67. ずるい。
驚いた。
まさかそんな事態が起きていたとは。
空港についても、まだ半分寝ぼけマナコだった琉生は迎えの車に送ってもらって帰宅したが、ひと便違いの飛行機が事故に遭っていたことを聞かされて、すごく驚いた。
もしかしたら自分が乗っていたかもしれない。そう思うと、今ここにいることがすごい奇跡のように思える。
ありがたいことに、事故に遭った便も、乗員乗客が全員無事だったということもホッとしたことの一つだ。
翌日、琉生はいつものように早めに登校した。今週は、まだ仕事は入っていないので、ゆっくり学校で過ごせそうだ。
まだ誰も登校していない静かな教室で、1人ぼんやり廊下の方を眺めていた。
そろそろ来るかな?
足音が近づいてくる。
彼女だ。たぶん。きっと。
とびらが開いて、織田 空の元気な声が飛び込んできた。
「おかえり~!」
彼女はすごく嬉しそうだ。声が弾んでいる。
その笑顔から、逆に彼女がどれだけ心配していたかを、琉生は感じ取った。
「おはよう。ごめんね。すごく心配かけたみたいで」
申し訳なくて。つい頭を下げる。
「ううん。ほんと、無事でよかったよ! 顔見てホッとした……。昨日日本に着いたばかりで……疲れてるでしょ? 今日、早起きして大丈夫?」
矢継ぎ早に話す。いつもはもっと穏やかに話す彼女なのに、めちゃくちゃ元気に話す。
何よりすごく嬉しそうに見える。
僕が無事だったから?
こうして僕に会えて、そんなに喜んでくれるの?
琉生もなんだか嬉しい。目元を和ませ、思わずほほ笑む。
「大丈夫だよ。飛行機の中で、めっちゃたっぷり寝たから。当分寝なくても平気なくらい。……みんな心配して大変だったのに、そんなことも知らずに、当の本人はただ爆睡してたなんて。なんか……もうしわけないよな」
琉生がそう言うと、空は首をぶんぶん振って言った。
「そんなことないって。心配するのはこっちで勝手にしてるだけやから。琉生くんは元気に帰ってきてくれたら、それでOK。だから、ぜんぜんノープロブレム。もうしわけないとか、思わなくていいんだよ」
力強く断言してくれる。
琉生が、『心配かけてごめんなさい』ってみんなに謝りたい気分でいるのを察してくれたのか。
「ありがとう」
(ああ。帰ってきたんだな)
琉生はホッと息を吐く。 少し伸びた髪をかき上げ、彼女にほほ笑みかける。
琉生がほほ笑んだとき、一瞬ぼうっとしていた織田 空が、目の前で小さく頭を振った。
ん? どうした?
「織田さん?」
そっと声をかけると、彼女は慌てて言った。
「あの、あの。ごめんなさいっ!」
「?」
いきなり?
どうしたの?
頭の上に大きな?マークを浮かべながら、琉生は首をかしげた。
何か謝られるようなことあったかな?
「なんか、したっけ?」琉生が訊くと、
「あの、ほら。私が熱出したとき、心配してくれたのに、『だって、迷惑』って振り払って……」
「ああ」
琉生は笑ってうなずいた。
1学期の終わり、アメリカへ行く直前、部室で数学の問題を解いていた空に会ったことを思いだす。
悪戦苦闘している彼女に、琉生はスマートな解き方や、おすすめのノートの使い方なんかを説明した。ところが、彼女の反応がにぶく、ぼんやりしている。
なんかおかしいぞ。
気になった琉生は、「織田さん!」と彼女に呼びかけ、その額に手を当てた。明らかに熱い。
「熱が、あるんじゃない?」
琉生がそう言った途端、彼女は慌てて、「離れて!」と言い、帰り支度をはじめた。
少し足元がふらついている彼女が心配で、「送っていく」そう言って、彼女の荷物と自分の荷物、両方を肩にかけて、支えるようにその腕を抱えた。
ところが、空は急いで彼の腕を振りほどいた。
「なんで?」 こんなにつらそうなのに?
思わず訊いてしまった琉生に、
「だって、迷惑、」と彼女は言いかけたが、そのとき養護教諭の田中先生と担任の倉内先生が、ちょうど琉生を探して、部室のドアを開けたのだ。それで、彼女からは続きの言葉は聞けなかった。
けれど、おそらく『迷惑かけたくない』そう言いたかったのだろう。琉生は察した。
それよりも彼女が心配だった。手が触れたとき、かなり熱く感じたから。
そのあと、田中先生に連れられて、琉生は受けていなかった2測定(身長と体重だ)を受けるために、彼女は熱を測りに保健室に向かった。
彼女の熱は37.5度。思ったほどではなくて安心した。
それでも家まで送っていこうとする琉生に空は首を振った。田中先生には、校医に診てもらってインフルの検査もするから部活に戻るよう、琉生は言われてしまった。
「大丈夫。まかせなさい」と先生に言われ、「でも」とは言ったものの、それ以上は何も言えず、
「……じゃあ。お願いします。織田さん、お大事に。荷物、ここに置いておくね」
彼女に声をかけて、立ち去るしかなかった。
でも、翌日、彼女は登校していなかった。聞くところによると、あとから熱が上がって、結局インフルだったことがわかったらしい。
そして琉生は、渡米前の準備や撮影開始が前倒しになったこともあって、そのまま空には会えずに夏休み前に渡米した。
(そうだ。そのとき以来だ。直接会うのは)
彼女は、そのときのことをずっと気にしていたのだろう。
「ほ、ほんとはっ、続きがあって。迷惑、かけたくないって言おうとしてて、」
彼女は、一生懸命に、あの日の、手を振り払ったときのことを説明しはじめる。
(わかってるよ。大丈夫)
琉生がそう言おうとしたとき、ちょうどクラスメート達も次々登校してきた。
みんな口々に琉生に声をかけてくれる。嬉しそうな声だ。琉生の心も温かくなる。
「おお~琉生! 無事でよかった! ほんとに心配したぞ~」
「わあ、琉生くん。元気で。ホントよかった」
「よかった~。疲れてるでしょ? 時差ボケとか大丈夫なの?」
次々かかる声に、琉生は笑顔で応える。
心配かけてごめんね。ありがとう。何も知らずに爆睡してたから、もうしわけなくてさ。
1人ひとりに笑顔を返す。みんな笑いながら、琉生を囲んでいる。
気づくと、いつの間にか空は自分の席に戻っていた。
大丈夫。わかってたよ。
そう言ってあげたかったのに。言い損ねてしまった。
琉生は、離れた席から、織田 空の様子をそっと見ていた。
今日は、空は佐藤と日直のようだ。羨ましい。
いや別に、日直が羨ましいわけでも、佐藤と一緒に日直なのが羨ましいわけでもない。
心の中でつぶやく。
佐藤のヤツ。ずるいよな。
席も隣で、日直まで一緒か。ずるい。
自分は、朝早く来たときしか、話すチャンスはないのに。ずるい。
いや、でも。
来週には席替えらしいから、自分にも可能性がないわけじゃない。
頭の中でぐるぐる考えていると、1限の学年集会のために、みんなが移動をはじめた。
日直は、教室移動の際の戸締まりの仕事がある。
琉生は、佐藤が教室の窓を閉めるのを、さりげなく手伝いながら、空に話しかけるチャンスを待った。
窓を閉め終えて、入り口の扉のカギをかけた空にそっと近づいて、琉生は言った。
「大丈夫。ちゃんとわかってたから」
その瞬間、彼女の顔に安心したような笑顔が広がった。
よかった。
ちゃんと言えて。
ささやかな言葉でも。
ちゃんと伝えたい言葉は伝えよう。
まあいいや。と後回しにしないで。
彼女は、もしかしたら僕に言えなかった『ごめんね』を夏休み中抱えていたのかもしれない。
そんな中で聞いた飛行機事故のニュースに、彼女がどれほど動揺したか、琉生にはわかる気がした。
言えなかった『ごめんね』が、どれほど重く辛く心に残り続けるか。
想像するだけでも胸が痛い。
彼女に、そんな思いをさせなくて済んでよかった。
こうして無事戻ってきて、彼女に伝えられてよかった。
「何? 何を“わかってた”の?」
琉生の言葉をそばで聞いていた佐藤が、横から琉生を小突く。
「ちょっとね」
わざと意味ありげな顔をして、琉生は笑った。
少し先を歩く織田 空に聞こえないような声で、
「なになに? 教えて」と聞いてくる佐藤に、
「内緒~」
琉生はちょっとだけ意地悪をしたい気持ちになっている。




