Ⅰ
明治以降、この国が重大な危機に瀕するたび、表の歴史には残らない「影の判決」が下されてきた。それを執行するために組織された秘密部署――警視庁国家安全保証局。通称「コクアン」。
赤坂の雑居ビル地下深くに位置するその部屋には、窓がない。重厚な防音扉が沈黙を破って開放された時、室内に集まっていた6名の視線が一斉に入口へ注がれた。
「……また面倒なお呼び出しかよ」
黒瀬圭吾がノートPCのキーボードから指を離し、怠惰にチェアの背もたれへ身体を預けた。鼻にかけたフレームレスの眼鏡の奥で、端末のブルーライトが冷たく反射している。
「文句を言わないの、黒瀬くん。呼び出されたってことは、表の警察じゃ手に負えない事案ってことでしょ」
薬莢の成分分析データをタブレットで確認していた科捜研の天才、槇村紗希がクスリと笑う。白衣の袖を軽く捲り上げ、隣に立つ男を見上げた。
「ねえ神田さん、また暴れて解決しようとしてない?」
「あぁ? 暴れるじゃねえ、『迅速な無力化』と言え。まどろっこしい取り調べなんて性にあわねえんだよ」
機動捜査隊から引き抜かれた格闘のプロ、神田竜二が太い首を鳴らし、拳を打ち鳴らした。その荒々しい威圧感すら、外事課の嶺大和は柔らかい笑みを崩さずに受け流す。
「まあまあ。神田さんの腕力に頼る前段階で、僕が穏便に交渉できればそれが一番なんですけどね」
「……甘い」
部屋の隅で拳銃の動作確認を行っていたSPの八重樫灯が、短く切って捨てた。感情を削ぎ落とした黒目が見つめる先には、部屋の扉を開けて入ってきた男――天野司の姿があった。
天野の手には、暗号化された極秘ファイルが握られている。
「無駄口はそこまでだ。国家非常レベル『準最高』が発令された」
天野の低く冷徹な声に、それまで漂っていた軽薄な空気が一瞬で瓦解した。6人全員の顔つきが、プロのそれに切り替わる。
「ターゲットは『明治の遺産』を名乗る国際テロ組織。旧陸軍の未公開化学兵器を用いた都内同時多発テロを計画している。猶予は48時間」
天野はファイルをデスク中央に投げ置いた。ホログラムが起動し、緻密なマップと標的のデータが空間に浮かび上がる。
「黒瀬、通信の傍受と拠点の特定を。槇村は兵器の解毒・無効化手順の確立。嶺、裏社会のルートから兵器の流出元を探れ。神田、八重樫は特定後の強襲および現場制圧の準備だ」
「了解」
黒瀬の指が目にも留まらぬ速さでブラインドタッチを再開し、八重樫はマガジンを銃に装填してスライドを引いた。カチリ、と硬質な金属音が室内に響く。
「明治から続く国の闇か……僕たちの仕事にぴったりだ」
嶺が静かに呟き、神田が不敵な笑みを浮かべる。
「よし、サクッと片付けて美味い酒でも飲みに行くぞ」
天野は無表情のまま、浮かび上がるデータを冷ややかに見つめていた。表の法では裁けぬ悪を討ち、国家の安寧を影から護る。警視庁最深部に潜むスペシャリストたちの、人知れぬ戦いが幕を開けた。




