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77. 勇気



 あああ。思い出すだけで、琉生は、頭をかきむしりたくなる。

 胸の鼓動が一気に速くなる。


 彼女は、それを本の話だと思って、「2冊とも大好き? 同じやね」とほほ笑んだ。

 だから、琉生も「そ、そう。2冊とも」なんて返してしまった。

 ちがう。

 ちがうんだ。

 ほんとは。

 大好きなのは――。


 でも、琉生には、それを言う勇気はなかった。


 彼女の誤解にそのまま乗っかってしまった。

 訂正する勇気も琉生にはなかった。


 自分は、一体何がしたい?

 

 琉生は自問する。


 もしも。

 自分が彼女に『好きだ』と伝えたとして、その先、自分はどうするつもりだ?

 もしも、彼女がこの気持ちを受け入れてくれたとして。

 それでも。

 想太とみなみが、さよならをしたように、この先デビューを目指す自分は、彼女にただ淋しい思いをさせるだけじゃないのか。


 2人で一緒にどこかに出かけることもできない。

 電話やメールのやりとりさえできないのだ。(個人的な連絡先を交換することは事務所からストップがかかっている)

 

 いや、そもそも、彼女が自分のことをそういう対象として見てくれているのか、それも全くさだかではない。

 ただのクラスメートで、同じ部の部員で。だから、ちょっと他の奴らより親近感を持ってくれているだけかも。

 

 

 自室のソファの上に寝転がってクッションを抱え、琉生は何度も寝返りを打つ。


「僕は、どうしたいんだ?」

 思わず声が出た。


「好きってちゃんと言いたいんでしょ?」

 姉のレイの声が応えた。


 琉生の部屋の入り口から顔を出して、

「ごめん。ノックしたんだけど。返事がなかったから」と言う。

「も~」

 琉生は、少し不満げな声を出して見せたけど、ほんとは、少しレイと話したい気がしていたので、

「で。何の用?」と続ける。

「うん。本貸してほしくて。今日、本屋さんで買おうかと思ったんだけど、確か、琉生が読んでたなと思って」

 レイが、本棚を見回しながら言う。

「タイトルは?」

「『枕草子のたくらみ』て本。著者は山本 淳子さん」

「ああ。あれは、借りてた本」

「あら~。そうだったの。なんか面白そうなの読んでるなって思ってたんだけど。読み終わったら貸してもらおうって思って。面白かった?」

「うん。かなり。枕草子への見方がすっかり変わるよ。能天気なエッセイだと思ってた自分の目は節穴かって思った。時の権力者道長が、なぜ政敵側である人物の書いたこの書を潰さなかったのか。『枕草子』に込められた戦略とは何か。「春はあけぼの」に秘められた清少納言の思いとは? とか、いろんなこと考えながら読んだよ。ちょっと泣きそうになったところもある」

「うわあ……。ますます読みたい。そっか……借りた本だったのか……」

 レイが残念そうに言った。

「もう一度貸してって頼んでみようか?」

 琉生の頭に、空の顔が浮かぶ。

 これで話すきっかけができた。ちょっと……嬉しい。

 そんな琉生の表情を眺めて、レイが言った。

「え。嬉しいな。頼める?」

「明日聞いてみるよ」

「ありがと。……ところで、さっきのつぶやきはなんだったの?」

「う」

 改まって訊かれるとちょっと照れくさくなってしまう。


 けれど、思い切って、琉生は姉に話してみることにした。

 勢い余って、『大好きだ』って言ってしまったこと。でも、本の話だと思われてしまったこと。

 でも。

 

「でも、ちゃんと自分の気持ちを伝えたいのね?」

「うん……」

 琉生はうつむく。

 

「……わがままだよね。好きだって言っても、そのあと、もう会えなくなるんだし。僕は、連絡先の交換さえできなくて、これからデビュー目指して、彼女と付き合うこともできないのに。それでも好きだって言いたいなんて。……めちゃくちゃ勝手だよね」

「琉生……」

「同じ教室の中で、一緒に話して笑って、そばで過ごせるだけで、幸せだったんだ」

 話し始めると、琉生の心から、抑えていた想いがあふれ出す。

「……もう会えなくなるのに。僕は、何もできない。好きだと言ったとしても。彼女がそれに応えてくれたとしても。僕には、一緒にいることもできなくて連絡さえままならなくて。彼女に何の約束もできない」

 琉生は、うつむく。

「『いつかきっと、そばに行くから待っててほしい』なんて、約束はできない。ただ淋しい思いをさせたまま、ずっと彼女を縛ることになるだけだ。……そんなの、約束なんかじゃない。ただの呪縛だ……」


 琉生が感情的になっている。こんな琉生は珍しい。レイは、頬を紅潮させている弟をじっと見つめた。


「琉生。ほんとに、大好きなんだね。彼女のこと」

 琉生が、素直にうなずいた。

「うん……いつのまにか、そうなってた」

「素直でいいね。ねえ……琉生」

 レイが真っ直ぐな目差しで琉生を見た。

「琉生。“約束”は“約束”だよ。“呪縛”なんかじゃない。呪いなんかじゃないよ」

 レイが続ける。

「約束したそのときの想いが一生懸命で誠実なものなら、それは、やっぱり、“約束”って呼んでいいんだよ。呪縛じゃない。だから、琉生、できないって言って逃げないで。「きっと守る。そのために精一杯努力する」そう思って心を込めて約束すればいい。逃げないで。約束は呪いじゃない。約束、なんだから」


「約束は、約束……」

 琉生がつぶやく。

「うん。そうだよ」

 レイが力強くほほ笑んでうなずく。

「ありがとう。やっぱり、レイに、お姉ちゃんに相談してよかったよ」

 琉生の白い頬に赤みが差す。瞳が明るくなった。さっきまでの鬱々とした表情から、すっきりした顔に変わった。

「なんか、スッキリした顔になって。それこそ呪いが解けたみたいな……」レイが笑った。

「ちゃんと好きだって伝える努力をする。そして、その先の約束をする勇気を持つ」

 琉生の宣言を聞いて、レイの顔は、うなずく。

「がんばれ。応援してるよ。で、『枕草子のたくらみ』の方も頼むね」



 約束は、約束。

 相手を縛る、呪いなんかじゃない。


 いつか、ずっと一緒にいられる日が来るまで、お互いそれぞれの場所でがんばっていよう。

 そう伝えたい。

 そして。

 自分は精一杯約束を守る努力をする。


 琉生の心に光が差す。


※『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』山本 淳子著 朝日新聞出版


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