Ⅱ
黒瀬のキーボードを叩く乾いた音が、防音室に響き渡る。
「出たよ。テロ組織『明治の遺産』の暗号通信、解析完了。連中、霞ヶ関の地下に張り巡らされた旧都電の廃線坑道を潜伏先に使ってる。化学兵器――神経ガス『零式』の散布装置をセット完了して、カウントダウンに入った」
「旧陸軍が明治末期に開発し、抹消したはずの幻の毒ガスね」
紗希がタブレットの分子構造図を操作しながら、眉をひそめた。
「従来の防護服じゃ透過する可能性があるわ。私特製の解毒剤と中和噴霧器を渡すから、現地で作動させて。吸い込んだら三分で心停止よ」
「手厳しいねぇ。嶺さん、事前の潜入ルート確保は?」
神田が防弾ベストのベルクロをバリバリと締め上げながら問う。嶺は手にしていた外国語の通信記録を閉じ、涼しげな顔で頷いた。
「バッチリです。裏ルートのブローカーを少々揺さぶったら、坑道の非常出入口の鍵と配置図を吐き出しました。警備は元傭兵を中心とした十数名。重装備です」
「十分だ。八重樫、射撃体制は?」
「問題ない。前衛の脅威はすべて排除する」
八重樫はサブマシンガンを肩に固定し、短く答えた。天野は静かに立ち上がり、腰のホルダーに拳銃を収める。
「作戦開始だ。目標は『零式』の完全無効化、および実行犯の全件拘束または排除。これよりコクアンは、地下坑道への強襲を開始する」
◇
湿った泥と錆の匂いが充満する霞ヶ関の地下坑道。薄暗い非常灯の明かりの中、自動小銃を手にした男たちが徘徊していた。
「――誰だ!?」
見張りの男が声を上げた瞬間には、すでに遅かった。
闇の中から滑り込んだ神田が、男の銃身を払い上げ、そのまま喉元へ強烈な掌打を叩き込む。声もなく崩れ落ちる男。同時に、奥から駆け寄ろうとした別のテロリストの額を、八重樫の消音シリンダー付きの銃弾が正確に撃ち抜いた。
「侵入者だ! 撃て――」
蜂の巣をつついたような騒ぎになる中、嶺が素早い足取りで敵の死角へ回り込み、流暢な外国語で錯乱させる指示を怒号として浴びせ、敵の連携を分断する。
「黒瀬、カウントダウンの停止は?」
インカム越しに天野が低く問う。地上でバックアップを担当する黒瀬の声が耳元で跳ねた。
『あと三分! 散布装置のメインサーバーに侵入したけど、物理的な解除コードが必要だ。天野さん、中央の制御端末に紗希ちゃんのUSBを叩き込んで!』
「了解だ」
天野は迫り来る敵の銃撃を最小限の動作でかわし、射殺しながら中央の広場へと突進する。中央に鎮座する巨大な鋼鉄製の散布装置。その前で、テロ組織の首謀者が狂気を含んだ笑みを浮かべていた。
「遅かったな、警察の犬ども! 明治から偽りの平和を貪ってきたこの国に、審判を下す時が来たのだ!」
「国家の安寧を脅かす者に、語るべき正義はない」
天野の銃口が、迷いなく首謀者の眉間を捉えた。
パン、と一筋の乾いた銃声が地下坑道に響き渡る。倒れ込む首謀者を一瞥もせず、天野は散布装置のポートに紗希のデバイスを接続した。
『システム消去、および中和剤の自動噴霧……完了! やったわ、毒ガスの無害化に成功!』
紗希の弾んだ声がインカムから聞こえ、装置からプシューッと白い蒸気が噴き出した。
周囲の敵は神田と八重樫によって完全に制圧され、静寂が地下坑道を包み込む。
「ふう……冷や冷やさせやがって。これで終わりか?」
肩をすくめる神田に、天野はスマートフォンの画面を示した。画面には、まだ起動していない「第二のカウントダウン」が表示されている。
「いや、これはただの囮だ。本当の『明治の遺産』は、すでに別の場所で動き始めている」
「マジかよ……残業確定か」
黒瀬のため息が通信越しに漏れる中、6人の眼光はさらに鋭さを増していった。




