79. このままずっと
一歩。
また一歩。
彼女が琉生に向かって近づいてくる。
こちらから走って行って抱きしめて、好きだと言ってしまいたい。
琉生はそんな気持ちを必死で抑える。
今、琉生たちは、グラウンドにいる。
『人間将棋』の真っ最中だ。
琉生たちは、将棋の駒だ。
視聴覚室を出たあと、オリエンテーリングで一緒に回ったメンバー+たまたま菱川と一緒にいた想太も合流して、9人。9人で連れ立って歩くと、すれ違う子たちがみんな振り向いていく。
「ちょっと大所帯かな?」とつぶやく菱川に、佐藤は「多いほどいい」と言う。
そして、集まったみんなを誘ったのが、『人間将棋』だった。
「将棋やったことない」「駒の動かし方がわからない」
はじめは戸惑っていたみんなも、駒になって指示通り動けばいいと聞き、安心して参加を決めた。
佐藤は、いつも何かしらの校内行事の実行委員を引き受けているので、他学年の生徒にも顔が広い。それで、2年の先輩から急遽、人集めを頼まれたという。
グラウンドには、白のラインカーで引かれた、巨大な将棋盤のマス目がある。盤の両サイドに、審判台かプールの監視台のような背の高い椅子が設置されており、対戦者はそれぞれその椅子に座って、盤上を見渡せるようになっている。
盤のそばで、大きな厚紙を体の前と後にぶら下げた生徒たちがうろうろしている。彼らは頭にも同じように前後どちらから見てもわかるように、駒の文字が書かれた厚紙をかぶっている。
2年のクラス企画のようで、佐藤や琉生たちの姿を見ると、先輩たちは喜んだ。
「ありがとう~」「助かる~」
「ほんとはクラス全員で駒になる予定だったんだけど、舞台と視聴覚室のライブがアンコールで長引いて、そっちに出演してる子たちが間に合わなくて。駒になる人が足りなくなったんだ」
そう言って、ホッとした顔になり、
「ありがとう! 今ならお好きな駒を自由に選んでいいよ」と言ってくれた。
そうは言われても、みんなすぐには決めかねている。すると、
「どれでもいいの? じゃあさ、オレ、飛車がいい。縦横に何マスでも好きなだけ動けるんちゃうかった?」
嬉しそうに想太が名乗りを上げる。
想太らしい。いつも、場が盛り上がる方向へ、動きやすい空気をつくりだす。
そのおかげでみんなも動き出す。立て看板に書いてある駒の動かし方の説明を読んで、それぞれに希望の駒を言う。そして、駒の名前がついた厚紙を受け取る。書かれている文字は、なかなかに迫力も味もあって、すごくいい。
書道部の協力によるものだと説明される。
琉生は、『残り福』でいいなと思い、みんなが選ぶのを眺めていた。
空は、歩兵を選んでいる。地道に前に1マスずつ進むという駒だ。なんだか彼女らしくもある。
彼女が受け取った厚紙に書かれた『歩兵』の文字がよかった。コロンとしてどこか愛嬌もあり、まじめに一歩ずつ進むぞという意志も感じられるような字で、魅力がある。
いや。もしかして、彼女が選んだから、そう思えてしまうのか。
しっかりしろ。琉生。
このところ、少し浮き足立っている?
というか……彼女への想いが日増しに強くなっているような。
琉生自身は、最後に残った『王将』と書かれた厚紙を受け取った。
その文字は、いかにも王らしい、ダイナミックで力強い書体で、将の字のハネにすごい迫力がある。
「じゃあ、みんな用意はいいね?」
全員配置についたのをみて、主催の2年生の声がかかる。
「お~!!」みんな、鬨の声を上げるように、大きな声で応じる。
『人間将棋』で対戦するのは、3年生の将棋部の部長と、将棋好きで知られる、校長先生だ。
本日のメインイベントの一つで、校長先生の応援のためか先生たちの姿も見える。
そして、琉生たち人間駒は、マイクを通して聞こえる指示に合わせて動く。
桂馬を選んだ佐藤は、嬉しそうにマスの中で、跳ねている。早くも馬になったつもりなのか。
周りを見ると、次第に大勢の人が集まってきていた。
琉生は、校長先生側の陣の王将だ。
空は、将棋部の部長の陣の歩兵だ。
敵陣に見える空は、真剣な顔で真っ直ぐ『王将』つまり琉生の方を見つめている、気がする。
見渡すと、駒たちはそれぞれ自分が勝負するみたいにちょっと緊張した面持ちでマスの中に立っている。
勝負が始まり、やがて、空の『歩兵』が一歩進む。
一歩分だけ、琉生に近づいてくる。
ふと目が合う。
一生懸命な彼女の眼差しが愛しくて、琉生は目元をやわらげてほほ笑む。
真っ直ぐに自分に向かって近づいてくる彼女。
もうすぐ会えなくなる、その笑顔。
当たり前のように、朝の教室で、部室で、琉生に向けられた、笑顔。
一歩。
また一歩。
彼女が琉生に向かって近づいてくる。
こちらから走って行って抱きしめて、好きだと言ってしまいたい。
一瞬、そんな気持ちになる。
それをこらえて、琉生は前を向く。彼女に向かってほほ笑む。
時間が経過していき、けっこう、勝負は白熱しているらしいのが、観客の気配でわかる。
けれど、琉生には勝負の行方は関係ない。
ただ、こうして、彼女の姿を見つめていられればよかった。
また、彼女に移動の声がかかる。
一歩。
また一歩。
少しずつ、近づいてくる。
このまま進んですぐそばまで来てくれたらな、そう思ったときに、校長先生が相手方の『歩兵』を手に入れ、彼女はこちらの陣の持ち駒置き場に移動した。
グラウンドは、『人間将棋』を見ようと、さっきよりさらに生徒の数が増えているようだ。
勝負は大いに盛り上がり、最終的には将棋部の部長の勝ちとなり、校長先生は来年の雪辱を誓った。
勝敗はともかく、観客も含めみんなが楽しんで企画は大成功で、主催した2年生も、それに協力した将棋部と書道部の部員たちも、嬉しそうだ。
琉生たちは、参加賞として記念の栞とペットボトルのお茶をもらった。
もらった栞には、自分の身に着けた駒の字が書かれている。
通常の栞より少し幅広めの和紙に将棋の駒の名前が書かれていて、それをラミネートしてある。
シンプルだけど、なかなかいい。
栞の文字も身につけた厚紙と同じ書体ですごく魅力的だ。もらったみんなも喜んでいる。
空も、嬉しそうに自分の栞をじっと見つめていた。琉生も自分の栞に目をやる。
そして、あることを思いついた。
「どうした?」
佐藤に話しかけられて、
「ん? いや、何でもない」
琉生はふふと笑った。
「みんなありがとう。お疲れ様」
佐藤の言葉に、みんなが口々に感想やお礼を言った。
「いや、何か知らんけど、ワクワクしてすごく楽しかったよ」「自分にいつ声がかかるのかなって、ドキドキしたし」「将棋するのも、駒になるのも初めてで面白かった」「誘ってくれてありがとう」
琉生としても、本当に思いがけず楽しい時間だった。
なんなら佐藤に握手を求めたいくらいだが、にっこりほほ笑むだけにとどめておく。
はじめ声をかけられたとき、不満げに「え~」と言ってしまった自分が、返す返すも悔やまれる。
(ごめん。佐藤)
琉生は心の中で謝る。
「とりあえず、ちょっと休憩しようか。中庭が空いてる」
琉生が声をかけて、みんなで中庭に移動する。
ベンチに腰を下ろすと、
「このあと、どう回る?」佐藤が言った。
「あまり時間がないから、明日も見られる展示は明日に回して、今日だけの舞台公演、見に行く?」
植田が提案する。
「いいね。ずっと立ってたから、ゆっくり座って眺められるものがいいな」菱川も言う。
たしかに、指示通り動いただけとはいえ、けっこう長時間立っていたので、みんなくたびれている。
全員賛成して、お茶を飲み終えたら体育館に移動することになった。
9人でぞろぞろ歩いて、体育館に向かう。
琉生は、さりげなく空の隣りを歩いて、声をかける。
「さっきの栞、見せてもらっていい?」
「ん? いいよ」
彼女がポケットから栞を取り出して手渡してくれる。
「字がなんかコロンとして可愛いね。いいね」
琉生がほほ笑むと、
「うん。可愛いよね。兵としてはあまり強そうじゃないけど」空も笑った。
「たしかに」琉生も笑う。
「僕の王将は、すごく迫力あるよ。ダイナミックで」
琉生は自分の『王将』を空に手渡す。
「この字もいいよね。すごく強そう。なんか凜として意志が強そうで。カッコいい」
空の言葉にうなずきながら、まるで自分が褒められたように、琉生はちょっと嬉しい。
「うん。僕もそう思う」
2人で、お互いのもらった栞を手にして、眺める。どちらの栞も魅力的だ。
空が栞を返そうとしたそのとき、琉生は思い切って言ってみた。
「このまま交換しない?……だめ?」
琉生の声が甘くなる。思いを込めてほほ笑みかける。
そう。
さっき栞を見ながら、琉生は、今日の記念に彼女と栞を交換したい、と思ったのだ。
何かしら、彼女との思い出を手元に残せるように。そして、彼女にも自分を思い出してもらえるものを残せるように。
頬を赤くした空は、うんうんと、一生懸命首を縦に振っている。
そんな姿も愛しい。
「ありがと」
そう言って、琉生は彼女にほほ笑み、
「今日の記念に、大事にするよ」そう言って、胸ポケットに『歩兵』栞をしまう。
そして、琉生はそのまま歩いていく。耳と頬が熱い。
ふと彼女が立ち止まっているのに気づき、彼は振り返って足を止める。
「行こう」
そう言って、くちびるの両端を上げ、柔らかくほほ笑みかける。
目だけなら、もう何十回何百回、琉生は想いを伝えている。
――彼女はあまり気づいていないかもしれないけど。
「うん」
空が、こっくりとうなずいた。
彼女の隣で、琉生は歩調を合わせてゆっくり歩く。
体育館はすぐ目の前だ。
琉生は願う。
このまま、ずっと2人だけで歩ければいいのに。
体育館が――宇宙の果てにあればいいのに。




