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夢幻の世界の中で  作者: 高遠ハット
第1章 召喚士カナト ───力。それは強大で愚かな、か弱きもの。
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第33話 芽生えた狂気

新学期って、忙しいですね。


 右腕がない。切り落とされた。

 そんな状況は奏斗の思考回路を止めるには十分過ぎた。悲鳴など出ない。声帯を震わすほどの余裕がないのだ。とめどなく流れ出る鮮血は、命が死に向かっているのだと教えてくれる。断面から見える黄色い物体は脂肪だろうか。となれば、赤くぶら下がるは筋肉。骨も剥き出しになっていることだろう。

 感傷に浸る隙はない。

 今すぐにでも動かなければ、もう一本の大剣が奏斗の身を切り裂く。激痛が身を蝕み、本能が逃げろと叫ぶ。かろうじて一歩踏み出した奏斗の視界に映り込んだのは、命を刈り取ろうと迫る白刃でも勝利を確信した愉悦に浸る勇者でもなく、


「なんで……」


 困惑する勇者の震えだった。

 バカ言うな、と奏斗は叫んだ。声帯が強張り、かすれ声しか出なかったがどうでもいい。

 よたよたと無様に勇者と距離をとりながら、奏斗の思考が動き出す。勇者の顔は、信じられないものを見たような間の抜けたアホ面だ。目線は奏斗の腕から滴り落ちる鮮血を捉えている。その姿はまるで、

(……初めて血を見ました、みたいな顔。生き物を傷つけて血がでるのがそんなに不思議か?)

 解せない。

 子供ならともかく相手は百戦錬磨の勇者。生殺与奪など何度も目にしている人間のはずだ。

 やめよう、と奏斗は考えるのを止めた。分からないことをいくら考えても時間の無駄だ。それよりも今は左腕の止血をしなければならない。

 痛みに耐えながら、左腕に力を込める。筋肉が盛り上がり、血管を僅かながら塞いだ。流れ出る血液は多少であるが減っている。師匠から習った緊急時の止血法だ。当然、ただ力を込めるだけでは意味がない。師匠伝授の“ちょっと特殊”な力の使い方で初めてできる技だ。もっとも、奏斗自身どういう原理なのかいまだに理解していないが。

 すぅ、と深呼吸一つ。腕の痛みで気づかなかったが、全身を巡っていた奇妙な激痛はほとんど引けている。軽い頭痛が残る程度だ。あれはなんだったのだろう、と首を傾げていたちょうどその時、痛みも吹き飛ぶような出来事が起きた。


 切り落とされた左腕が、水晶が割れるように砕け散ったのだ。


「は、あぁ!?」


 血肉は残っていない。あるのは粉々に砕けた“左腕だったもの”だけだ。地面の血潮も同様に砕けていく。砕けた欠片は砂となり、奏斗の左腕はあっという間に無くなってしまった。


「何が、起きて……?」


 震えるのは奏斗の番になった。思考が混乱し始める。勇者のあの困惑は、この現象が起きないためのものだったのか。だとしても、この現象の意味が分からない。なぜこの現象を起こす必要があるのか。

 思いついたのは、『第三者によるもの』だった。勇者の狼狽えぶりを見るに、『自分で起こした』ものとは考えにくい。勇者もまた、誰かによって操られている駒でしかないのではないか。

 そう思うと、途端に奏斗は目の前の勇者が哀れに見えてきた。力を持っているがために利用され踊らされている勇者。彼自身がどう思おうとどう行動しようと、結局は利用する者の利益に還元される。

(俺に似ているのかもしれないな……)

 もちろん、明確な根拠がない憶測、妄想に過ぎず、真実とはほど遠いことを考えているかもしれない。自らの人生が操られている奏斗自身が、現実から逃げようとしたとも言えるだろう。 

 何にせよ、今成すことは一つ。

 勇者に勝利する。それだけだ。

 奏斗は魔金ノクラヒルの剣を召喚。剣を構える。大量に失った血は無理矢理召喚して補った。片腕がないハンデはあるが、何とかなると楽観的に考えておくことにする。


「いくぞ、勇者……!」


 勇者を見据え、いざ一歩踏み出そうとするとき、場違いな笑い声が発せられた。勇者だ。


「ははははっ!! そうだよな、そうだよなぁ!! ここはたかがゲームの世界。今のは単にラグっただけだ! 主人公はこのオレだ。NPCの雑魚に負けるはずがねぇ!!」


 突然叫び出す勇者。観客にはその真意など分かるはずもない。だが、奏斗は違った。


「ゲーム……? NPC? ……一体何を?」

「あぁ、雑魚には分からねぇだろうな。ともかくあれだ。さっさとオレに倒されてくれよ!!」


 勇者が突っ込む。不意打ちにも近いその動きは両者の距離を一瞬で詰め、剣と剣が交錯する。やはり大振りな勇者の剣筋は回避を容易なものにしてくれる。避けるだけではない。奏斗は最高硬度の剣を振るい、じわじわと勇者を追い詰めていく。

 だが、奏斗は思考を強いられていた。理由は勇者の言葉だ。NPCだのラグるだの、立派なゲーム用語が散りばめられていたそれは、勇者の正体を明かす答えのようなものだった。

(勇者は、オルフェリアの人間ではない……)

 ゲームの世界に飛び込んでハーレム作ったり魔王倒したり。中高生向けの小説で見かける題材だ。奏斗も少しだけ読んだことがある。楽しそうだなー、と当時は思っていたが実際に起こるとここまで迷惑なのかと辟易してしまう。そしてなにより、

(勇者は今まで『人を殺す』ことを自覚していなかった……!)

 勇者に付き従っていた3人の女性。勇者本人は恋愛イベント程度にしか思っていないのだろうが、彼女らのために勇者は500人弱の人を殺している。殺人を犯しているのだという自覚なしに。

 奏斗は戦慄した。彼も経験したことだが、『人を殺す』ことはどれほど重大な理由があっても正当化できない。半永久的に罪悪感、嫌悪感に囚われつづけるのだ。しかし勇者は、そもそも殺人行為に自覚を持たずに人を殺めた。

 無知ほど恐ろしいものはない。

 そのことを奏斗は今一度思い知らされた。


「許せないな……」


 自然と口から怒りが零れる。腸が煮えくり返るとはこのことを指すのか。灼熱の怒りが沸々と湧いてくる。打算などもはやどうでも良くなった。

 目の前の人間は勇者ではない。悪戯いたずらに力を振るう欲にまみれた愚者だ。高尚な精神など持ち合わせていない。


「現実を教えてやるよ、勇者。世界はお前が思ってるほど単純じゃない!」

「はっ! 雑魚が喚いてんじゃねえよ!!」


 左腕を刈り取った右からの水平な斬撃。奏斗はただ一つだけ、土属王級:《メシャータ》を発動させた。迫り来る大剣に奏斗は右腕をかざす。左腕同様に、右腕も斬り飛ばすかと思われた大剣は──


 奏斗の右腕に触れた瞬間、忽然と姿を消した。


 勇者が驚愕で目を見開き、観客がどよめく。奏斗以外、何が起きたか誰も解らなかった。

 大剣は砕けたわけでも、溶けたわけでもなく、文字通り“消えて”しまったのだ。奏斗は何をしたのか。簡単だ。《メシャータ》を大剣に発動させただけである。

 《メシャータ》は重力を操る魔法。従来は重力を操作して使用者の体重を増減するのが主な使い方であった。しかし、重力を操作するのなら、もっと多種多様な使い方があると奏斗は予測していた。大剣に発動した《メシャータ》は、大剣の重さをゼロにまで減らした。重さがゼロの物質など重力空間では存在しえない。大剣は物質でいられなくなり消えてしまった、というわけだ。物理法則がぶっ飛んだ超論理であるが、魔法は物理法則など当たり前のように無視してしまう。こじつけの論理とイメージさえあれば、魔法はどんな事でも可能にしてくれるのだ。


「おい、動きが止まってるぞ」


 戸惑う勇者に一言告げてから、奏斗は隙だらけの顔面を殴った。右拳で、ではない。左腕の断面を、である。グチャリと腐った果実が潰れるような音が鳴った。観客から悲鳴が聞こえる。激痛が走るが、構わず左腕を擦り付ける。肉が勇者の顔面を撫で、剥き出しの骨が顔面を傷付ける。

 勇者の動きは完全に止まっていた。

 左腕を顔面から離すと、勇者の顔面は鮮血で彩られ肉の欠片がこびりついていた。


「う、うあ。うわああああぁぁぁ!! ぁぁお。おえぁ、えぁぁ……!!」


 勇者の本能が拒絶反応を起こしたのだろう。勇者は絶叫しながら顔を何度も拭い、終いには嘔吐してしまった。観客が沈黙する。

 無様な勇者の肩に奏斗は手をおいて、


「生の感触は伝わったか? これが生きてるってことだ。そうそう、オマケもあるんだった」


 右手の剣を振り下ろす。狙いは左肩の間接部。堅固な鎧の穴を突いて、剣は皮膚や筋肉を切り裂き骨を割り砕く。だが、勇者の反応は薄い。


「痛覚遮断でもしてんのか。まったく、便利な体をしてやがる」


 悪態をつきながら、奏斗は膝蹴りを勇者の顎へと。無防備な勇者に易々と一撃は受け入れられ勇者の脳が揺れる。脳震盪により膝をつく勇者。

 決闘の勝敗は、明らかに決せられた。



 ●



 この世界はゲームだ。


 大雅がオルフェリアに訪れるきっかけを与えた、ある女性の言葉である。否、実際には人間であるかどうかは分からない。彼女は自分を『女神』と言っていたし、大雅もそれをすんなりと受け入れていた。自分のステータス画面があり、ある程度生物を殺せばレベルが上がる。信じない方が無理があった。異世界に迷い込むという非現実的な現象が、大雅を浮かれさせていたというのもあるだろう。

 大雅は自分のしたいことを思う存分実行した。弱者を助け、悪を懲らしめ、惚れた女性のために命をかけて戦ったのだ。荒唐無稽に聞こえるが、彼にはそれを叶えうる力があった。そんな彼はいつしか『勇者』と呼ばれるようになっていた。

 幾つもの屍の上に立っていることの自覚なしに。

 幸せだった。先の見えない不安だらけの学生生活を過ごしていたあの頃よりも。毎日人の視線に怯えながら窮屈に生きていたあの頃よりも。人々から慕われ、信頼され、女性を侍らす現状が堪らなく至福であった。

 しかしそれは、儚い幻でしかなかった。

 顔面を通して伝う血の匂い、味、肉骨の感触、腐った果実が潰れるような肉の押し付けられる音。そして視界を埋め尽くす切断された人体の腕の断面。五感が“生”に覆われる。

 勇者の頭のキャパシティを凌駕する情報量は、勇者をパニック状態に陥りさせた。虚構の世界が現実へと移り変わったのだ。

 肉体を壊す方法は星の数ほど存在するが、精神を壊す方法も同じように無数に存在する。その中でも、『信じていたものを否定される』ことは絶大な破壊力を持つだろう。“ゲームの世界”として納得していたものがすべて意味をなさなくなる。この世界は紛れもない現実であると体に叩き込まれてしまった。

 肩に手が触れた。何か言っている。直後に肩に衝撃。見ると、剣が肩に突き刺さっている。血が溢れだす。不思議なことに痛みはなかった。さらに、顎に衝撃。脳が揺れ、勇者の意識が曖昧になる。朦朧とした視界で捉えた決闘の相手は無表情だ。大雅にはその出で立ちが神々しくも禍々しくも見えた。

 音が聞こえる。何かが崩れていくような音だ。

(負ける……。オレが、勇者のオレが! ……ヤバい、勇者じゃ……、なくなる……)

 薄れる視界に最後に映り込んだもの。それは勝ったはずの相手の体から、剣が飛び出し鮮血が地を濡らすという奇怪な光景だった。



 ●



 勝敗は決した。勇者は戦う気力を無くし、奏斗は腕を失いながらも立っている。誰の目にもそれは明らかで、疑う余地は皆無である。だが、審判は決闘を終わらせてはいない。

 ティナは疑問に思うと同時に、背筋が寒くなるほどの嫌な予感に襲われた。


「なぜ……、でしょう? お兄ちゃんの勝ちですよね?」


 呟きに近いティナの言葉に穿真が答える。


「周りの目を伺っているんだろう」

「周りの……? 観客ですか?」

「それもあるけど一番は……、ほら、あそこ」


 穿真が顎で示したその先には、


「なるほど……。皇族ですか」

「皇子たっての願いで始まった決闘だからね。終わるにしても勝手に終わらすことはできない。つまりそれは──」

「まだ勝ち負けが決していない。そうじゃな?」


 呆れたようにシスカが言った。


「勇者はあんな状態ですよ? 戦うことなんて……」 

「私たち以外の人たちは勇者の負けなんて認めないでしょうね。

 おおかた、勇者の逆転劇でも期待してるんじゃない? それか……」

「それか?」


 仁菜の目線が横を向く。


「勇者のお仲間が助太刀する、とか?」

「まるでご主人様が悪者みたいに聞こえるわね……。助太刀とか決闘の意味無いじゃない」

「この際、決闘はどうでもいいんだよ。勇者が愚かな挑戦者に楽々と勝つ。それこそが望まれている展開だ」


 まぁ、その展開通りにさせないところは奏斗らしいけどね、と彼は付け足し、困ったように勇者の奏斗を見やる。


「しかし、どうするつもりだろうね。現実問題、勇者は無理なのに。あ、膝蹴りした」

「容赦ないのぉ……」

「怒ると奏斗も怖いからね……」


 その時、穿真に向かって一本の短剣が投げられた。短剣は目標の穿真の頭を突き刺す前に、鞘で遮られる。甲高い金属音をあげながら弾かれる短剣。


「……何のつもりだ」


 短剣を弾いた燈司から、殺気が迸る。今の投擲は、明らかに殺す気だった。威嚇行為などではない。


「別に……。邪魔してもらいたくなかったから」


 淡々と返すのは稀代の虐殺者マルダ。肩口まで無造作に伸びた赤黒い髪に、拘束着を着た彼女の姿は異質の一言につきるだろう。刀身の中に持ち手がついた、幅広の剣を携え燈司に近付いてくる。刀身は血を吸い、赤黒い。それだけで、マルダがどれほどの命を奪ったのかが知れた。


「邪魔? ……どういう意味だ」

「当然。勇者様を助ける。私は足止め。リトアナは勇者様の治療。ウルルは……」


 ティナは気づく。ウルルとリトアナが姿を消していることに。


「“アレ”を殺す」


 直後に歓声が爆発。ティナは闘技場へと目線を戻す。果たしてそこには──、


「お兄ちゃん!!」


 ウルルが闘技場に乱入し、背後から奏斗に剣を突き刺していた。それもただの剣ではない。子供の肩幅はあろうかと思えるほどの超幅広の大剣だ。

 大剣が引き抜かれる。

 忘れたように鮮血が奏斗の胸からへその辺りから噴き出す。内臓も断たれていることだろう。

 勇者との決闘で奏斗の疲労は限界だ。その上に重ねられた奇襲の一撃。痛烈な一撃は奏斗の意識を奪い奏斗は崩れ落ちる。だがウルルは剣を止めようとしない。処刑人のように剣を掲げ、重力を利用して首を裁断しにかかる。

 観客席を飛び出そうとするティナ。シャオンや仁菜も動き始めている。間に合わないと頭が判断しているが、それが動いてはならない理由にはならない。

(間に合って……)

 仮に間に合ったとしても、あの2人に勝てる見込みはない。しかしそれでも彼女は動く。


「止めておいた方が良いよ」


 冷酷に穿真が言った。ティナの覚悟を真っ向から否定するような言葉だ。


「引き留めないでください! 行かないとお兄ちゃんが……」

「言い方が甘かったかな? 行っても無駄だよ」


 感情の起伏を見せない穿真に、ティナは怒りを感じた。


「センマさんだって、お兄ちゃんの友人なんですよね!? 友人が殺されそうだっていうのに、あなたは指くわえて見ていろと言うんですか!!」


 怒りをぶつけるティナ。彼女の様子に穿真は軽く焦り、


「待って、一つ君は勘違いしている。……多分だけど」

「勘違い?」

「ああ、成り行きがどうであれ、僕と奏斗の付き合いは長い。だからこそ言えることがある。

 僕には、彼があのまま無抵抗にやられるなんて思えないよ」

「え……?」


 ウルルの剣が振り下ろされた。一切の躊躇無く振り抜かれた剣に血糊はついていない。刀身の半分が砕かれていたのだから。

 《メシャータ》を用いたのではない。純粋な拳一つが粉砕したのだ。

 ゆらりと奏斗が立ち上がる。腹を貫かれ意識のないはずの奏斗が、だ。

 お兄ちゃん、と嬌声をあげそうになるティナを重低の雄叫びが阻む。


「るぅぅぅがああぁぉぁ!!!」


 空気が震え、闘技場全体が激しく揺さぶられる。畏怖も雄々しさも妖しさもすべて兼ね備えた混沌の叫びは、人間の出せるものではない。魔物のそれと言った方が適切だろう。

 不気味に立ち上がった奏斗は顔をウルルに向けた。邪悪な紅き眼は、ウルルの足を縫いつけてしまう。

 剣を殴ったことで粉々になった奏斗の右拳の骨は、ビキビキと音を立てて元の姿に戻りつつある。断たれた左腕は徐々にではあるが再生していた。


「左腕が、再生している?」


 ティナの心には奏斗が立ち上がった喜びよりも、奏斗への畏怖の気持ちが強かった。奏斗は自分を治癒する魔法と契約していない。しかし現に奏斗の腕が再生している。

 おそらくだが、と穿真が推測を語る。


「召喚魔法で、自分の肉体を創りだしているんじゃないかな。いわば肉体の複製をしているんだ」

「そんなことできるんですか?」

「普通の人間の思考回路なら考え出すことなどできないだろうね。だが、相手は君の兄、奏斗だ。昔からだが、あいつの思考はぶっ飛んでいる。ましてや、あんな状態なら……」


 再生が完了した奏斗が、ウルルに向き直る。お互いの距離は手を伸ばせば届きそうなほど近く、ウルルの剣の殺傷範囲内だ。それでも、彼女は動けない。圧倒的の力を前にした、蛇ににらまれた蛙の様相だ。

 奏斗は動かない。ウルルの動きを見計らっているのだろう。先手を許しても勝つことができるという余裕の表れである。

 静謐が積み重ねられ、ついにウルルが緊張から脱した。烈迫の叫びを放ちながら、横薙ぎに剣を振るう。しかし剣を動かした初動の際にはすでに、奏斗はウルルの視界から外れていた。


「なっ……!」


 驚愕に少し遅れて激痛が走る。痛みの元は右太もも。奏斗の貫手が騎士用の分厚い鎧を貫通し、皮膚、筋肉を引き裂いて骨まで到達していた。

 だが、激痛程度で騎士を陥れることはできない。

 強靭な忍耐力で痛みに耐えつつ、ウルルは剣を下に向け奏斗へと突きだす。刀身は欠けているが、それでも殺傷力は有り余る。

 さらに激痛。奏斗の腕は尚も肉を抉っていき、ついに指先が骨が撫でる。

 ウルルの動きに躊躇が見られた。騎士の直感が何かを感じ取ったのかもしれない。一瞬の逡巡の後に、女騎士は剣の刺突を敢行し続けた。

 同時に、奏斗の緩慢な動きが一気に加速した。肉を掻き分け、手がウルルの大腿骨を掴む。そのまま奏斗は、膂力のすべてを持って腕を引き抜いた。


「ひっ、ああああぁぁぁぁ!!」


 激痛がウルルの耐えうる限界を突破し、彼女を絶叫させる。

 膝と股関節、両方の関節が奏斗の力で強引に外され、大腿骨は半分に折られた。血で濡れた奏斗の手の中には、骨の欠片が握られていた。

 支えを失い、倒れゆくウルル。奏斗は彼女の髪を掴んで無理やり立たせる。美しい金の髪が、紅に染まる。

 自重で髪は強引に抜かれる。ウルルは歯を食いしばって痛みに耐えるが、彼女は見てしまった。

 奏斗は笑っていたのだ。嘲笑や苦笑ではなく、心底楽しそうに純粋な笑みだ。


「かンたんニ、死ねルと思うナよ?」


 がらりと変わった口調は、奏斗の精神のたがが外れたのか、人格が変わったのか──勇者と剣を交えていた奏斗とは違うナニカであることを教えてくれる。

 左手でウルルの髪を掴んだまま奏斗は右手に拳を形成。ウルルの腹を殴る。


「ひあっ……!!」


 やはり拳は堅固な鎧を破壊し、ウルルの腹までも貫通した。皮膚、脂肪、筋肉の奥には小腸が控えている。

 拳を引き抜く。血をまとった拳は赤くて細長い管、つまり小腸を握っていた。


「まだ、ダ。まダ足りネぇ!!」


 それだけに飽きたらず、奏斗は何度も拳をウルルの身体に埋没させ、骨を砕き内臓を引き出す。鎧はもはや意味をなさず、穴の数が次々と増していく。

 通常の人間なら、確実に死ねる。だが、ウルルは騎士。魔法による肉体強化や肉体改造が当たり前の彼女はこの程度では死ねない。頑丈さが初めて仇となった。

 繰り返される激痛は、法で定められた拷問よりも遥かに辛く、精神を容赦なく削り取る。いつしかウルルの目には涙が浮かんでいた。


「もう、許してっ! あなたと関わらないから謝るから、だから、だから、殺さないでくださいっ!!」


 請願は、奏斗の耳に届いた。だからこそ奏斗は殴ることを止めない。


「ひどい……」


 突然の惨劇に身体は硬直しきっていた。残酷な光景にティナは目を背ける。ウルルの姿もひどいが、それを行っているのが奏斗だという現実を認めたくはなかった。


「……どうなっている?」


 マルダの相手をしていた燈司が尋ねた。眉間に深いシワを刻んでいる。マルダは燈司の手によって、すでに意識を失って拘束されていた。


「終わったのかい?」

「……あれでは、殺さないようにするのが手一杯だ。

 状況は……?」

「今までの鬱憤晴らし……、にしてはやりすぎだ。それに奏斗はあそこまで残忍な性格じゃない。

 けどまぁ、事実は事実だ」

「お兄ちゃんの本心ではないはずです! あんな優しいお兄ちゃんが、あんな残酷なことを……」

「後で話は聞くとして、今は止めることが第一かのぅ」


 シスカが提示する解決案。しかしそのハードルは高すぎる。それを自覚しているのか、シスカは難しい顔をしている。


「でも、お兄ちゃんの実力は……」

「分かっておる。束になってかかったところで瞬殺されるのがオチじゃ。そうなると……、トウジいけるかの?」


 全員の視線が燈司に集中する。燈司は首を横に振って答えた。


「……残念ながら、俺は手加減ができない。俺がいけば……、奏斗を殺してしまうだろうな……」

「だと思った。じゃ、僕がいくよ。異論はないよね?」

「えっ? トウジさんもセンマさんも、お兄ちゃんより強いんですか?」


 驚愕するティナ。仁菜やシャオンも同じように衝撃を受けていた。正直、目の前の少年に体力を酷使する近接戦闘ができる気がしない。後衛から魔法を繰り出す姿なら安易に想像できるが。


「いつもの彼ならともかく、理性をなくした今なら勝てるだろうね。後衛で近接戦闘は専門外だけど、ま、奏斗ぐらいなら何とかできるよ」


 歴然とした力の差に、ティナは言葉を失ってしまった。お兄ちゃん至上主義の彼女にとっては、なかなか受け入れがたい真実だ。


「さて、無駄話をしてる間にウルルが肉塊になりかねないしいこうかな」


 声音はまるで散歩に出かけるような穏やかさで、闘いをしにいく者のものとは思えない。


「我らが父よ。力を貸してもらおうか」


 言葉が始まるとともに、魔力が爆発。周囲の魔力濃度が上昇する。黒いローブには、10の球とそれらをつなぐ22の柱の模様が浮かび上がった。

 詠唱は続く。


「我は父を認識し、理解し、父に仕えよう。全てを調和させよう。だから父よ、その御身の力、我に委ねてくれまいか」


 詠唱が終わる。頼りなさげな痩躯の少年は神の力の一端を仮借したのだ。ティナには分からなかったが、ローブに浮かんだ模様はカバラのセフィロトの樹。神を理解するために体系化されたものだ。言うまでもなく、オルフェリアの魔法ではない。地球の魔法だ。

 神を理解するということは、突き詰めていけば神のすべてを把握し、神自体になりきることも可能になる。現実には幾重もの手順を踏まねばならないが、簡略化して神の力の一部を利用してもその効果は絶大だ。

 穿真は観客席から跳躍。闘技場に躍り出る。そこから一歩で奏斗の元へとたどり着く。


「悪いね奏斗。一発殴らせてくれ」


 砲弾を撃ち出すような轟音が闘技場を揺らす。音速を超し、空気を切り裂いた拳が奏斗の腹を打撃。一撃で奏斗の意識を刈り取った。


「これぐらいやらないと、気絶しないでしょ? 戦闘狂種バーサーカーのほうの君はさ」


 返事はない。意識もないのだから当然だろう。

 目線を横へ。胴体が原形をとどめていないウルルは冷たくなっていた。死因は色々と予測はできるが、最悪の死に方であるのは確かである。

 さらに視線を奥へ向けると、勇者を介抱するリトアナがいた。目は奏斗を睨みつけ憎悪の色に染まりきっている。

 大変だね、と友人に同情しつつ、彼は観客を見渡す。

 観客はひたすらに沈黙しており、歓声も罵声も起こらない。あるのは恐怖、畏怖の念。対象は間違いなく奏斗だ。

 審判が出てくる様子はない。どこかに隠れてしまったのか。


「面倒くさいなぁ……」


 溜め息をつき、気を取りなおして彼は宣言する。


「以上で決闘は終わりだ! 勝敗は引き分けとする! なお、この決闘の内容を他人に話してはならない!! 違反した者には、皇により裁きが下されるであろう!!」


 穿真は空を見上げる。反吐が出そうになるほど、空は澄み渡り蒼かった。


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