第6章 雪の日の作戦
朝起きて、息をのんだ。
窓の外一面が、真っ白な雪で覆われていたのだ。大阪では、めったに見られない、珍しい光景だった。
季節は巡り、寒さの厳しい冬がやってきた。
冬といえば、スノボのシーズンである。毎年、直樹とゲレンデへ繰り出していた僕は、雪を見るだけで胸がワクワクと高鳴った。
探偵の仕事にも、すっかり慣れてきていた。見習い期間を終え、最近では単独で浮気調査の現場を任されるようにもなっていた。
そして、もう一つ。僕の心をワクワクさせている理由があった。
今日、由奈ちゃんと「デート」をするのだ。
僕がアパレルの仕事を辞めて探偵になったと話すと、由奈ちゃんは仕事内容にすごく興味を示した。
そこで僕は、軽口半分で誘ってみた。
「じゃあ、一回一緒に張り込みしてみる?」
幸い、今回は一人での単独行動調査だ。会社にバレる心配もない。
由奈ちゃんは「行きたい!」と即答。
こうして、前代未聞の斬新なデート——「張り込みデート」が幕を開けることとなった。
今回のターゲットは、無線では「310(さんびゃくとう)」と呼ばれる。探偵用語でいう「マルタイ」だ。
勤務先から自宅へ帰るまでの行動を調査する。調査開始は夕方16時からだった。
13時頃、僕は社用車のプリメーラで由奈ちゃんを迎えに行った。
コンビニで飲み物や買い出しを済ませ、15時にはマルタイの会社の前に張り付いた。
マルタイが退社してくるまでは、まだまだ時間がある。
車内は二人きり。どこの高校を出たとか、彼氏はいるのかとか、好きなタイプはどんな人かとか、他愛もない会話に花が咲いた。
「この仕事って神経使うねんな。ずっとこうやって張っとかなあかんのやろ?」
真剣な顔で聞いてくる由奈ちゃん。
社会人経験のない学生の彼女から見れば、探偵の仕事は刺激的に映るのだろう。
同い年とはいえ、なんだか自分が大人になった気分だった。
……ただ、一つだけテンションが下がった点がある。
今日の由奈ちゃんの服装は、スカートではなくパンツスタイルだったのだ。
(そこはスカートで来てくれよ……)
心の中で勝手に落胆したものの、スタイリッシュでおしゃれな着こなしだった。由奈ちゃんなりに頑張っておしゃれをしてきてくれたのだろう。
時間は刻々と過ぎていく。
そんな中、僕の頭の中では、密かに「ある完璧な作戦」が渦巻いていた。
もし今日、マルタイが退社後に不倫相手とラブホテルに入ったら、証拠写真を撮る必要がある。
その勢いに乗じて、僕らもそのまま同じホテルに入ってしまおうという作戦だ。
探偵という立場をフルに活用した、合法的な(?)ホテル連れ込み手法。
そのままマルタイの隣の部屋を取ってしまえば……。
名付けて、
「マルタイとご一緒作戦」!!
あかん。ニヤニヤが止まらない。
本来ならホテルへの出入りさえ撮影できれば十分で、自分たちが中に入る必要など全くない。
だが、そんな野暮な真実を彼女に伝える必要はない。
しばらくすると、マルタイが会社から出てきた。
白のセルシオだ。
「本部へ、310動き出しました」
車載無線で本部に連絡を入れ、追跡を開始した。
車内に無線のやり取りが響き渡り、急に緊張感が走る。由奈ちゃんは真剣な眼差しでセルシオを注視していた。
(由奈ちゃん、見た? この無線のプロっぽいカッコいいやり取り! 聞いてた?)
心の中でドヤ顔を決めながら尾行を続けた。
ところが、走行中は本部からちょくちょく無線が入るため、由奈ちゃんと満足に会話ができない。
そこまで計算していなかった……。
少し後悔し始めた頃、嫌な予感が漂い始めた。
このルートは……マルタイの自宅方向だ。
予感は、嫌な形で的中した。
白いセルシオはそのまま自宅の駐車場へ滑り込み、マルタイは一人で家の中へと消えていった。
(……しかーし! まだチャンスはある!)
一度帰宅して着替えてから、再び女と会うために出てくる可能性も残されている。
ここは「ステイ」、つまり張り込みだ。
だが、16時42分にマルタイが帰宅してから、車内でじっと待ち続けて、すでに5時間程度が経過していた。
時刻は夜の22時。
一切、動きがない。
「動かないね〜」
「……今日はダメかな(色んな意味で)」
僕がため息をついた、その時だった。
トントン。
運転席の窓ガラスがノックされた。
驚いて外を見ると……そこには、なんと事務所の先輩が立っていた。
先輩は「降りてこい」と手招きしている。
僕は由奈ちゃんに、
「ちょっと待ってて! 先輩来たから話してくるわ」
とスマートに言い残し、車の外へ出た。
「ええ身分やなぁ〜。女横に乗せて張り込みか。俺もしたいわ」
「え、え〜っと、色々ありまして……見学みたいなもんで……」
「もうええわ! 無理すんな無理すんな。俺ら探偵やで? ワシに嘘ついてどうすんねん、アホか(笑)」
先輩は呆れながらも、ニヤニヤと笑っていた。
「まあええわ、色々楽しんでくれ! 仕事は楽しくせなな!」
「え! マジっすか! ありがとうございます!」
理解のある先輩で助かった……。
胸をなで下ろした、その瞬間。
先輩は去り際に、信じられない言葉を言い放った。
「あ、そうそう。お前、無線入れたままやで。全車両に丸聞こえやったわ」
「……え?」
「あと、その車GPSついてるから、どこ行ってもわかるから気をつけてな。お前がこの後どうするか、みんな楽しみにしてるわ!」
先輩は大声で爆笑しながら去っていった。
……頭の中が、真っ白になった。
無線を切り忘れて、全車両に筒抜け。
しかも、GPS追尾付き。
この状況で由奈ちゃんとラブホテルに入ろうものなら、翌日、会社で何を言われるかわかったものではない。
絶望。
絶望しか残っていない。
武士なら切腹して腹を召すレベルの失態だ。
しばらく、車に戻ることができなかった。
青ざめた顔で車に戻ると、由奈ちゃんが異変を察して聞いてきた。
「大丈夫? なんかあった? 先輩に見つかったの、ヤバかったんじゃないの?」
「あ、いや……大丈夫、大丈夫……」
もちろん、それもヤバい。
だが、それ以上の悪夢が僕の肩にズシリとのしかかっていた。
もう今日は、何のやる気も起こらなかった。
23時、本部から無線が入った。
『本部長より、本日の張り込み終了〜。……ちゃんと女の子自宅に送り届けるように』
余計な一言が添えられた無線命令に、心の中で泣きながら、僕はまるで何もなかったかのように振る舞った。
「今日はありがとう!楽しかったよ!」
そう言って、由奈ちゃんを無事に自宅まで送り届けたのだった。
翌朝。
恐怖におびえながら出社すると、事務所の先輩たちから、僕に新しいあだ名が授けられていた。
——「連れ込み屋」。
こうして、僕の「マルタイとご一緒作戦」は、歴史的大失敗に終わったのである。




