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自転車の魔法使い  作者: 津山 みかり
序章
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序章 -9.にわかの春眠-

 午後。午前までの晴れた空はどこへ行ったのか。雨が降り始めていた。ここ二日ほどは不安定な空模様が続くらしい。

 私は雨が嫌いだ。元来、頭痛持ちである私はこの低気圧のおかげで痛みがよりひどくなりやすい。今日も午前中まではそこまでであったが、午後は重い痛みを感じる。耐えられないということではないが、いい気分ではない。今日はおとなしく家に帰って休もう。

 目の前にいる私よりも体つきがしっかりした小牧千夏はこっくり、こっくりと何度も頭をもたげながらも懸命に眠気をこらえている。時折、完全に落ちたように思えても数秒後には首を横に振り、目頭を指でもんでいる。

 もうひとつ前にいる楠木悠は頬杖をつきながら外をぼんやりと眺めていた。

 彼女はある種の天才だろう。私は確かに聞いたことや見たものを忘れにくい体質であることを自覚している。実態として人間は忘れていく生き物であり、忘れることはむしろ健全である。逆に忘れないということはひどく辛いと聞く。

 もっとも、そこまで極端な能力は持ち合わせていないがきちんと意識さえすればこういった授業の内容はもれなく覚えていくことができる。

 しかし、悠はどうだ?彼女は見るからに授業に耳を傾けている雰囲気はない。ここ一週間から二週間で彼女を後ろのほうから見ていたが、大体はその授業を真剣に聞いている感じやタブレットを凝視している姿はあまり見かけない。

 それでいて授業中の話をきちんと記憶しているのだ。もちろん、まだ中間テストや期末テストでその実力を見たわけではないが、おそらく優秀な成績を収めるだろう。

 悠は今、窓ガラスの向こうの何を見つめているのであろうか。大きな美しい瞳をした彼女はまるでそこに「何か」がいるように儚げに中空を見ている。

 私にはまるで何も見えない。ただただ、窓ガラスに雨粒が滴るだけである。空は幾重にも重なった雨雲で灰色を映している。ふと、悠と窓ガラス越しに目が合った。窓ガラスに映った彼女は微笑んでいた。まるで雨の精のように、優しく、美しく、不思議な微笑だった。



「……きな……よ」

 声が聞こえる。誰だろう。

「お……よ、……ちゃん」

 体を揺さぶられる。

「ん……あれ?」

「あ、やっと起きた、珍しいね。授業中に亜紀が寝落ちしちゃってるなんて」

 ようやく私は状況を理解した。どうもさっきの授業中に寝落ちしていたようだ。おかしいな。眠気なんて感じていなかったのに。いつ落ちたのか。わからなかった。腕組みしながら千夏は私の机に腰かけていた。

「亜紀ちゃん、きっとお疲れなんだよ~先生はごまかしといたよ」

 悠は私の起き抜けの顔にすっと顔を近づけてくる。

「あ、ああ。ありがとう。でも、なんだかスッキリしたな」

 妙なことに頭痛も引いていた。私は教室入り口横につられた時計に目をやる。時間にして10分足らずも眠っていないはずだ。それでも、まるで深い眠りを得たような感覚を覚えていた。

 普段、10分足らずの睡眠では決してこの頭痛が引くことはない。

 私は自宅で勉強するときや中学生の時からパワーナップを意識した生活をしているが、ここまで強烈に効果があったのは今までにない。それも頭痛までも引いている。空を見上げるが、やはり天気は雨のままだ。久々に雨天でも頭痛がない。何が起こったのだろうか。

「どうしたの?亜紀ちゃん」

「え、いや……なんかちょっと寝て起きたら頭がすっきりして、頭痛もなくなったんだよね」

「よかったじゃない。今日、ハルが帰りに寄り道したいって言ってたから。でも、無理しちゃだめだよ」

「うん、無理はダメだよ。また今度でもいいし」

 悠は私の頭をそっとなでる。子供じゃないんだが。

「いや、うん。大丈夫だよ、ありがとう千夏、悠。ところで悠はどこに行きたいの?」

 私は問題ないことをアピールするように席から立ちあがり、自分より背の高い二人を見る。本当に二人とも背が高くてうらやましい。

「あたしはね、今日は豪遊したい気分だからファミレス!」

「ファミレスか~まあ、たまにならいいかな」

「お、一人賛成だね。亜紀ちゃんは大丈夫?」

「まあ、うん。大丈夫だよ。行こっか、ファミレス」

 私は机にかけている通学リュックにタブレットを突っ込んだ。

「って、亜紀、まだHRあるって。ちょっと気が早いよ」

「あ、ホントだ。ついうっかり」

「亜紀ちゃんにしては珍しい~うっかり亜紀ちゃんだ!あはは!」

 なぜだろう。私は本当にただ寝落ちしていただけなのだろうか。あの窓ガラス越しに見た楠木悠の笑顔はなぜか懐かしさと神聖性を蓄えていた。今は何も感じられない。ただ、級友が私を嬉しそうに見ているだけだ。

「まあ、そんな日もあるのよ。さ、行きたいファミレス考えといてね。って、駅前しかないかな」

 何事もなかったかのように再び席に着いた。きっと今日は疲れていて、10分のパワーナップがきいたのだろう。私は奇妙な感覚を心の底にしまい込んだ。

いかがだったでしょうか?

次回更新予定は5月22日(金)です!

序章は毎日更新します!

【2026/5/18~カクヨムでも同時掲載いたします】

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