第59章 手料理
翌日。
約束どおり、僕はリノを迎えに行った。
部屋に戻ると、リノはさっそく料理を始めた。
「手伝おうか?」
僕が声をかけると、リノは振り返った。
「いい! 一人でするから、ゆっくり待ってて!」
僕はシングルソファに座り、リノの後ろ姿を眺めていた。
デニムのミニスカートに、へそが見えそうなタンクトップ。そして、細いウエスト。
この時期に、そんな格好では寒いんじゃないかと思った。
迎えに行ったときは、薄手の長いカーディガンのようなものを羽織っていた。だが、今はそれを脱いでいる。
どうしても、僕を誘惑するための格好に見えてしまう。
もちろん、本人にそんなつもりがあるのかどうかは分からない。
ミニスカートから伸びる細い脚。透明のパンスト。胸元のふくらみで、タンクトップがお腹から浮いている。
くそ~。
目覚めろ、心の天使!
悪魔が囁いている。
後ろから抱きしめろ、と。
そんなことを考えていると、ふと、リノがとても愛おしく感じられた。
「できた~!」
リノが笑顔で料理を運んできた。
テーブルに並んだのは、ハンバーグとポテトサラダ、味噌汁にご飯だった。
部屋いっぱいに、おいしそうな匂いが広がる。
……性欲ではない。食欲をそそる、いい匂いだ。
小さなダイニングテーブルだったが、きれいに並べてくれた。二人で座るには、ちょうどいい。
こんなまともな手料理を食べるのは久しぶりだった。
「どうぞ~」
リノがにっこりと笑った。
「いただきま~す!」
ハンバーグに箸を入れると、中からチーズが出てきた。
これは、うまいやつや!
僕は夢中で食べ始めた。
あまりにも無言で食べていたからだろう。
リノが、僕の顔を覗き込んできた。
「おいしい?」
「美味い! 美味すぎる!」
頬張りながら答えると、リノはクスッと笑って、自分も食べ始めた。
「料理、得意なん?」
「そんな得意ってほどではないけど、これくらいなら」
遠慮がちに答えるリノ。
……これは、得意な人の言い方や。
僕はあっという間に食べ終えた。
リノが尋ねてきた。
「私のも食べる?」
半分ほど残していたので、ありがたくいただいた。
「たけと、よく食べるね~」
リノはまた、クスクスと笑った。
「デザートあるよ」
そう言って、冷蔵庫からプリンを取り出した。
「昨日、プリン作ってきた」
……いつの間に?
そういえば、迎えに行ったとき、保冷バッグのようなものを持っていた。
僕がリノの姿に気を取られている間に、冷蔵庫に入れたのだろう。
プリンも平らげ、すっかり満腹になった。
「どう? よかった?」
リノが尋ねてきた。
「うますぎ!」
僕が笑顔で答えると、リノは安心したように笑った。
「よかった~。ちょっとビビってた……。もし不味いとか言われたら、どうしようかと思って……」
僕は大きく首を横に振った。
「でも、ハンバーグ、ここで作ったん?」
「うん」
「たけとがボーっと前の彼女のこと考えてるとき」
リノは、いたずらっぽく笑った。
「うそうそ!」
すぐに撤回した。
……ボーっとしてたのは、リノのことを考えていたからなんやけど。
そう言おうとしたが、変態だと思われたくなかったので、やめておいた。
食事の後片付けを済ませ、二人でテレビを見ながら、いろいろな話をした。
気がつけば、もう午後十一時になっていた。
ソファに並んで座り、二時間ほど、ずっとくっついていた。
「もう送っていこうか?」
僕が尋ねると、リノははっきりと言った。
「帰りたくない」
そして、僕をじっと見つめてきた。
リノは僕の方へ顔を向けた。
「はい」
そう言って、唇を差し出してくる。
僕は、そんなリノを見つめた。
そして、そっと口づけた。
リノは、唇が離れると尋ねてきた。
「それだけ?」
少し間を置いて、もう一度。
「もっと」
唇が離れても、リノはすぐには目を開けなかった。
僕も、何も言えなかった。
たった一度のキスで、何かが変わってしまうような気がした。それなのに、僕はリノを抱き寄せ、再び唇を重ねた。
もう、言葉はいらなかった。
リノの腕が僕の背中に回り、二人の距離がなくなっていく。
ようやく唇が離れたとき、リノは目を伏せたまま僕の胸に顔を埋めた。
「ベッド、行こうよ……」
囁くような声だった。
そして、僕たちは愛し合ってしまった。
リノは僕の方を向いて眠っていた。
その寝顔には、まだ少し幼さが残っていて、かわいらしかった。
リノの左手は、ずっと僕の左腕を握っていた。
まるで、どこにも行かせないと言っているようだった。
僕は、その手を振りほどくことなく、静かに眠りについた。
翌朝。
僕は体内時計で目を覚ました。
今日は午前九時から教習が入っている。
起き上がると、リノはすでに目を覚ましていて、朝食を作ってくれていた。
「リノ! 学校は?」
僕が尋ねると、リノは笑った。
「ん~、今日は休んだ(笑)」
そして、テーブルの方を指差した。
「コーヒー淹れたよ!」
すっかり準備万端らしい。
僕は歯を磨き、安物のスーツに着替えてテーブルについた。
リノはニコニコしていた。
「たけとが出るとき、一緒に出て、私、電車で帰るから気にしないでね! 仕事、頑張って!」
その笑顔には、作り笑いなどなかった。
僕は、気がついたらリノを抱きしめていた。
「ありがとう……こんな俺のために」
リノは、僕の背中に手を回し、優しくポンポンと叩いた。
「早くしないと、仕事遅れるよ」
その言葉に、僕は少し笑った。
それからというもの、リノは定期的に僕の部屋で過ごすようになった。
他愛のないことで笑い合い、DVDを見たり、ゲームをしたり、一緒に風呂に入ったり。
二人だけの濃密な時間を過ごした。
美咲との関係との大きな違いは、リノとは一緒に泊まれることだった。
リノはその間に免許を取得し、無事にWJDSを卒業した。
僕が迎えに行けないときには、自分で電車に乗って部屋まで来ることもあった。
リノと一緒に過ごすようになって、気づいたことがある。
リノは、人の悪口や陰口を絶対に言わなかった。
何か嫌なことがあっても、「仕方ないね」と言って終わらせられる子だった。
この数か月、一緒にいても喧嘩は一度もなかった。
僕たちは、どちらからも「付き合おう」とは言っていなかった。
その言葉を口にしてしまうと、大切な何かが崩れてしまうような気がした。
リノも、それを察していたのだろうか。
彼女からも、何も言ってこなかった。
けれど、僕がリノに惹かれていっているのは確かだった。
(やっと、僕が安らげる相手を見つけられたのか……?)
そう思うこともあった。
それでも、美咲への想いが完全に消えたわけではなかった。
そして、美咲と別れて一年が経とうとしていた。
最後に会ってからは、半年近くが過ぎようとしていた。
そのころ、僕たちの関係を大きく変える出来事が起きることになる。
ある夜、いつものようにリノとベッドに入った。
二人は、ごく自然に愛し合った。
そのとき、リノが照れくさそうに言った。
「今日は安全日だから、中で出していいよ」
男としては、その方がいい。
その場の空気と欲望に負け、僕はその言葉に甘えてしまった。
……まあ、一回くらい大丈夫やろ。
美咲とは、あれだけ愛し合っても何もなかった。
もしかしたら、僕は子どもができにくい体質なのかもしれない。
そんなことさえ考えていた。
しかし、この一度の軽率な行動が、これからの僕の人生を大きく変えることになるとは、このときの僕には想像もできなかった。




