第9章 湾岸線の夜景
あれから数日が経ち、僕と美咲は頻繁に会う仲になっていた。
これは、僕にとって非常に珍しいことだった。今までなら、一人の女の子だけで満足することなどなかった。同じ子と何度も遊びに行くような真似は、ほとんどしなかったからだ。
まだ体の関係を持っていないからなのか、自分でも理由はよく分からなかった。
男によって、タイプは分かれると思う。
まず体の関係を持ち、お互いのすべてを知ってから付き合うタイプ。
あるいは、デートを何度も重ねて、ようやく体の関係を持ち、付き合うタイプ。
僕の場合は、間違いなく前者だった。まず体でつながってから、その後のことを考えるタイプだ。
……まあ、それで真剣に付き合ったことなど、これまでの人生でミキの一回しかなかったのだが。
そのミキとは、今でも連絡だけは取り合っていた。たまにご飯を食べに行くこともあった。
だが、それ以上の関係に戻ることは一度もなかった。
今日はこれから、美咲と出かける予定になっている。
今日のデートは、いつもと少し違っていた。
晩ご飯を食べたあと、阪神高速4号湾岸線をドライブして、できて間もない関西国際空港まで見に行こうという話になっていたのだ。
阪神高速4号湾岸線は、天保山から泉佐野のりんくうJCTへと至るルートで、もちろん地元の堺からも乗ることができる。
当時は、関西国際空港が開港して間もない頃だった。本線と関空をつなぐ「関空大橋」は、言葉を失うほど美しかった。当時の若者たちにとって、最高のデートスポットだったのだ。
……ここだけの話、本当はやってはいけないことなのだが。
この日、僕は記念に、手元にあったサーフブランド「RUSTY」のステッカーに、僕と美咲の名前をマジックで書き込み、関空大橋の外側の目立たない場所にこっそり貼り付けた。
信じられないかもしれないが、数十年が経った今でも、あのステッカーはまだあそこに残っている。
待ち合わせ場所は、いつもの古びた児童公園だった。
こうして美咲をサーフで迎えに来るのも、もう4回目くらいになるだろうか。
しばらく車内で待っていると、美咲が片手にコンビニの袋を下げて乗り込んできた。
「おつかれ〜!」
「おう。なにその荷物?」
「あ〜これ? ほら、ドライブ言ったらお菓子とジュースやろ? 買ってきた! あと、タバコも! はいっ」
差し出されたのは、なんとタバコ1カートンだった。
「あ……ありがとう……」
まさかカートンで買ってくるとは。相変わらず豪快な奴だ。
美咲自身はタバコを吸わない。それなのに、待ち合わせのたびに、毎回必ず僕のタバコを買ってきてくれていた。
気配りのできる、すごく優しい子であることは間違いなかった。
(今回は1カートンか……次は段ボールごとか?)
そんなバカなことを考えながら、僕はサーフを走らせた。
まずは近くの「びっくりドンキー」で食事を済ませ、いよいよ夜のドライブの始まりだ。
阪神高速の大浜入口から湾岸線に入る。
夜の高速道路は、昼間とはまったく違う輝きを放っていた。
実は、阪神高速4号線には、もう一つ有名なスポットがある。
堺泉北臨海工業地帯の工場夜景だ。
高速道路から見下ろす工場群。無数のプラントの光が輝き、どこか神秘的ですらあった。
「綺麗やな〜……」
二人で感心しながら速度を落とし、ゆっくりと光の海を鑑賞した。
ふと横を見ると、美咲が両手で小さな筒状のものを開けようとしていた。
「なにそれ?」
「ガム。食べる?」
僕の返事を待つこともなく、美咲はひょいとガムを僕の口に放り込んできた。
急に距離が近くなったようで、少し照れくさかった。
だが、当の美咲は何も気にしていない様子で、必死に窓の外の夜景を見つめていた。
しばらく走ると、料金所が見えてきた。
当時はETCなど存在せず、すべて現金払いだった。どの料金所でも渋滞が発生し、大阪の吹田料金所など、ひどいときには1時間以上待たされることも珍しくなかった。
料金所の手前で、胸の内ポケットから財布を出そうとした。
すると、横からスッと手が伸びてきた。
「はい」
美咲が千円札を差し出してきたのだ。
「え? いいよ! 俺が払うから!」
「そういう問題じゃなくて、運転中に財布出しにくいやろ? だから出してるの!」
なんて気の利く子なんだろう。
直樹とは大違いだ。
「……ありがとう」
お礼を言って千円札を受け取り、スムーズに料金所を通過した。
お釣りと領収書を受け取ると、美咲はすぐにそれを僕の手から受け取ってくれた。少しでも僕の運転の邪魔にならないようにという配慮だろう。
「領収書はいらんなぁ〜。これ経費で落とせるんじゃない? あげる(笑)」
笑いながら、領収書をカップホルダーに入れてくれた。
料金所を抜けると、関空大橋までの直線道路が続いていた。
高速道路の街灯だけが、夜の闇の中を次々と後ろへ駆け抜けていく。
「コーラ飲む?」
美咲が聞いてきた。
「飲む!」
そう答えると、缶ごとポイッと膝の上に渡された。
(……缶は転がって運転席の足元へ。そこは開けてくれへんのかい!)
心の中で突っ込んでいた、そのときだった。
「冗談、冗談!」
美咲が笑いながら手を伸ばし、僕の足元からコーラを拾い上げてくれた。
その瞬間——。
美咲の胸が、ほんのわずかに僕の膝に触れた。
(……やわらかい……!!)
お〜〜〜い!! もう一回プリーズ!!
思っていた以上の豊かな感触に、僕の中の「野生の俺」が一瞬で目を覚ました。
だが、感動に浸る間もなく——。
プシューッ!!
コーラが開けられた瞬間、中身が勢いよく噴き出した!
よりによって、缶の飲み口は僕の方を向いていた。見事な放水を描いて、コーラが僕の顔面に直撃した。
「うぉぉぉっ!? 何してんねん!!」
「ごめんごめん!(爆笑)」
美咲の手もコーラでびしょ濡れになった。
手が滑ったのか、カップホルダーに戻そうとした缶が横倒しになり、車内にコーラが一面に撒き散らされた。
「おおい!! 大惨事やないかー!!」
叫ぶ僕を見て、美咲は腹を抱えて大爆笑していた。
そんなアクシデントを乗り越え、ついに関空大橋の料金所にたどり着いた。
当時の関空大橋の通行料は、かなり高額だった。
予想どおり、美咲が払おうとしてくれたので、
「ここは高いから」
と言って僕の財布を渡し、出してもらった。
料金所を過ぎると、一本の長い橋の両サイドを、一直線に並んだライトが幻想的に照らし出していた。
「「きれい……」」
二人で息をのんだ。
圧巻の景色だった。
僕自身、関空大橋を渡るのは初めてだったので、素直に感動した。
(これはいいな……今後のデートでも使えるぞ)
そんな下心を抱きつつ、僕はふと思いついた。
関空大橋は当然、駐停車禁止だ。
だが、この初めて来た最高の瞬間を、どうしても形に残したかった。
僕はサーフを路肩の壁すれすれに滑り込ませ、車を止めた。
ダッシュボードから取り出したのは、古巣のアパレルショップでもらった「RUSTY」のステッカーだった。
そこにマジックで、僕と美咲の名前を大きく書き込んだ。
そして車から降り、橋の地覆——壁の縁に身を乗り出した。
外側の、誰の目にも触れない裏側。
そこに、そのステッカーをしっかりと貼り付けた。
「落ちるで!! やめて!!」
「そんなところに貼ったら怒られるよ!」
不安そうに叫ぶ美咲の声が聞こえたが、お構いなしだった。
落ちたところで下は海。泳げばなんとかなるという、謎の野性的な自信があった。
まさに若気の至り。バカな行動そのものだった。
念のため、剥がれないように瞬間接着剤をしっかりと塗り込み、作業完了。
誰に見られることもなく、車に戻った。
美咲は呆れ顔で僕を見つめた。
「アホやな〜。いつもそんなことしてんの?」
「いや! いつもではない。たまに(笑)」
関空に到着すると、僕らは車の中から、滑走路を静かに離着陸する飛行機を眺めた。
しばらくの間、二人の間に無言の時間が流れた。
その静寂を破ったのは、美咲だった。
「なぁ〜……聞いていい?」
「ん?」
「今まで、何人の女の子と付き合った?」
不意を突かれた質問に、僕はどう答えるべきか分からず、固まってしまった。
(付き合う)ということは、単に体の関係を持った人数ではなく、ちゃんと「彼女」として付き合った人数のことだろう。
そうに違いない。
「……高校の時ふたりと、19歳の時に1年くらい付き合った子がひとりかな」
正直に答えた。
美咲は、さっきから僕の方を見ようとせず、ずっと窓の外の飛行機を眺めたまま話していた。
「19歳から1年間か……ってことは、最初カラオケ行った時は、別れてまだそんなに経ってなかったん?」
「うん……そうかな? よく覚えてないけど」
「まだその人と、連絡取ってるん?」
「取ってるよ、たまに」
「そっか……」
美咲は相変わらず、外を向いたままだった。
「みーはどないなん? 何人いってんの?」
我ながら、下品な聞き方をしてしまった。
美咲はぽつりと一言、
「言いたくない」
と答えた。
それ以上、僕は突っ込むことができなかった。
車内の時計を見ると、時刻は21時を指していた。
「もうこんな時間や! やばくない?」
僕が焦って声をかけると、美咲は慌てる様子もなく、飛行機を見つめたまま言った。
「今日はお母さんもよく知ってる女友達と遊びに行くって言ってるから、大丈夫」
「そっか……じゃあ、今日は時間あるんや」
「そやで」
その瞬間、車内に不思議な緊張感が走った。
「じゃ〜時間もあることやし、いろいろ行こか?」
空気を和ませようと、明るく言ってみたものの、美咲は外を向いたまま返してきた。
「……どこ行くん?」
(……んぉ〜〜〜〜!! ここはどうするべきだ……!?)
いつもの僕なら、迷わず「ホテル」だ。
だが、美咲は何かが違う。こんなふうに軽く誘っていい相手じゃないような気がする。
でも……行きたい。
僕の頭の中で、悪魔の僕と天使の僕が大バトルを繰り広げていた。
「なぁ! どうするん? どこ行く?」
まだ外を見つめたまま、美咲が促してくる。
「あ〜……え〜っとですね……」
少しの間が空いたあと、僕は口を開いた。
「……ホテル行こか?」
悪魔が勝ってしまった。
すると、今までずっと外を向いていた美咲が、クルリとこちらを向いた。
そして、僕の顔をじっと睨みつけて言った。
「……ついにぶち込んできたな。」
(あ……あかん……終わった……!!)
終わった、と思った。
こいつ、僕が言うのを待って試したんだ。この悪女め……!
心の中で青ざめていた、その次の瞬間だった。
「……いいよ。」
美咲の口から、信じられない返事が返ってきた。
「え……!? いいの? マジで……!?」
美咲は細めで僕をみながら「なに?」
「あの……怒っていませんか……?」
思わず敬語になってしまう僕を見て、美咲はクスッと笑った。
「なんで怒るんよ!(笑)」
夜の関空の光が、彼女の笑顔を優しく照らしていた——。




