第23話 地球と異世界
「寒い……。上着持ってくればよかったか?」
谷に入ってどれくらい経ったろうか。
日の光も遠くなり、肌寒さを感じてきたが、まだまだ底は見えてこない。
「お兄ちゃん……。他に方法ないんですかぁ……」
膝を震わせながら、ティナが不満を訴える。
奏斗が採った方法は実にシンプルだ。飛び降りて、《ヴァイセ》を展開し、着地。それを繰り返すだけ。
《ヴァイセ》は反発力を操る魔法。それはつまり、増幅させるだけでなく、減衰させることも可能であることを指している。奏斗が利用したのは後者。落下の衝撃を抑えながら谷を降下(実際は落下)していくのだ。
……ただ、展開のタイミングを見失うと、《ヴァイセ》が衝撃を緩和しきれなくなるというリスクはあるが。
「と言われても……」
谷の両側はまさに断崖絶壁。地面とほぼ垂直な岩肌が、果てしなく続いている。
「これ以外に方法無いだろ?」
「階段があるって書いてましたよ!」
「それはそれで怖い気が……」
奏斗にも、ティナの気持ちは充分理解できる。
なにせ、足元は《ヴァイセ》のみ。少しでもバランスを崩すか、展開のタイミングの間違えば、暗い谷底へ真っ逆さまだ。すぐさま《ヴァイセ》を使えばいいのだが、実際にはパニックに陥り、そんなことができる余裕はないだろう。
奏斗自身、そんな余裕はない。
「何度も言うが、背負ってやろうか?」
だからこそ気を使うのだが、
「いいです!これくらい自分でできますから!」
と、ふるえ声で拒否されてしまう。
何がティナをそうさせるのかは、奏斗には皆目見当がつかない。
(危なっかしいな……)
ただ今は、見守ることしか彼にはできなかった。
●
内臓の浮遊感にいい加減耐えきれなくなる頃、日の光も届かないほどの深さに達した。たまらず照明魔法で照らすと、谷底がようやく見えてきた。
(しかし、なんだ?空気が濃いというか、力が漲るというか……?)
その違和の正体は程なくして知ることとなる。
谷底は真中を川が通り、両側は足場となる岩場だ。横の広さは地上の裂け目の長さと同程度か。
(現実的に見れば、長い年月をかけて川が地面を削っていった、というところか?グランドキャニオンでもあのくらいだ。……一体何年かかったんだか)
やはりここは異世界なのだ、と再認識させられる。スケールが段違いだ。
「お兄ちゃん、川流れてますよ。こんな深いところでも川ってあるんですね~」
谷底にたどり着いたティナの第一声がそれだった。
どんなものか、と川に手を入れる。
流れはどうか、水は冷たいのかはたまた熱いのか。その程度のことを確認するつもりだったが──
「え……?」
どういう訳か、“水”は奏斗の手をすり抜けた。というか、感覚が無いのだ。流水の感覚が。
「なんだこれ?水じゃない……?」
「“魔力の流れ”といえばよろしいでしょうか?」
告げられた言葉の源は、ティナではなかった。振り返ると、奏斗の遥か後方に青色の髪を地に着くまで伸ばした女性がいた。
「なっ……!」
美しかった。
切れ長の目、整った鼻筋、形のよい唇などの容姿はもちろんのこと、まとう雰囲気や衣服さえ。奏斗が見たこともない美しさがそこにあった。
「ウンディーネ、か?なるほど。さすが神に創られただけはある」
敬称は省略。無駄に頭を使いたくはない。そんな奏斗にウンディーネは気を悪くすることなく、
「久しぶりの人間は、お世辞が上手いのですのね?」
「ま、魔力の流れって何でしょう……?」
「あらあら、こちらは好奇心が旺盛なことで」
「す、すいません!」
「謝ることはありません。むしろ誇るべきです。万物の真理を突き止めるのは、人間にしかできない所業ですもの」
慈母のように微笑むと、長い髪を揺らしながら、こちらに近づく。その一挙手一投足が絵になり、見るものすべての心を奪うことだろう。
「この川は、魔力の川。知っていますか?魔力はふだんは不可視ですが、密度が濃くなると可視化することを」
「魔力の飽和……」
「ええ、その通り。これがさらに濃くなるとあなた方のよく使う、魔晶石となるのですわ。
いま、この空間には魔力が限界まで満ちていますの」
(それでか……)
奏斗が感じた違和は魔力だったのだ。
そう納得すると共に、新たな疑問が湧き出る。
「なぜ、こんなことを?」
「かつて、主が世界を創造したとき、世界は魔力で満ちていましたわ。しかし、今は違います。魔力が大地に浸透してしまった。
私たち精霊の身体は、魔力が飽和していないと存在することができません」
「難儀なものだ……」
「まったくです。さて、この谷を降りてきたということは私たちに用がおありになるでしょう?
詳しくは中で。さあ、こちらです」
踵を返すかと思えば、彼女は奏斗に近づき、
「歓迎しますわ。“地球のお方”」
耳元で静かにささやいた。
(は?)
驚愕で硬直した奏斗を尻目に、彼女は魔力の川を渡っていく。
「あっちだったんですね。
……お兄ちゃん?どうかしました?」
そんな奏斗を不審に思ったか、ティナが尋ねた。
「いや、なんでもないよ?」
しまった、と彼は心の中で毒づく。あまりの焦りで声がうわずってしまった。しかも疑問形だ。何もないほうが不自然である。
「なら、早く行きましょう?あの人川渡りきりそうです」
「そ、そうだな!」
しかし、予想に反してティナはそれ以上の追求をする事はなかった。動揺を悟られなかったというよりも、気を使われたのだ。
(情けない兄だ……)
自虐しながらも、
(地球のお方、か。一体どうなってる?)
彼女は何かしらの真実を知っている。そんな確信を奏斗は胸に抱いた。
●
そこは、洞窟だった。
しかし、壁面は岩肌ではなく碧く煌めく魔晶石である。 奥には大きなホールが広がり、多くのウンディーネが彼らを出迎えた。
「数百年は人間が来ていませんの。喜ぶのも無理はありませんわ。
さて、早速話を進めたいところですが──」
「分かっています。女人禁制、ですね?」
ウンディーネに向けられる視線に、ティナは毅然と答える。
「では、あなた方が帰るまで、彼女は別室ということで」
「……監禁か?」
思わず声に威嚇の念がこもってしまう。
「いえいえ、そういうわけではありませんわ。彼女に害を加えるつもりはまったく」
「大丈夫ですよ。あの本にもそんな事は書いてありませんし」
「……なら、良いが」
渋々、彼は了承する。いっては何だが実際都合が良い。地球の話をティナに聞かせようがないのだ。
そうしてティナが視界から消え、
「欲しいのは何ですの?力?知識?」
「その両方だ」
迷いのない奏斗の発言にウンディーネは満足そうに微笑んだ。
●
「まず、何をしましょう?」
用意された部屋は、すべてが魔晶石で構成されていた。碧の光の中で奏斗は尋ねる。
「この世界そのものを知りたい。細かく言えば、神々が追い出された“とある地”についてだ」
「答はわかっているのでしょう?」
「あくまで憶測だ。証拠が欲しい」
「では、正解を。
“とある地”とは地球ですわ」
「やはり……。では、神々とは?」
「いちいち答えるのが面倒なので、すべて話しますわね。
太古の昔──人間が文明を形作った頃、地球は魔力で満ちていましたの。今のオルフェリアのように。
ですが、全員が魔法を使える訳ではなかった」
「魔法を使える一部の人間。それが神?いや、異能力者といったほうが正しいか」
ウンディーネはほほえみ、
「ええ、当たりです。彼らは崇められ、各地の伝承に記録されましたわ」
「それが神話……」
「しかし、力を持つ彼らは次第に自らの力を恐れるようになります。魔法で都市を壊滅させた者や力を持つ者同士の戦争も何度かありましたし。
そして魔法によって創られた彼らの新たな世界が──」
「ここ、オルフェリアってことか」
はい、と彼女は一呼吸置き、
「オルフェリアが創られてからも、彼らは地球との交流を続けましたの。そのため、オルフェリアの存在自体も各地の伝承に遺っているはずですわ」
「ギリシャ神話のオリュンポス、日本の高天原……。“神の住まう地”として確かにあるな。キリスト教のエデンの園もか?」
奏斗の反応にウンディーネは意外だったのか、キョトンと面食らった顔をしている。
「ずいぶん知っていますのね……」
「一応文系だからな。人文学志望だし」
「?」
さっきよりも、さらに困惑しているようだ。
「ま、まあ、続けますわね。
そうして、長い間彼らは人間と共存してきましたの。
ですが、ある時、魔法を使える一人の者が人間に多大な影響を与えます」
「神の子、イエス・キリスト……」
「ほんっとうに知っていますのね!話が早くて助かりますわ!ええ!」
「なんかムキになってる!?」
数度深呼吸をしてから、彼女は再び優雅さを取り戻し、
「奇跡を起こし、生き返る。
それを目の当たりにした人々は熱狂し、宗教にさえなりましたわ。
これにより、彼らと人間との共存関係は崩れました」
「キリスト教が迫害したんだな。異教という名目で。そして、神々はオルフェリアに隠居したわけだ」
「そういうことですの」
ようやく話が終わり、奏斗はほう、と息をつく。
(なんというか、驚くしかない……)
となると、『召喚者』の存在意義も分かるような気がする。おそらく、地球に残った神々もいたはずだ。彼らがオルフェリアの仲間を心配して『召喚者』を派遣したとなれば筋が通る。
だが、ウンディーネの話はまだ終わらない。彼女はですから、と言を紡ぎ、
「私たちには使命があります。いくら時が流れようとも、必ず地球に帰るという使命が」
「なに……?その時、オルフェリアはどうなる?」
「崩壊しますわね。ここは所詮、神々の隠れ家。何時までも存在していいものではないのです。
幻想の世界……、それがオルフェリアの真の姿」
「しかし、それを知っている人間などいるのか?」
現に、オルフェリアに来てからそんな事を口にしている者に会ったことがない。全人類の意思というわけではないのだろう。
「それは私が知るところではありません。ですがまあ、神の意志は不撓不屈。途絶えることなど無いでしょう」
「分かるものには分かるということか……。気に食わないな」
世界を裏から操っている。そのような話は奏斗が最も嫌いな分野のものだ。
(そういう陰謀だとか秘密結社は嫌いだ)
「どう思うかは自由ですわ。ひとまず、これで話は終わりです。質問あります?」
学校の授業じゃないんだから、と奏斗は苦笑し、
「じゃ、質問だ。ウンディーネや他の精霊はいつ創られたんだ?」
「神々がオルフェリアを創造する前ですわ。ちなみに、ごく少数は地球に残っていますの」
「そういうことか……」
ずっと頭に引っかかっていたのだ。なぜ有史以前に創られた精霊が、ルネサンス期になって出てきたのか?
地球に一部が残ったというのなら、大体の予想はつく。
にしても。と奏斗はしみじみと感じる。
(今の話からすると、神話や聖書の内容が空想ではないことなる……。いまいち実感できんな。
アイツに話したらどんな反応をするか……)
脳裏に宮崎の顔が浮かぶ。
彼の中二病はそれこそ神話や聖書の内容に感化されたものだったはずだ。そのため眼帯をしたり包帯を巻いたりなどせず、聖書や叙事詩の一節をブツブツ唱えたりルーン文字やらヒエログリフを書き連ねたりなど、通常の中二病とは毛並みが異なっていた。
(懐かしいな……)
最後にあったのはいつだったか、そんな懐古の念に苛まれる。
「“知識”は得ました?」
「充分だ。次は“力”を頼む」
●
時を同じくして別室。
ティナの側には、数人のウンディーネがいた。どこかそわそわした様子だ。
(わたしの見張りということですか。ま、悪いことするつもりは少しもないですけど)
今ごろ、奏斗は四祖精霊魔法を伝授されているはずだ。そう思うと、思わず歯噛みしてしまう。
(お兄ちゃんはさらに強くなってわたしはそのまま……)
無論、それを承知でここまで来たのだ。自分が四祖精霊魔法を教われないことなど、本を読んだ時点で分かっている。
だが、彼女には考えがあった。
(やらないよりは、マシ……ですよね!)
「あの!」
突然話しかけられたためか、ウンディーネは驚いた様子で、
「な、なんだ?」
少しぞんざいな態度に多少怯みつつも、彼女は続ける。
「戦い方、教えてください!!」
ウンディーネたちは互いに顔を見合わせ、
「はい?」
(ああ!気持ちが先走っちゃいました!そうじゃなくて、えーと、えーと……)
コホンと軽く咳払い一つ。
「ウンディーネの方々ってすごい長生きされてるんですよね。よかったら色々教えて頂けたらなぁ~って。ほら、待ってるだけで暇ですし!」
少々早口なティナの言葉を受け、ウンディーネたちはこそこそと話し合う。
「ど、どないします?」
「久しぶりの人間ですし、長も結構気に入ってるみたいですし、なにしろ可哀想ですよ」
「長の機嫌損なえば、最悪ありつけないかもしれへん」
「そ、それくらいわかってるよ!あの子に知識を与える!それで良いな?」
「「さんせーい」」
(声だだ漏れですけど良いんでしょうか?)
思っても、空気を読んで態度には出さない。しゃべり方変な人いますね、などと平静を保っていると、
「アンタの言うことは最もだ。だが、1つ条件がある」
「な、何でしょう?」
ゴクリと緊張で喉が鳴る。
「あたしのことを“師匠”って呼べ!」
「はい、師匠!」
「よぉし!ごぉかーく!!」
(何でしょう、この胸にくる台無し感は。
もうちょっと、まともな人が良かったです……)
課せられたハードルは低くどことなく不安は残るが、ティナの目論見は成功した。




