序章 -8.山笑う-
入学式から一週間が経過した。そして今日は高校生活二度目の水曜日だ。校庭のソメイヨシノはまだまだその青い葉を茂らせ、太陽の光をめいっぱい浴びている。
四時限目の理解不能な物理の授業が終わり、ようやくの昼休みを迎えた。だいたいなんだよ。ニュートンって。リンゴは勝手に地面に落ちるし、スイッチ一つで明かりはつくのだ。物理は知らなくても生きていけるのだ!
後ろの席でまだペンがカリカリと走る音がする。勉強熱心な生徒だ。
「亜紀、さっきの授業まだ板書してるけど面白い?」
勉強熱心な亜紀はノートに書きこみ続けたまま私に反応した。
「んー。さっきの内容は中学校のおさらいだね。内容的にはわざわざ聞くまでもないよ」
「え?じゃあなんでわざわざ几帳面に板書してるの?」
「あの手の先生はノートをいかにきれいに板書するかで評価をしやすいんだよ。表にまとめたり、グラフを手書きしたりすると覚えはいいと思うよ。だって、この授業珍しくノート必須ってなってるでしょ?今時の授業は大体、タブレットの課題を出せばいいけどあのおじいちゃん先生は多分ノート派だよ。で、学期末とかに提出を言ってくると思う。こういった類の授業の理解力はテストで測ればいいけど、人間的な側面も見るとしたら授業態度とこの提出物だろうね」
おお。確かにこの物理基礎の授業はノート必須と言われていたな。しかし、マジか。これは必死でノートをとらねば通知表オール平均値を狙う私としてはテストで点が望めない以上、提出物と授業態度で底上げするほかない。さすがにまだ居眠りはこらえたけど、これからも注意が必要だなあ。
「やっぱ、亜紀は見る所が違うなあ。今度写させてよ、今日のところだけでいいからさ」
「いいよ、千夏は根が真面目だろうし、頑張って授業も起きてそうだしね」
「おお、ありがとう!友よ!」
「おお!ありがとう~友よ~!」
私と全く同じセリフを言ってきたのは悠であった。
「ハル、うるさいよ。あんたはノートとったの?」
悠は私と亜紀の横に椅子を持ってきて足を組み座り、大げさに指をちっちっちと振った。
「もちろん……とってない!」
「いや、とってないのかよ!」
「ってことで、亜紀ちゃ~ん。私にもノート写させて。っていうか、今時ノートなんてとらないよ~」
「悠は勉強真面目にすればもっとたくさん覚えられるのに、勿体ないなあ」
少し呆れた感じで亜紀は悠を見た。そう、悠も亜紀に負けず劣らず勉強ができるのだ。しかし、亜紀ほど真面目ではなくほどほどにしているといった印象を受ける。まあ、私の場合真面目に受けてもあまりいい成績にならないのは明白で……。
ん?ちょっと待て。今さっき、悠は。とこの娘は言わなかったか?
「ねえ、亜紀」
「なに?」
「さっきの悠はってどういう意味?」
亜紀はようやく書き終えたノートを静かに閉じて、水色の小さなペンケースにシャーペンと消しゴムを入れる。シャーペンは亜紀の見た目に反して重厚な色合いで風格を感じさせる。
「ん~なんのことかなあ」
「聞き捨てならないねえ~」
すました顔でリュックからマグボトルを取り出した亜紀の顔をぎゅっとつかみ、私の正面を向かせる。若干頬がつぶれた亜紀はそれでもすまし顔で、目をつむっている。
「ぷっ、亜紀ちゃんかわいい~」
その顔を見て悠はけたけたと笑う。私は亜紀の顔を掌でぎゅむぎゅむと押し込む。亜紀の頬は柔らかく温かい。掌で感じる温度は亜紀のその冷めた態度とは真逆である。
「こら、千夏やめなしゃい」
「さっきの言葉訂正しなさ~い、私もやればできるのよ~」
「そうだよ、亜紀ちゃん、なっちゃんもやればできるんだよ。たぶん」
そうだそうだ。私もやればできるはずだ。ん?待て。悠もなんか、さっきたぶん。って言わなかったか?こいつら、そろいもそろって!
「ちょ、ハル。あんたも多分って何よ?あんたも私のことなめてるのか~」
私の標的は亜紀から悠に変えて、悠の頬をペタッと両掌ではさむ。
「おおう!ほっぺがつぶれる~」
「ハルもさっきの言葉、訂正しなさい~」
先ほどと同じように悠のほほもむにむにと押したり今度は引っ張ったりもする。すました顔をしていた亜紀とは異なり、悠は楽しそうだ。けっこう、悠のほっぺは伸びるなあ。桜色の頬はもちもち感がある。やっぱりこうやって友達をいじるのは楽しいものだ。
「さあさあ、バカな事してないで昼休みだよ。お昼食べて午後からの授業の準備をしなくちゃ」
ノートもタブレットも引き出しにしまい込んでいた亜紀はいつの間にか小さな弁当箱を取り出していた。しゅるりと弁当包みを解くとまげわっぱのかわいらしい弁当箱が現れる。こんな弁当の量で足りるのか?と思えるほどにその内容は少ない。質素というよりかは単純にご飯もおかずも少なめであるのだ。唐揚げ一個を半分に、卵焼き二切れ、ブロッコリー一つと、ひじきの煮物、そして白ご飯。何キロカロリーなのだろうか。
これではパワーも出ないわけだが、亜紀は十分らしい。いや、もしかして脳みそにそのカロリーをほとんど奪われているんじゃあなかろうか。しかし、亜紀の立派なところはこれを自分で毎朝、欠かさず作っているということだ。亜紀の両親は朝早くから夜遅くまで働いているそうで、家事のほとんどをこなしているらしい。私は精々自分の弁当箱を洗うくらいだ。
「亜紀ちゃんのお弁当本当おいしそうだね~」
「そんなことないよ。冷食と昨日の残りだからね」
そう言いつつ亜紀は小さな手で小さな箸を持ち、白いご飯を小さな口に運ぶ。全体的に亜紀は小さい。小柄で可愛らしい少女なのである。
悠は亜紀の机に自分の弁当箱を広げる。彼女の弁当箱は二段弁当で亜紀よりも内容量は多い。倍とまではいかないが、女子として普通の量と思える。今日のおかずは小さめのコロッケ二つとミニトマト、ほうれん草のおひたし、ミートボール二つ。そしておにぎりが二つ入っていた。
うん。悠の弁当もおいしそうである。彼女はたまに自分で作るらしいが、お母さんが作ってくれることが多いとのことだ。彼女の母も働いてはいるが、亜紀の両親ほど多忙ではないようで、家事の半分をお母さんが、そしてその半分をお父さんと悠と弟の二人で担っているらしい。
「なっちゃんのお弁当はいいね~あったかいご飯食べられるのいいね~」
「ふっふっふっ、これは魔法瓶弁当箱だからね」
一方、私は二人よりも大きい保温弁当箱である。これがまたいいのだ。魔法瓶構造をしており、温かいご飯を食べることができるのだ。しかも!味噌汁まで入る優れものだ。
さてさて、今日のご飯は何かな。ぱかっと開くと味噌汁。ほんわか白ご飯。ピーマンの炒め物。唐揚げ二つ。きんぴらごぼう。たこさんウインナー二つ。いい感じじゃないか。さすが、お母さんよくわかってる。
「千夏、量多くない?」
「私はこれでも足りないくらいだよ」
三者三様の昼食をそれぞれ取り始める。校内放送が流れ始めた。昼食中は放送部が音楽を流す。基本的にはリクエストを聞いてくれるらしいが、私は特にリクエストをしたことがない。
タブレットのアプリで放送部のアイコンからアクセスしてそこの応募フォームに入力するらしい。軽やかなピアノの旋律とトランペットのリズムが心地よい。今日はずいぶんと大人なチョイスである。
「今日はクラシック?が多いのかな。なんかピアノとか管楽器の音が多いね」
魔法瓶弁当を片付けながら私はお茶を飲む。
「これはジャズじゃないかなあ?聞いたことある音楽のアレンジみたいな感じだし」
「これはジャズだよ。っていうか、私がリクエストしたもの」
「え?亜紀がこれリクエストしたの?」
「うん。アプリの使い勝手とか知りたかったし、お昼ご飯に好きな音楽聞きたいじゃない?」
「亜紀ちゃん、ジャズが好きなんだ。あたしはアニソンとかばっかりだなあ」
「まあ、好きって言っても詳しくないよ。動画サイトで見つけたのが気に入っただけだから。最近は休みの日にこういうジャズ聞きながら本読んで、コーヒー飲むのが好きなんだ。頭痛いときとかにコーヒー飲んで音楽聞くと結構落ち着くし」
「亜紀はクールで大人だねえ」
「そんなことない。ただ、心地いい過ごし方を見つけたってだけ。千夏は好きな音楽あるの?」
「私は特にないかなあ。スマホの契約初期プランにある無料の音楽をたまに聞いてるくらいかな」
他愛ない会話をしながら私たちは昼休みを過ごす。換気のために開けられた窓からふっと風が舞い込む。心地よい春風だ。うーん。悪くないんじゃないかなあ、私の高校生活。
いかがだったでしょうか?
次回更新予定は5月20日(水)です!
※訂正…次回更新は正しくは5月21日(木)となります。大変失礼いたしました。
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