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自転車の魔法使い  作者: 津山 みかり
第一章 夏、到来!
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-2. 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)-

―前回のあらすじ


 内申点を稼ぐことに執着する自称、帰宅部のエースこと小牧千夏(こまきちなつ)は必死に水の抜けたプールを掃除する。今日は別行動の親友二人、楠木悠(くすのきはるか)斎藤亜紀(さいとうあき)が図書館で涼んでいることをうらやみつつも、なんだかんだで真面目にデッキブラシで格闘していく。

 そんな彼女を珍しがる教員とクラスメイトが現れ、何気ない平和な日常を過ごしていた。

 ペアガラス越しに遠蝉を聞く。

 静謐なこの場所にあって、その遠さが心地よい。夏休み直前の土曜日、私は悠とともに図書館に来ていた。今日は私の提案で涼みながら読書はどうかとなったのだが、千夏は用事があるとのことだった。

道中は悠もいつもと同じような感じであったが、図書館に入った途端に借りてきた猫のようになっていた。そして、本棚から一冊を手に取り「じゃ、あとで」とだけ私に告げて一人黙々とその本を読み始めていた。


 私も久々に自分の時間を過ごしていた。自宅でも基本的には一人でいるのだが、この図書館で過ごす一人の時間はまた普段と異なる良さがある。

 ささやき、紙がすれる音、強い日差し、そして快適な空調。家ではさすがに午前中からエアコンをつけるのはもったいない気がする。自分自身が吝嗇家であることをこの時期にはよく思う。

 空調の風が一瞬止まった気がした。なんだろう。すぐにまた動き出した。誰も気づいていない……?気のせいか。本に集中しすぎて疲れただけか。


 腕時計に目をやる。すでに図書館で過ごしていた時間は2時間を越えており、お昼時だった。昼食をどうするか何も考えていなかった。バイト代も昨日入ったので多少は贅沢ができるが、悠の意見も聞いてみよう。近所にカフェはあるが、悠は今日お金持っているのかどうかを聞いていない。

 立ち上がり読み終えた本を元の位置に戻す。少し離れたところにいる悠は私が立ち上がったことすら気が付かないようで、手元の活字に集中している。何を読んでいるのだろうか。迷いなく選んでいた一冊だが、遠目で見たところ小説や文芸ではなさそうだ。


 お手洗いに行き用を足す。梅雨時はやはり頭痛がひどかったが、明けて以降あまり痛みはない。

 頭痛、ふとした瞬間に訪れる。鏡の前で肩凝り予防のための運動を軽くする。両肩に手を置いて息を吐きながらぐるぐる大きく回す。肩甲骨周りの筋肉をほぐすとともに、血行の促進を促していく。これだけでも随分と肩がほぐれる。

 手を洗い、前髪を整えてから出ると悠が小さく私に手を振っていた。私もそれに反応し、彼女のもとへと歩く。

「亜紀ちゃん、そろそろ出てお昼ごはん一緒に食べない?」

「そうね。私も読んでた本、読み終わったし。どこ行こうか?」

「んー。なっちゃんおすすめのカレー屋がいいんだけど、亜紀ちゃん辛いのいけたっけ?」

 カレーか。なんとまあ。この時期に、そしてこの私にその選択肢を出すとは悠も愚かな。

「私、カレーにはうるさいよ」

「え?そうなの?」

「一家言があるくらいには」

 スマホを取り出し、近所のカレー屋を検索する。どこだろうか。近所で星が高いのは、カレーチェーン店しかないが。

「えへへ、そこあたし的にはすごく美味しいんだ」

「楽しみだよ、案内してちょうだい」

「うん。ラッシーもあって、本格的なんだ」

 図書館のドアをくぐり外へと出る。先ほどまで聞こえていた蝉の声が耳元で鳴いているのではないかと思えるほどに大合唱している。快適な室内と比べ、屋外は思考力を一瞬で奪うほどに暑い。一瞬、こめかみに鋭い痛みが走る。思わず頭を抱えた。

「っ……」

「亜紀ちゃん?」

「いや、なんでもないよ」

「大丈夫?」

「うん、平気。さ、行こう」


 図書館で羽織っていたカーディガンをさすがに脱いだ。日焼けするが背に腹は代えられない。

「わあ、やっぱり暑いねえ~、でも歩いてすぐだよ」

「ほんと、嫌になるよね。これだけ暑いと」

 私たちは線路沿いの側道を歩く。高架になっており、日影ができているので直射日光は避けることができるが、やはり暑いことに変わりはない。電車が走るたびに地面が揺れるように感じる。頭痛は一瞬だけだったが、電車が通った時の揺れが大きい。高架下で飲食店を営む人は苦労するだろう。

「この角を曲がって、高架を抜けた先にあるんだ。あ、ここここ。マハールってお店」

 件のカレー屋にたどり着いたようだ。マハール。タージマハールか?でもネパールカレーとなっている。インドか?ネパールか?

「ようこそ~マハールへ~」

 悠はふざけて店のドアを開く。カラン、コロンとドアベルが鳴り響き室内から空調のよく冷やされた空気と、独特の香辛料の香りがする。

「いらっしゃませ~何名様ですか?」

「二人です、亜紀ちゃん、こっち、こっち」


 悠は嬉しそうに私を手招きする。店内を軽く見渡すと、日本人が間違ったインド感とネパール感を全面的に押し出しているのがよくわかる。私も他国文化にそれほど明るいわけではないが、文化圏を練り合わせて日本人好みにしました。という雰囲気がよくわかる。

「ここのお店のオーナーさん、ネパールの人なんだって。でも、さっきのお姉さんは日本の人っぽかったね」

 私は脱いでいたカーディガンを羽織る。空調が少し強めのこの店では羽織っていたほうが冷えない。私は二つあるメニュー表を一部悠に渡した。

「うん、そうだね」

 私はすでに何を食べるか決めていた。ダルカレー、確かにネパールだな。ん。ロティ。ナンではない。期待できる。

「悠……」

「え?何?どうしたの?」

「いい店選んだわね」

「お待たせいたしました~お冷です」

 私はスタッフに躊躇なく注文をする。

「すみません、このサラダセットのダルカレーをお願いします。ドリンクはラッシーで。ライスじゃなくてロティでお願いします。悠も同じでいい?」

「え、あ、う、うん。それでお願いします」

 しまった。ついカレーになると悪い癖が出てしまった。まあ、でも、たまにはいいか。

「ご注文繰り返します。サラダセットのダルカレーをロティで。お飲み物はラッシーですね。お飲み物は食後にされますか?」

「いえ、一緒に持ってきてもらって大丈夫です」

「かしこまりました、少々お待ちください」

「ごめん、一気に注文しちゃった」

「いや、いいよ。大丈夫だよ」

 冷静さを欠いていた。悠は笑っていたが、内心食べたいものがあったのではないか?

「ごめん、ちょっとテンション上がっちゃった」

「大丈夫だよ~あたしはここのカレー何食べてもおいしいと思ってるし、今日はダル?の気分だったし」

 悠はダルカレーがわかってない。まあいい。

「ここ、千夏に教えてもらったんだよね?あの子、いい店知ってるね」

「でしょ~なっちゃんに教えてもらってあたしも月に一回は来てるんだ」

「そういえば千夏、今日はどうしたんだっけ?用事があるって言ってたね」

 金属コップのお冷を飲む。氷が入っていないのにこの水、異様なまでの冷たさだ。

「たしか社会貢献するとかって」

「社会貢献……ああ、そうだ。プール清掃って言ってたね」

「社会……貢献?」

「……なのかな?」

 実に千夏らしい表現である。そんな千夏の社会貢献。もとい内申点稼ぎにいそしんでいる中、私はいよいよカレーと対面した。芳しいスパイスは食欲をそそる。夏こそカレーだ。

「おいしそうだね~、お豆さんのカレーかあ。いただきます!」

「いただきます」


 一口。また一口。ゆっくりと味わう。うん、奥深い味である。ロティをちぎり、そのまま食べる。

「……悪くない」

 そして、今度はロティにカレーをつけ、口にする。

 私は評論家だ。今だけはカレー評論家だ。ここのカレーは星4つだ。最高評価に近い。しかし、惜しむらくは店の雰囲気が迷走したことに尽きる。悪くはないが、あと一歩だ。

「おいしいねえ」

 勢いよく悠は味わっている風には見えないが、これも楽しみ方だ。カレーの楽しみ方は人ぞれぞれで自由だ。それゆえ、カレーは広く世界から愛されている。

 一通り食べ終えた私たちはラッシーで一息つく。

「いや、ほんと美味しかった。久しぶりにいいカレーに会えた」

 いいところだ。味は最高評価と評する。雰囲気にさえ目をつむれば。

「でしょ~」

 からりとラッシーの氷が砕ける。思い出して気になることを聞いた。

「ねえ、悠はさっき何の本読んでたの?すごく真剣だったけど」


 ストローでラッシーをかき混ぜていた悠の指が止まる。微笑んでいた悠の眼は、一瞬だけ光を失った気がした。

「借りた本はね、核融合と核分裂の本だよ」

 なぜそんな本を借りたのか。純然たる疑問を投げかける。

「珍しいね、そんな本読むんだ」

「うん、物理は苦手なんだけど、頑張ってみようと思って」

 物理が苦手だからと言って核反応を勉強するか?腑に落ちない。しかし、私とて生物学の本を読み漁っている。不思議なことではないか。さっきまでの天気が嘘のように雨が降り始めている。妙なしこりだけが残った。

桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)」いかがだったでしょうか?

なかなか小難しい副題にしてしまいましたが、

二十四節季よりも細分化された七十二候の7月末を指しています。

桐の花が実を結びはじめる時期だそうで、とても美しく繊細な言葉に惹かれました。


次回更新予定は6月12日(金)20時です!

更新は週一回を予定しています。

【2026/5/18~カクヨムでも同時掲載いたします】

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