第55章 真っ青な空
夏真っ盛りの日差しが、容赦なく照りつけていた。
大阪市平野区加美東にある、加美自動車教習所。
広大な教習コースでは、強い日差しを受けたアスファルトから陽炎が立ち上り、景色がゆらゆらと揺れて見える。教習車が規則正しく走り、クランクやS字コースでは、生徒たちが慎重にハンドルを切っていた。その合間を縫うように、二輪教習のバイクがスラロームを駆け抜けていく。
エアコンの効いた車内から一歩外へ出ると、むっとする熱気が身体を包み込んだ。
そんな暑さの中、僕と森田さんは、いつものように自動販売機の前でジャンケンをしていた。
負けた方がジュースをおごる。それが僕たちの恒例行事だった。
「たけ~! わし、今からパー出すからな! パーやで!」
森田さんが、いつものように心理戦を仕掛けてくる。
「じゃあ……僕はチョキを出しますから、絶対に!」
このおっさんが、正直にパーを出すはずがない。
僕がチョキを出すと言えば、森田さんはそれを読んでグーを出すかもしれない。いや、そこまで読んで、さらに裏をかいてくる可能性もある。
長い付き合いで、僕には分かっていた。この人は、そう簡単に宣言どおりの手を出す人ではない。
「最初はグ~、ジャンケンポン!」
森田さんが出したのはチョキ。
僕はグーだった。
「よっしゃ! 僕の勝ち!」
見よ、この元探偵の見事な推理!
森田さんは悔しそうに「あ~、やられたな……」と呟きながら、缶コーヒーを買ってくれた。
二人でコーヒーを飲んでいると、森田さんがコースを走る教習車を指差した。
「たけちゃん! 生徒増えたな~。あの二人は誰や?」
「あれが、うちの新しい従業員です」
「ほ~、従業員まで雇うようになって! たいしたもんやの~」
生徒の募集が増えすぎたため、僕は先週から新たに二人の指導員を雇っていた。大野さんと古市君だ。
これで、毎日地獄のように忙しい日々も、少しは楽になるはずだった。
そのときだった。
「たけと~!」
明るい声とともに、一人の女の子がこちらへ歩いてきた。
リノだった。
タンクトップに短いデニムのショートパンツ。最近はこういう格好をする子も多い。だいぶ見慣れてきたとはいえ、細い脚を見せられると、僕はどこに視線を置けばいいのか分からなくなる。
WJDSドライビングスクールは、生徒も指導員も名前やあだ名で呼び合う、かなりフランクな職場だった。だから、生徒に呼び捨てにされても特に不自然ではない。
リノは、最初に説明のために部屋を訪れたときから、すでにため口だった。
「あたしも飲みた~い!」
そう言われ、僕はオレンジジュースを買ってあげた。
隣にいた森田さんが尋ねる。
「いま、どこまでいったんや?」
リノは不満そうに答えた。
「まだ仮免、一回も受けてな~い!」
そして、僕に視線を向けてくる。
「まだあかんよ! 練習不足!」
僕がきっぱり言うと、森田さんは苦笑いした。
「たけちゃん! こんなかわいい子、手ぇ出したらあかんで!」
そう言い残し、森田さんは去っていった。
確かに、リノはかわいい。スタイルもいい。
昔の僕なら、間違いなく積極的に声をかけていただろう。
でも、今は違う。
この子は僕の生徒だ。指導する立場にある僕が、簡単に手を出していい相手ではない。
「ねぇー、たけとー。次、何時からー?」
リノはベンチに腰掛け、足をばたばたさせながら、教習が終わるのを待っていた。
「あと10分かな」
「横、誰が乗ってくれるの?」
「大野」
「えーーー! たけとのってよ!」
「僕はもう一人の方に乗らなあかんから!」
そう言うと、リノはあからさまに不満そうな顔をした。
しばらくして順番が回ってくると、リノは教習車へ駆けていった。
「見ててよー! 私の運転!」
その言葉どおり、僕は少し離れた場所から様子を見ていた。
すると、リノはいきなりクランクで乗り上げた。
あ~、これはまだ時間がかかりそうやな……。
そう思いながら、僕は併設された事務所へ戻った。
事務所には丸テーブルが七つほどあり、生徒たちが過去問題を解きながら学科の勉強をしていた。この仕事をしているのは僕と森田さんだけではない。他にも同業者が何社かあり、事務所ではそれぞれの生徒が一緒になって勉強している。
僕は生徒に学科を少し教え、再び外へ出た。
ひんやりした事務所から一歩出ると、そこはまた灼熱の世界だった。
雲一つない、真っ青な空。
ふと、美咲のことを思い出した。
あの夜が最後になってから、一か月が経つ。メールは一通も来ていなかった。
美咲は今、この空の下で何をしているのだろう。
考えても答えは出ない。それでも、ふとした瞬間に思い出してしまう自分がいた。




