドサイドの椅子に座り、様子を見ていると、次第に痛みがおさまってきたのか父親はうとうとし始めた。
そこへ、吉川さんがやって来た。
「琉生くん。大変だったね。今日、学校あるでしょう? お父さんには、僕がついてるから、いっといでよ」
そう言ってくれた。
一瞬心が揺れる。でも、そういうわけにもいかないと、すぐに思い直し、
「ありがとう。吉川さん。でも、やっぱり心配なんでここにいます。それより、今日父は、仕事の方は大丈夫なんでしょうか」
心配になって訊く。
「大丈夫だよ。今日は、というか、今日から1週間はオフだから。さ来週には舞台の稽古が始まるけどね、まだ今は大丈夫だから、安心して。ゆっくりさせてあげて」
「よかった……」
吉川さんの答えに安堵する。
父もなかなかにハードな日々を過ごしているのだなと思う。
心配と安堵が心を行ったり来たりして、それだけでくたびれてしまう。
しばらくして、父の容態が落ち着いているのをみて、吉川さんは「とりあえず、僕は事務所に出勤するけど、何かあったら連絡して。すぐ来るからね」と言った。そして、一度病室を出ると、またすぐ戻ってきて、
「朝から1人で大変だったね。ちょっとこれ飲んでひと息ついて」と琉生に、ペットボトルに入ったミルクティーを手渡してくれた。
お礼を言って受け取ったボトルはほかほかと温かくて、フタを開けて一口含むと、緊張していた心がゆっくりと解けてゆく。
やれやれ……。
琉生は長いため息をついた。
腕時計を見ると、いつもならすでに登校しているはずの時間だった。
今日は終業式だから、早く終わってしまう。
(もう……間に合わないな……)
ポツリと、心の中でつぶやく。
あきらめるしかないな。
こんなときに、自分のワガママで動くわけにはいかないし。
琉生は会いたい気持ちに、静かにブレーキをかける。




