第8章 初めての違和感
美咲とのデート当日。
僕は愛車のハイラックスサーフを走らせ、待ち合わせ場所へと向かった。
指定された場所は、いつか6人でバカ騒ぎをした、あの古びた児童公園だ。
待ち合わせ時間より少し早く到着した僕は、エンジンの音を殺し、車内からぼんやりと公園を眺めていた。
昼下がりの公園では、母親らしき二人の女性と、5人ほどの小さな子供たちが「ワー!」と奇声を上げながら元気に駆け回っていた。
ブランコで楽しそうに揺れる子供の姿を見て、僕はふと、あの夜の美咲を思い出した。
(「あ〜〜〜!! チューしたい!!!!」)
夜の公園に響き渡った、あの衝撃的な叫び声。
あまりの突然さに固まった僕らと、調子に乗って即座にビンタを食らっていた岡下。
思い出すだけで、思わず吹き出してしまう。
そんな記憶に浸っていた、その時だった。
カチャッ!
助手席のドアが、いきなり荒々しく開いた。
「早く出して!!」
慌てふためいた表情の美咲が飛び込んでくるなり、叫んだ。
僕は驚き、反射的にアクセルを踏み込んでサーフを急発進させた。
「どうしたん、いきなり!? びっくりするやん!」
「いや……お母さんが『どこ行くの?』ってうるさくて……逃げるように家出てきたから……」
美咲は少し言いにくそうにしながらも、ホッと胸をなで下ろした。
「そうなん? なんか用事でもあったん?」
「そうじゃないんやけど……家がうるさくて。ほら、男の人とデートなんて……なかなか言えない環境なんよ」
へぇ〜、と思いながらも、僕はそれ以上深くは突っ込まなかった。
そのまま車を走らせているうちに、そんなトラブルもすっかり忘れ、車内では息つく暇もないほど会話が弾んだ。
映画館までの道のりは、車で40分ほど。
だが、その40分が驚くほど短く感じられた。
(……なんやろ、この感覚)
由奈ちゃんといる時とは、どこか明確に違う、不思議な感覚だった。
映画館に着くと、美咲は「何見ようか〜!」と目をキラキラと輝かせながら、館内を見渡していた。
……正直に言うと、僕はこの日、二人で何の映画を見たのか、まったく覚えていない。
悪気はないのだが、記憶からきれいに抜け落ちているのだ。
覚えているのは、ただ、二人でやたらとはしゃいでいたことだけだった。
映画を観終えた後、カフェでお茶を飲みながら喋り倒した。
ふと時計を見ると、時刻はすでに夜の19時を回っていた。
「まだ帰らなくても大丈夫なん?」
一応声をかけると、美咲は「あ……もうこんな時間か……」と、心底残念そうにつぶやいた。
「門限とかあるの?」
「22時……。言っても、お母さんが知ってる子と遊ぶんやったら門限なんか関係ないねんけど……」
なるほど。家が厳しいのだなと納得した。
今いる場所から美咲の自宅までは、車で1時間以上かかる。
お腹もすいてくる時間帯だ。
「じゃあ、パスタでも食べて帰るか?」
「うん! 行く!」
あまり時間もなかったので、僕はアクセルを踏み込む足に少し力を込め、食事へと向かった。
楽しくパスタを平らげ、車を急がせた甲斐もあって、なんとか門限直前の22時前に、あの児童公園へ到着することができた。
まだ少し時間に余裕があったので、エンジンをかけたまま、僕らは車内で夜の公園を眺めながら話をした。
「この前カラオケ行った時や、この公園でなんか叫んでなかった? 『チューしたい!』って」
僕がからかうように尋ねると、美咲は恥ずかしがる様子もなく、開き直ったように言った。
「だって、したかったんやもん!」
「え? 岡下と?」
「なんでやねん!」
間髪入れずに、鋭いツッコミが飛んできた。
「じゃあ、誰としたかったん?」
「誰かと!」
「だから、その『誰か』って誰なん?」
「誰でもない! する相手がおらんから叫んだの!」
少しきつめの口調で言い返され、「そっか……」と僕は苦笑いした。
「てかみーって、この前カラオケ行った男の中で誰かタイプっておらんかったん?」
「ん〜……直樹くんは合いそうにないし……岡……なんやっけ?」
「岡下ね」
岡下よ、お前はここでも名前すら忘れ去られているぞ。
僕は心の中で笑った。
「岡下くんは無理かな」
そりゃそうやろ。
あんな猿……いや、猿以下のやつ……。
そう言いかけたが、なんとかこらえた。
そして僕は、その場の流れで、ふと口にしてしまった。
「……じゃあ、俺は?」
言った瞬間、
(あ……これ、もしや取り返しのつかないことを言ったのでは……)
冷や汗が流れた。
すると美咲は、僕の予想をはるかに裏切る返答を口にしたのだ。
「武人くんは……なんか、付き合ったら苦労しそう」
「え? なんで苦労しそうなん?」
聞き返すと、美咲は僕の方へ体を向き直し、真顔で言い放った。
「だって……遊び人やから!」
僕はぐうの音も出なかった。
返す言葉がない。
自分でも認める、自他ともに認める遊び人だ。
なんなら、遊び人界の中でも上位クラスに君臨しているという自負すらあった。
「そ、そんなことないよ〜! そういう風に見えるだけやって!」
必死に弁明する僕に、美咲はニヤリと笑った。
「でも、由奈ちゃんとも二人で遊んだんやろ? 張り込み」
(うわ、出た!! 情報筒抜けやんけ……!)
だが、ここで怯むわけにはいかない。
「あれは探偵の見学みたいなもん!デートなんてもんじゃなかったよ!」
僕が笑い飛ばすと、美咲は思いがけない言葉を口にした。
「……でも、由奈ちゃんは武人くんのこと、気に入ってるみたいやで」
「え……!?」
予想外すぎる回答に、僕の頭の中で激震が走った。
(え? マジで……? じゃあ、あの時、僕が強引にホテル誘ってたら……行けてたってこと!? マジで言ってるの……!?)
脳内で雑念が爆発しそうになったが、なんとか平常心を装い、
「そんなことないよ、絶対!」
と首を振った。
すると美咲は、助手席のドアノブを握り、カチャリとドアを開けながら言った。
「あるんやな〜、それが……」
そして車から降りる際、振り返ってニッコリと笑った。
「じゃあ、今日はありがとうね! また遊ぼ!」
「おう、気をつけてな」
僕は美咲の姿が見えなくなるまで、車内から見守っていた。
……のだが、その去り際を見て、僕は首を傾げた。
(ん……? なんかヘンやぞ……?)
美咲はまるで忍者のように、近所の物陰や黒い影に身を隠しながら、コソコソと自宅へ歩いていたのだ。
おそらく、お母さんや近所の人に見つからないように帰るための、彼女なりの自衛手段なのだろう。
黒い影に紛れて動くその姿が忍者のようで可笑しくて、僕は少し笑ってしまった。
ふと時計を見ると、すでに23時を回っていた。
門限を過ぎても、結構な時間、車内で話していたのだ。
僕はサーフのアクセルを踏み、帰路についた。
夜の堺市内の道路を運転しながら、胸の中にモヤモヤとした「奇妙な違和感」が広がっていくのを感じていた。
(……なんなんやろ、この感じ)
今までに一度も味わったことのない、謎の違和感。
車を走らせながら、僕はハッと気づいた。
そうか……。
今日の僕は、女の子と二人きりでデートしておきながら、「ホテルに行こう」という気がまったく起きなかったのだ。
起きなかったどころか、そんな選択肢すら頭に思い浮かびもしなかった。
なんなんだ、この感情は……?
もしかして、これが……これが本当の「デート」というやつなのか……?
夜の街灯が、サーフのフロントガラスを静かに流れていくだけだった——。




